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誠実に生きる為に

回答数回答 2
有り難し有り難し 16

例えば誠実さの1つとして人への感謝を忘れないことが挙げられると思います。
しかしながら未熟な自分は、頭ではその事を理解しているつもりで、かつ感謝しているつもりでも、(大小含めて)実感として心からの感謝を感じていない時が多々あります。

実感がないという感覚の例を挙げると、
「日々こうして生きていられる事が幸せな事で感謝の心をもちなさい」という言葉を聞いた時、そうなのだろうなとも思いますが、心の底から感謝しているかと言えば嘘になると思います(そもそも心の底からという感覚も分かっていないかも知れません)。

このようなのは自分の何が足りていないからのでしょうか?また感謝の念を感じるようにする事は努力によって身に付けていくものなのでしょうか?あるいは生まれたときからのその人の性質として感謝を感じれるような心が備わっているのでしょうか?

ご教授頂ければ幸いです。

2022年10月14日 21:31

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

何と正直な。私も似た感覚があります。

 「心の底から?」とか「本当に?」と問われると、私結構グラグラしちゃうんです。まさしく「心の底からって?その実感あるの?」って。
 それに対して私が行っていることは、主に二つです。
1)形はとにかく整える。「感謝の心」というと、そのものは目に見えないので、その発現であろう「ありがとう」とか「相手をしっかり見る」とか「笑顔で接する」とかを意識する。これ結構仏教的で、「仏様の真似をする」「行動で示す」ことが仏様に近づく道とされてるんですよ。
2)心なんて余りあてにしない。その代わり、「少なくとも今、自分なりに最大限考えて、一番良いと思えることをしよう」と思っています。その都度「優しい人だったら、きっとこうするだろう」「誠実な人だったら、きっとこうするだろう」とリアルタイムに考えて行動する。もちろん過去の経験も参照しますよ。

「努力」について言及されていますが、人間の行動パターンはやり取りによって学習されるもの。「ありがとう」と言った結果が良いもの(喜んでもらえた、得した、メリットがあった)であれば、また似たシチュエーションで同じ行動をするようになります(強化されます)。その積み重ねが、人の心をつくって行くのだと思います。現実そうでないのに、教条として「人には感謝すべき」を注入されると、おかしなことになりそうです。

2022年10月15日 10:16
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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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そうですね

拝読させて頂きました。
あなたのお考えやお気持ちとてもわかります。私もそう思うことありますからね。
あなたのお考えやお気持ちお察しします。

私達はこの命を頂いたことや日々命を頂きながら生かされていることを当たり前のことの様に思っていたり当然だと思っていたりします。それは大なり小なり万人がそう思っていると思います。

とはいえ普段そう思っていたとしても何かあった時に、例えば様々な災いにあったり、病気や事故にあったり、大切な方々が亡くなったりしたときにはじめてその存在や有難さに気がつくものです。逆にそうならないと心から実感して有難みは分からないのかもしれませんよね。

ですがやはりふと我に返って自分のことや周りのことを見つめ直してみると、改めて今頂いているご飯を見つめ直してみるとその有難みに気がつくこともあるかと思います。

ですから日々その様な気づきもあるかもしれませんよね。その様に誠実に自ら向き合っていくことがとても大事なのかと思います。

あなたがこれからの未来を自分や周りとのご縁の中で生きることに誠実にお向き合いなさり、そのご縁に感謝なさりながら人として健やかにご成長なさっていかれます様に、皆さんと一緒にお互いを思いやり尊重なさりながら心から豊かに幸せに生き抜いていかれます様に切に神仏やあなたのご先祖様方や万物にお祈りさせて頂きます。そしてあなたを心より応援しています。

じっくりとあなた自身に誠実に生きて下さいね。心より応援してますね!

2022年10月15日 17:01
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

お教え頂きありがとうございます。

形はとにかく整える。という事と特に「少なくとも今、自分なりに最大限考えて、一番良いと思えることをしよう」という事にとても得心を得ました。ある人(あるいは事柄)に心からの感謝を感じているかわからない、または、感じていなかったとしても、その人に自分なりに最大限考えて(無理なく)一番良いと思えることをするというのは心掛け1つで出来そうな気がします。

努力についても、上述したような心掛けをし、実行していけば、そうすることが自分の中で自然になると思います。その結果、実感を伴った感謝の気持ちも自然と生まれてくるような気がしました。

とても勉強になりました。ありがとうございました。

Kousyo Kuuyo Azuma様、

お礼の言葉が大変遅くなり申し訳ありません。ご教授頂きありがとうございます。

今余裕がない状況かも知れませんが、日々の生活の中で毎日1つは何かを見つめ直すことが出来ると思います。

Kousyo Kuuyo Azuma様の祈りと応援を心の内に留めてこれからの人生を誠実に生きられるよう励んでいきます。

改めてありがとうございました。

「自分を・性格を変えたい・直したい」問答一覧

生きづらい悪い性格を良くしたいです

自分の悪い性格を変えたいです。 私は咄嗟に出た言葉で人に勘違いをさせて嫌な思いをさせてしまうことが多いです。私は傷つけるつもりで言ってなくても、言い方や表現が悪いせいで相手が傷ついてしまいます。 それだけでなく、わざと傷つけるような発言をしてしまうこともあります。これは私の性格が根本的に悪いことが原因だと思います。 子どもの頃から怒りっぽい性格で、イライラして暴れることもありました。それくらい性格がもともと悪いということです。 両親の仲がよくなかったことや、転校して不登校になったことも悪い性格の原因のような気もしますが、そういった辛い出来事がなくても、きっと根っからの悪い人間です。 数年前に気分障害になってからさらに性格が悪くなりました。 人のせいにすることも多くて、ネガティブな考え方ばかりして、すぐに怒って、愛情を持てません。自分の利益ばかり求めて、人のために何かをすることができません。 だから仏様はどうしようもない人間の私が人を傷つけないようにそばにいてくれているのだと思います。 穏やかで優しい人を見ると、うらやましくて、憧れと嫉妬もあって自分がとても惨めに感じます。良い人の周りには良い人が集まるという考えがあります。それならば私は悪い人間だから私の周りには誰もいないか、悪い人だけ集まるということなのでしょうか。 どうしたら穏やかで優しい人に変われるのでしょうか。仏教の勉強をしても、実践が難しくて、頑張っても悪い性格が治りません。 良い性格になるための教えがあったら教えていただきたいです。 わかりにくい文章でごめんなさい。 頭が悪いから、人に伝えるのが下手です。 まだ20代前半で、これから長いこと生きて行く可能性も高いのに、今のままでは生きていくことが辛いです。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

寄り添ってもらえなかった心

こんにちは。 いつもお世話になりありがとうございます。 季節の変わり目のせいか、自分が更年期も含めて不調なせいか、気持ちが落ち込む日が続いています。 ふと振り返ると、義理の両親との同居生活で辛かったとき、夫は仕事に集中していて私の苦労には無関心で寄り添ってくれませんでした。 孤独で責任感に押しつぶされそうでも他人事のようで、その姿に怒りや悲しみでいっぱいでした。 また実家の父が亡くなった時には、母は自分一人が悲しみのパニックに陥って、一緒に悲しみ苦しかった私を一度も気遣うこともなく、亡くなってからもそれは続き『共に』という考えはなく私には寄り添ってはくれませんでした。 いろんな悲しみや辛さを一人で心の中にしまいこみ、寄り添うべき相手から寄り添ってもらえなかったことが今でも深い傷になっています。 後になって相手に私の気持ちを打ち明けてみれば、一応形だけは反省する気持ちを見せてはくれますが、どうしてもその時の癒しにはなりません。 誰にも精神的な力になってもらえなかったことは、今生きていることへの無力感や虚しさにとても大きな影を落としている気がします。 どうしたら自分を立て直すことができるでしょうか? なにかお知恵をお貸しいただけたらと思います。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 15
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強すぎる規範意識に苦しんでいます。

神経質でルールに厳しいところがあり、グレーを許せない性格をしています。強迫性障害として現在は治療も受けているのですが、根本的に物事の捉え方を変えたいと思っています。 法律はもちろん、例えば「取扱説明書」に書いてある指示や、「利用規約」、会社の規定など、言葉に表されたルールや指示が存在すると、自分の行動がそれに反していないか、あるいは過去の行動がそれに反していなかったかと何度も言葉の解釈を検討したり人に聞いたり確認したりを繰り返してしまいます。 もちろん明らかな犯罪行為とか、他人に迷惑がかかるマナー違反などはやるべきではないと思いますし、ルールを守る意識があること自体はむしろ良いことだと思います。 しかし世の中、取扱説明書や利用規約は読まない人のほうがおそらく多いですし、はっきり言って商品の説明書の注意事項など、書いてあることを言葉通りに受け取って厳密に解釈・実行していたら、まともに生活ができなくなるんじゃないかと思うほどですよね。 とは思っているのに、「この充電の方法で合っているのか?」「この洗濯の仕方で良いのか?」などと細かく確認し、少しでも疑いがあるとやり直したり、厳密に正しいと言えるやり方に限定したり、どんどん生活が不自由になっています。(普通に考えて、ただのシャツを1枚ずつ個別に洗濯機で洗ったり、家で延長コードを全く使わなかったりする人なんてこの世にいるんでしょうか。) そして、誰かに迷惑がかかったり、事故が起きたりしたわけでもないのに、自分がとても悪いことをしているという意識に苛まれます。 最近は、数年前に知らずに法律違反を犯していた可能性があったことがきっかけで、知らない法律や規則があって、自分の行為は実は禁じられているのではないかなどと考え事をしたり調べごとをしたりする時間が増えました。 元々の性格もあるとは思いますが、少し前まではもっと大雑把な感じだったと思っていて、もう少し気楽に生きたいです。杓子定規により厳しい方に決まりや指示を解釈し、自分を縛るのをやめ、なんでもないことに罪の意識を感じたりしないようにしたいです。 治療も続けていますが、波はもちろんあるものの全体としてはあまり改善している印象がなく、考え方や物事の捉え方を変えたいです。もちろん医師にも相談はしますが。 何とか肩の力を抜いて生きられるアドバイスをいただけないでしょうか。

有り難し有り難し 8
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ