生きる意欲がわきません
最近何もしたくないと思うことが増えました。将来どころか今何したいかもわからないです。感情の起伏もほぼ無くなり表情も無くなりました。そしてこれから先生きていく気力がなくなってきました。
気が付いたら20代も終わろうとしています。遊んでいたわけでもなくがむしゃらに恋人も作らず勉強を一生懸命していただけです。幼いころから身の上につらいことがあってもこの苦しみはまじめに努力していれば明るい未来が待っていると信じて頑張ってきました。その結果確かに一定の学歴や知識は身に付きましたが、逆に負担や気だるさが増えるばかりで当初思い描いていた明るい未来とは違う気がします。性格も本来のものと変異しむしろ幼いころ自分がなりたくなかったものになってしまった気がします。
振り返れば周囲の人たちは充実しているように見えます。実際そうかはわかりませんし自分とは違う何かを抱えているかもしれませんが、なんだか自分がバカだった気がしてしまいます。そして自分の人生は何だったのだろうとつい思ってしまいます。何がしたいのかもわからくなりました。「これから楽しんでいけばいい」と言われてもさっぱり分からないのです。試しに流行っているものを取り入れてもしっくりこず、かえって感性の違いにとまどい困ってしまいます。いつから自分の感性は共感できないものになったのか悲しくなります。(特に周りと合わないと思う話題は恋愛です。私は昔から憧れも興味もなく周囲の発想に振り回されてうんざりです。やめてと言っても「いつかいい人が現れたら変わる」と聞く耳持ちません)
自分は自分と思って生きてきましたが、今は息苦しく生きるのがつらいです。感情も鈍くなり食べ物もおいしく感じません。何か新しいことを始めたり目標を立てたりする気力ももはやありません。(何年も試してみましたがもう疲れました)100年も生きないだろうと思っても、明日がとにかく遠く感じ生きることがつらいことのように感じます。とにかく気持ちが沈み息をするのも苦しいです。
この果てしないゴールがないマラソンのような人生をどう生きて(乗り切って)いけばいいのでしょう?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
休んでみましょう
拝読させて頂きました。
あなたは今までわき目も振らずに一生懸命に生き抜いていらしたのかと思います。そしてふと我に返って自分とは何なのかと思いたち迷っているのかもしれませんし、今まで頑張っていらしたその疲れが一気にあなたの心と身体に押し寄せているのではないかとも感じます。あなたのその様なお気持ちを心よりお察しします。
あなた自身必死に頑張っていらしたので心身ともに燃え尽きてしまっているのかと思います。できれば自分のことはちょっと置いといてゆっくりと休んでみてはいかがでしょうか。自分の心の緊張もほぐしてゆっくりとあなたをいたわってあげて下さいね。あなたが今そう思っているのはあなたを小休止させるための合図なのかもしれませんし、あなたの人生の中での一里塚なのかもしれません。
ひとまずゆっくり休んでみて例えば温泉にゆっくりつかって今までの疲れを癒してみてはいかがでしょう。そして今あなたの心の中でとらわれていることを少しでも手放してみて下さいね。
こうしなければならない・ああでなきゃいけない・こうならないといけないは手放してみましょう。
人生こうであってもいいし、ああなってもいいのだし、ならなくてもいいのだとちょっとずつ心を広げていきましょう。
今あなたはしっかりと生きています。気力も意欲も湧かなくてもあなたは多くの恵みの中で生きています、生かされています。あなたには今も明るい光が降り注いでいることでしょう、新鮮な空気があなたの体内に入ってあらゆる器官や細胞にもたらされています。日々あなたは沢山の生命を頂いてあなたの心身にもたらされ生きる力になっています。あなたは自然に生かされているのです。意欲や熱意ややる気はちょっと脇に置いといていいのです。
そしてあなたの周りには穏やかに健やかに日々生きているものがあらゆるところに存在しているです。目の前に生きる虫も植物も自ずと羽や芽を伸ばしたり、豊かな実りとなっています。
今日ウチの田舎道を通ると秋の光に照らされて黄金色の稲穂がたわわに輝いています。豊かな実りの中で人々は生きています。
そんな何気ない当たり前の素晴らしいものをちょっと見つめてみたり、ちょっと旅してみて出会ってみてはいかがでしょう。
あなたが心身ともに健やかにおおらかに毎日を生きていかれます様に切に祈っています。