父親の死期を早めた自責の念
痛みを伴う難病とわかった後、希少ガン。リンパ転移宣告。高齢なので治療は出来ない。父には癌のことを知らさぬまま亡くなっていきました。亡くなって半年近くになりますが、初盆を終えて、日毎に闘病中にあった事が思い出され、あの時の選択はこれでよかったのかと思い出され精神的にしんどく、不眠と食欲不振。なかなか病院との話し合いがうまく出来ず、もやもやしていました。母弟夫婦、私夫婦で話し合いましたが、弟は母が決めるのが一番。母は痛い思いをしてほしくない。身内の者も、いまさら?など意見が分かれ、病気について、もっと向き合おうと思った矢先、急変し帰らぬ人となった辛かった経緯がありました。
過剰に病気を恐れてしまったのか、高齢の母をもっとサポートしてやれば良かったのか、母より父と性格があっていた私だけに、この気持ちがずっと四六時中頭から離れません。生前、父はいつも悔い無い日々を過ごしていましたので、病気になる寸前までは後悔が無い日々を送っていたと思います。私も一緒にゴルフをしたり旅行もしました。ただ、最期がこんな残念な事になり、この先、私だけ幸せに暮らしていいのかと思うと、胸が苦しくなります。家族も想いが違うので、話す事もできません。こんな私に何か教えをいただければと思います。
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自分を責めることで死を悼むなら、私はあなたの気持ちを聞くわ
お父さまの生き方を、ご本人を抜きに、これでよかったとは、なかなか決められませんよね。また家族でも、想いがそれぞれにあるでしょうし、どの立場で考えるかによっても違ってきますね。もちろん、私の立場から、こうだよとも、言えませんが。わかっていることは、誰にとっても、大切な人であったということ。今も尚、あの時の関わりに納得ができないほどに、もっともっと大切に過ごしたかった、あの頃に戻りたい、会いたいという想いでいっぱいなのではないでしょうか。
どんな愛おしい人の死にも、納得など出来ないのだろうと思います。それほどに、大切な存在ですよね。今も。
あなたが、自分を責めることで、死を悼むなら、私もあなたの気持ちを大切に聞かせてもらいたいわ。あなたのお父さまを想い、静かに手を合わせたいと思います。
また、あなたが思う(望む)死生観を、大切な人と伝え合うのも大事。それは、遺されていく者がちゃんと納得して前を向くために、あなたが伝えられる自分の生き方の選択です。答えを出すためではなく、いろんな生き方があっていいのだ、死への向き合い方もみんな違うのだと思えることで、自分を責める見方を変えていけたらいいですよね。
合掌
質問者からのお礼
お忙しい中、私のためにお言葉をいただきありがとうございました。泣きながら何度も何度も読み返しました。いろんな生き方があっていい。死への向き合い方もみんな違う。心に響きました。決して忘れる事は出来ないと思いますが、生きる力をいただきました。本当にありがとうございました。