自分の価値観を信じられず、虚無を感じます
まず人間に特別な生きる意味はないと思っています。虫や木々やすべての生命も同様です。「生きている」と定義された物質が生命に過ぎず、生に価値を与えるのは人間の文化的な感覚に過ぎないと思います。
生きる意味などそもそもない中で生まれてきてしまったんだから、自分の楽しいと思うことだけして生きれば良い。仕事などのストレスや辛いことがあってもそれを打ち消す分の快を得て生きれば良いと思っていました。
私はオタクをしています。だから映画を観たり、漫画や小説を読むのを娯楽として生きています。創作物が生きる糧です。面白い映画を観ると、このために金稼いで生きてんだよなぁ、と思います。
しかし最近これらの娯楽に対して、やばいくらい脳内麻薬が出るので、自分はパチンカスやアル中と本質的に変わらないのでは?と気付いてしまいました。依存症の危険を感じたわけではありません(SNS依存ではありますが)。「家帰っても酒飲むくらいしかやることがない」という人に対して、「趣味がないなんて可哀想。つまんねーやつ」と自分は思っていました。他人の価値観を見下してきていたのです。翻って自分の価値観はどうでしょうか? 誰かにとっての一番の価値観が「仕事後の晩酌」や「恋人の笑顔」としたら、それと同様の価値になるわけです。「アル中の酒」とも同じです。
私が信じている価値観など他人にとっては意味がないという当然のことに本当に気付いたとき、この先自分一人の閉じた世界で生きていくことに恐れを感じました。家族も友人も今後は減るばかりでしょうし、娯楽を慰めとしても、世界に何の影響も及ぼさずに死ぬのかと思うと悲しくなります。なぜそれを悲しく思うのかは分かりません。そんな人間いくらでもいるだろうに。
絵や小説を書く創作趣味がありますが、上手くいっていません。娯楽がただ楽しいのに対し、趣味は他人と比較しては嫌になることが多すぎます。でも成長実感を得て、自分にしかできないことをしたいから趣味はしたい。ああ娯楽だけ楽しんでいれば幸せに生きれるのにな、と思っていたら、上記の考えが生まれてしまったため、逃げ場がなくなったような気持ちです。
どうせ自分はなんにもなれない、という虚無を感じます。他人より優れたいという気持ちや承認欲求が強くて、こう感じるのでしょう。自分はこの虚無を誤魔化して生きていくしかないのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
趣味に宗教を増やしてみます?
ご相談拝読しました。とても本質的で大切な内容のご相談であると感じます。ですからそんなに簡単に答えを決めてしまわず、この問いを抱えて生きてみましょう。
>人間に特別な生きる意味はない
さて、まずこのくだりですが私も同感です。しかしそこで止まってしまうと仏教で言うなら「色即是空」止まりです。それでは虚無的になってしまいます。「空即是色」まででセットです。実体的・不変の押しつけられる意味・価値など無いけれども、それでも今・ここにこの私は(現象として)存在しているという事実から、生きる意味を問われ、主体的にその問いに応えていく歩みにこそあなたが求めているものがあるのではないでしょうか。
言ってしまえば、あなたは死んでも無くならないものを求めているのだと思います。どんな楽しみであろうとこの世におけるものは死で失われる刹那的なものです。それに人間は老病死により楽しめる能力・環境もだんだんと奪われていきます。
そのような中で自分だけの楽しみを追求しても、老病死の事実から空しさが込み上げてくるのでしょう。
仏教はこの老病死を解決する教えですが、いくら仏教でも肉体的なそれらを避けることはできません。ではどうするかというと「老病死する私」の「私」の方にアプローチするのです。私とは何か?自己とは何ぞや?という問いです。
私は「私」を考える時にせいぜい自分が生まれてから死ぬまでの時間で考えます。しかし本当の「私」はそんなちっぽけな私ではありません。宇宙誕生以来の歴史が今ここに「私」という形で現れているのです。私に連なるあらゆる命の歴史、具体的には先祖が、少しでも違う生き方をしていたら今の私は全然違う私かもしれません。つまり無限の時間が今・私になっているのです。
そして今ここにある私は時間的に無限だけでなく、空間的にも無限です。あらゆる虫や木々・・・環境、そして他者の存在と切り離してある私はいません。私は環境から影響を受け、そして環境に影響を及ぼします。身土不二です。
そういう大きな私、私なんかが思うよりずっと大きな私という存在に目覚めさせてくれる教えをこそ、あなたは求めているのではないでしょうか?
けしてスピ系(人間の考え)ではなく、事実(人間の考え以前のもの)として、いのちの事実としてこのことを受け止めたいのでしょう。
さあ、今日から宗教を始めてみませんか?
質問者からのお礼
吉武文法様
ご回答ありがとうございます。
内容を噛み砕くのに時間がかかり、お礼が遅れてしまいました。
自己の存在が宇宙有史以来の全ての事象により生み出された偶然(必然?)としたら、世界の終焉に至るまでも同様に自分の存在は影響を及ぼすということかな、となんとなく想像しました。
仏教はまったく勉強不足ですが、勉強して哲学的な思考ができたら非常に面白いなと思います。
たぶん自分は今後も何か上手くいかないたびに癇癪を起こすように虚しさを感じ、物事を辞めたくなるのでしょうが、その癇癪と上手く付き合って生きるのに、仏教・東洋哲学を勉強しておくのは有用かもなぁと思います。
ありがとうございました。