悪気はなく人を傷つけてきた 後悔
いつもありがとうございます。
たびたび心が苦しくなるので、どのような心構えで生きていけばいいのか、助言をいただきたいです。
過去に人を傷つけてしまったことを思い出しては苦しくなります。謝りたい気持ちでいっぱいになります。遡れば小学校の頃から、社会人になったここ最近のことまで。悪気がなく言ってしまった言葉、取ってしまった行動、未熟さ故の態度、、、。人を傷つける意思はありません。なのに後から振り返って、傷つけたのではと気付いて後悔することが多々あります。そしてそのことがずっと心に残り十数年経っても何度も思い出します。
たくさん人を傷つけてきたのに今自分は幸せでいいのか。幸せに過ごしているけど、自分が気付いていないところでも傷つけているのではないかと不安になります。人に嫌われたくない、人を嫌な気持ちにさせたくないと、人一倍相手の顔色を伺ってしまう性格なので、傷つけてしまったことに対してどうしようもなく悲しく申し訳ない気持ちになってしまいます。
このやり場のない気持ちをどうすれば良いのか。これこそが傷つけてしまったことに対する罰と捉えれば良いのか。また、今後できる限り人を傷つけないようにするにはどうすればよいのか。お考えを聞かせていただければ嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
これから出遇う人に優しさを配って下さい…
あなたは今幸せに暮らしているとおっしゃいます…何よりです。
ならば、その幸せを人に分けて上げて下さい。周囲の人も幸せになれるように願って下さい。ボランティアを含め、そのような活動をしてみて下さい。
過去は変えられません。過去の行動も事実であるならば、それを無かったことには出来ません。
でもそうした過去の振る舞いの事実を受け入れ、その反省の下、他人様の幸せにつながる行動が出来たならば…過去の行為は変わらずとも、あなたにとってその行為の意味が変わっていくのではないでしょうか。
自分が人に対して優しい振る舞いが出来るようになれた…それなら過去の行為は今の自分にとって意味あるものであったと思えるでしょう。
あなたは過去に人を傷付けたとおっしゃいますが、具体的な事例が書かれていませんね。だからそれは「もしかすると人を傷付けたかも知れない」という、あなた自身の思い込みの可能性もあるかと感じます。
あなたはとても繊細な感覚をお持ちのお方のようです。それは人に対し真摯に向き合えることであり、人間としてとても大切な気持ちだと思います。
しかし、人を深く真剣に思うそのことでかえって御自身がお辛い思いをしているのでは本末転倒になってしまいます。
どうか、過去は過去として一旦受け止めた上で、それを糧として 今とこれからを生きていかれますように念じ上げます。
今まで多くの人を傷付けてしまったと思われるのであれば、どうかこれから出遇う人に それ以上の優しさを差し向けて下さい。
そう行動されることを仏様もきっとお喜びになられますよ…。