誠実に生きる為に
例えば誠実さの1つとして人への感謝を忘れないことが挙げられると思います。
しかしながら未熟な自分は、頭ではその事を理解しているつもりで、かつ感謝しているつもりでも、(大小含めて)実感として心からの感謝を感じていない時が多々あります。
実感がないという感覚の例を挙げると、
「日々こうして生きていられる事が幸せな事で感謝の心をもちなさい」という言葉を聞いた時、そうなのだろうなとも思いますが、心の底から感謝しているかと言えば嘘になると思います(そもそも心の底からという感覚も分かっていないかも知れません)。
このようなのは自分の何が足りていないからのでしょうか?また感謝の念を感じるようにする事は努力によって身に付けていくものなのでしょうか?あるいは生まれたときからのその人の性質として感謝を感じれるような心が備わっているのでしょうか?
ご教授頂ければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
何と正直な。私も似た感覚があります。
「心の底から?」とか「本当に?」と問われると、私結構グラグラしちゃうんです。まさしく「心の底からって?その実感あるの?」って。
それに対して私が行っていることは、主に二つです。
1)形はとにかく整える。「感謝の心」というと、そのものは目に見えないので、その発現であろう「ありがとう」とか「相手をしっかり見る」とか「笑顔で接する」とかを意識する。これ結構仏教的で、「仏様の真似をする」「行動で示す」ことが仏様に近づく道とされてるんですよ。
2)心なんて余りあてにしない。その代わり、「少なくとも今、自分なりに最大限考えて、一番良いと思えることをしよう」と思っています。その都度「優しい人だったら、きっとこうするだろう」「誠実な人だったら、きっとこうするだろう」とリアルタイムに考えて行動する。もちろん過去の経験も参照しますよ。
「努力」について言及されていますが、人間の行動パターンはやり取りによって学習されるもの。「ありがとう」と言った結果が良いもの(喜んでもらえた、得した、メリットがあった)であれば、また似たシチュエーションで同じ行動をするようになります(強化されます)。その積み重ねが、人の心をつくって行くのだと思います。現実そうでないのに、教条として「人には感謝すべき」を注入されると、おかしなことになりそうです。
そうですね
拝読させて頂きました。
あなたのお考えやお気持ちとてもわかります。私もそう思うことありますからね。
あなたのお考えやお気持ちお察しします。
私達はこの命を頂いたことや日々命を頂きながら生かされていることを当たり前のことの様に思っていたり当然だと思っていたりします。それは大なり小なり万人がそう思っていると思います。
とはいえ普段そう思っていたとしても何かあった時に、例えば様々な災いにあったり、病気や事故にあったり、大切な方々が亡くなったりしたときにはじめてその存在や有難さに気がつくものです。逆にそうならないと心から実感して有難みは分からないのかもしれませんよね。
ですがやはりふと我に返って自分のことや周りのことを見つめ直してみると、改めて今頂いているご飯を見つめ直してみるとその有難みに気がつくこともあるかと思います。
ですから日々その様な気づきもあるかもしれませんよね。その様に誠実に自ら向き合っていくことがとても大事なのかと思います。
あなたがこれからの未来を自分や周りとのご縁の中で生きることに誠実にお向き合いなさり、そのご縁に感謝なさりながら人として健やかにご成長なさっていかれます様に、皆さんと一緒にお互いを思いやり尊重なさりながら心から豊かに幸せに生き抜いていかれます様に切に神仏やあなたのご先祖様方や万物にお祈りさせて頂きます。そしてあなたを心より応援しています。
じっくりとあなた自身に誠実に生きて下さいね。心より応援してますね!
質問者からのお礼
お教え頂きありがとうございます。
形はとにかく整える。という事と特に「少なくとも今、自分なりに最大限考えて、一番良いと思えることをしよう」という事にとても得心を得ました。ある人(あるいは事柄)に心からの感謝を感じているかわからない、または、感じていなかったとしても、その人に自分なりに最大限考えて(無理なく)一番良いと思えることをするというのは心掛け1つで出来そうな気がします。
努力についても、上述したような心掛けをし、実行していけば、そうすることが自分の中で自然になると思います。その結果、実感を伴った感謝の気持ちも自然と生まれてくるような気がしました。
とても勉強になりました。ありがとうございました。
Kousyo Kuuyo Azuma様、
お礼の言葉が大変遅くなり申し訳ありません。ご教授頂きありがとうございます。
今余裕がない状況かも知れませんが、日々の生活の中で毎日1つは何かを見つめ直すことが出来ると思います。
Kousyo Kuuyo Azuma様の祈りと応援を心の内に留めてこれからの人生を誠実に生きられるよう励んでいきます。
改めてありがとうございました。