人を傷つけた罪を償いたいです
何度も質問させていただき申し訳ございません。先月無事に大学を卒業し、以前質問させていただいたところとは別の職場にご縁をいただいて、そこで働いております。
本日相談したいことは、喧嘩別れした学生時代の知り合いのことです。
私には、大学のカリキュラム上顔を合わせずにはいられないけれど、どうしても反りが合わない知り合いがいました。
何度かその人に大きな恥をかかされたことを自分の中でこねくりまわしてしまい、どんどん大きな憎しみが出来上がってしまいました。その結果、お互いに不快な思いをさせ合うという関係性になってしまいました。
先月の卒業をきっかけに、とうとう向こうが爆発し、喧嘩別れのような形になりました。
これですっきりするかとおもったのですが結果はその真逆でした。その人に言われたことが頭の中に渦巻いていて、起きている間はずっと不安に襲われるようになりました。「やられたんだからやり返せば良い」と幼稚に考えた自分も、相手を傷つけたことは確かだったのです。
同じように、その人と共通の友人たちに自分が見捨てられてしまわないかということを考えると、後悔の念が襲ってくるようになりました。
お坊様、こんな幼稚で自分勝手な私は、どうすれば罪を償うことができますでしょうか。また、その人にされた仕打ちとトラウマを忘れることができますでしょうか。仏様はこんな私でもお救いくださるのでしょうか?
嫉妬、怠惰、怒り、憎しみ、被害妄想、自己完結、緊張、不安、焦り
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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してしまった事と、これから出来る事
もふこさんおはようございます。
武田正幹と申します、よろしくお願い致します。
さて、タイトルにもある通りなのですが、貴女は大変後悔しておりますね。しかし、してしまった事に関してどれだけ悩んでも、元には戻せませんよね?
大切なのはその後悔から何を学ぶかです。自分がしてしまった『罪』に対して、こうしたらよかった、ああしなければよかった…と反省点があるかと思いますが、それをこれから活かして行くことが大切かと思いますよ
お釈迦様が活躍された当時、提婆という幻覚で苛烈なお坊さんがおりました。その方は諸説ありますが、お釈迦様様と袂を分かち敵対行動をとったとあります。
お釈迦様からしてみれば困った存在…かと思いきや、提婆のおかげで悟ることが出来た自分がいるんだと感謝しています。
話すと長くなりますので省略しますが、私達の日常では存在を肯定してくれる人、存在を否定する人、無関心な人の大凡3パターンがございます。
貴女が毛嫌いしている人が皮肉にも今現在の貴女の中で大きなウエイトを占め悩ませているとお思いきや、その毛嫌いしている人が貴女の中で反省を促し、やられた事も含めてより素敵になれるように教えてくれているのですね
貴女の様に困っている方こそお釈迦様は答えをくれます。ただ、その答えは自分で反省と次に活かせてこそより早く訪れます。
幼稚だなんて卑下せず、今回の縁を活かすも殺すも自分次第として日常を励んで頂ければ幸いです。
質問者からのお礼
武田様
お言葉を本当にありがとうございます。
「今回の縁を活かすも殺すも自分次第」なのだということがとても身に染みました。
おそらく私は相手を許さないでしょうし、相手も私を許さないでしょう。ですが、それから学べることを一つでも多く見つけ出していこうと思います。
お釈迦様の「敵対する存在があるから悟れる」という言葉も大切にしていきたいと思います。
重ね重ね本当にありがとうございました。
追記させて頂きます。
質問させていただいてからまた時間が経ち、新生活が慌ただしいこともあって、だんだんとその憎い人のことを考えずに済むようになってきました。
ただ、人伝にその人が人生において成功したと言う話を聞くと、どうも気持ちがモヤモヤとしてしまいます。また、その人たちとの共通の友人と会う度に、「この中の良い人たちともいずれ別れなくてはいけないのか」という気持ちになったりします。どちらも怒りや悲しみが湧くのですが、次の瞬間に情けないな…と己が恥ずかしくなります。
そんな時にも、ご回答を拝読させていただいております。なんとかこの反省を良いものに繋げていきたいです。