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正の感情が原動の努力とは何か

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有り難し有り難し 10

私は自己肯定感が異常に低い人でした。
自分の中にある自分はいつも敵で、しんどいのにしんどくない、まだできるとか真逆の言葉を言い聞かせていました。

反抗期もなく、学校も真面目に行き、1番大嫌いな英語に固執し、学歴の劣等感があった私は、大学卒業後海外の大学院へ進学しました。

そこで鬱病、パニック障害となるのです。

不幸か幸いか、パニック障害となった私は死と隣り合わせの日々を送るようになりました。
このようにして人間は最後を迎えるんだな、生きるか死ぬかの選択を最後にするのは自分自身であり、最後の最後を自分自身が裏切ってしまったら、それは本当の孤独であり、私が私自身の味方であればそれは孤独ではない。という事を知りました。

孤独と向き合い、徐々に私の中の私は味方になってきました。
すると、身体が感じる感情と心が感じる感情が一致するようになってきました。生まれ変わったように、赤ちゃんからやり直しです。

初めて[お腹いっぱい][心が躍る][達成感]を味わいました。
初めて友達と遊ぶのが楽しい事を知りました。
初めて人に嫌われることができるようになりました。[あなたが幸せそうでよかった]と親友に真顔で言われた時、今までの私と向き合ってくれたことに感謝すると同時に、もう私が親友の前に現れるのは、親友にとって辛いことであり、自然と傷つけてしまっているのだととても辛かったです。
親とも向き合い、友達清算が何人も続きました。

そして今、人間関係もとても良く、ストレスがありません。親とも線引きができるようになりました。

しかし、私は努力の仕方がわからないのです。
今まで、がむしゃらに努力できたのは、外部的要因があったからです。劣等感や自己嫌悪をバネにして、この壁を乗り越えれば少しは自己嫌悪がなくなると信じ、頑張れました。

今の私は、人と比べる事もなくなり、嫉妬心や悔しさもなく、就職活動になぜか身が入らず、かといって焦りもなく、ただ毎日を過ごしています。そんな自分を責めるわけもなく、同じ境遇の本はないかな?と本屋を巡るもしっくりくるものはなく、大概、生きづらさを解くような本ばかりです。それはもう経験済みです。その次がわからないのです。

負の感情ではなく正の感情が原動の努力とは何なのでしょうか。

がむしゃらに頑張れていた頃が少し恋しいようにも思います。どうぞお願いいたします。

2022年11月7日 1:27

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

努力に依存しない

あなたは努力を大切に考え、今まで必死で努力なさってきたのでしょうね。
よく頑張ってこられましたね。
ただ、トップアスリートでも目指しているのなら別ですが、長い人生ですから、努力に依存するのはしんどいと思います。
馬車馬に常に鞭を打ち続けなくても、馬は馬なりに前に進めます。
あなたが小学校1年生レベルの足し算の問題を10問解くのに、努力は必要でしょうか?10問解く間、軽い集中力を切らさなければ、必要な時間で答えは出せます。
就職活動も、実はこれと同じです。
就職活動に必要な作業を1時間ごと、1分ごとの短い場面に切り取って考えてみましょう。
ほとんどは簡単な作業です。
日本人でも、レシピを調べればフランス料理を作れます。
ただ、フランス料理を作ってみようかなと思うか思わないかの違いであり、たとえば日本人が普段使わない材料であっても、包丁で切る作業、調味料を量る作業、火を着ける作業など、一つ一つの場面だけを見れば、特殊な作業ではないでしょう。
馬車馬に鞭を打つような必死の「努力」など、普通の人生にはたいして必要ありません。
強いて言うなら、「たまにはフランス料理にでも挑戦してみるか」という一瞬の判断、一歩踏み出す決断を積み重ねるだけ。
一歩踏み出してみれば、二歩目三歩目は小学生レベルの簡単な作業や、鼻唄混じりに気楽にできる作業かもしれません。
だから、「努力努力」と肩に力を入れすぎないようにしましょう。
あとは、自分と他人の喜びや成功、自分と他人の悩み苦しみの解消を想像してみましょう。
追記
 忙しい中コメントをありがとうございます。
 面接は緊張しますが、「調べる」はリラックスしながらできますから、「調べる」を切り離す意識は良いですね。
 良い結果が訪れますようお祈り申し上げます。

2022年11月7日 4:36
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

願誉浄史様

お返事ありがとうございます。
私はずっと馬に鞭を打ち続けてきた生活しか知らなかったので、今の心地よい生活が心にぽっかり穴が空いたような感覚でした。

目の前の事を一つずつ向き合ってみる、短い場面に分けてみると想像しただけでも、すごく腑に落ちました。

今日もお返事を読んでから、朝から面接に行ってきました。今までとは少し感覚の違ったように思います。
これから、調べる。という作業を行います。

何かしないといけないと思っていた穴が優しい砂でふわっと覆われました。誠にありがとうございました。

「前向きに生きたい・前に進みたい」問答一覧

前向きに生きるヒントについて

社会人10年目、ステップアップの為転職しました。3月入社・4月に子どもの 保育園スタート、5月に第2子出産と、タイトながら折角ご縁を頂いた社会貢献度の大きい職種で挑戦したい思いで踏み出しました。 入社3日後に父が倒れました。父母は離婚済・姉は事実上絶縁状態で入院準備は私がしました。健保未加入も判明し手続。入社早々テレワークや欠勤を余儀なくされ、新環境でのデビューがうまくいかず。1週間で一旦退院しましたが。 同月末には妻が入院。再び入院準備と見舞いに加え、残された第1子と2人生活が始まりました。4月から保育園がスタートし、入園準備や登園準備・送迎等を行いました。 無事第2子は産まれましたが、妻の実家で暫く過ごす為、第1子との生活は1か月半ほど続きました。私の母が来て家事・育児の一部を手伝ってくれましたが、今度は喘息を発症。あまりに計画通りいかず、大好きなはずの子どもに辛く当たる事もありました。のち4人の生活に戻りましたが、第1子のイヤイヤ期が増幅。 現在、やっと入社後4か月が過ぎました。勤務先は数人の小さな所帯で、私以外は子育てに縁のない人。一番上の責任者は定年手前で子育てをまともにせず逃げ切った世代(またそれを豪語する)。 上席からは形式的に柔軟な働き方を提示はしますが、一方で会議や外部面談の際に私でない方の同僚を殊更に持上げ、私の外訪活動をなじってやめさせたりするので、疎外感も大きくモチベーションも上がりません。 子育て中で飲みにも一切行けず、仕事での社内外の関係構築もうまくいきません。保育園の迎え時間には帰らないといけない為、仕事も限られた時間で最大の成果を志向するも正直消化不良気味で、その辺りも社内で不興を買っているかもしれません。 これまで家庭・仕事・趣味の3つの両立を目指し生活してきましたが、妻から趣味への理解が得られず、真っ先に趣味を捨てました。残る2つも互いが消化不良でどっちつかずです。 仕事に振り切るなら離婚かと思いましたが子ども達の手前踏み切れず、家庭に振り切るなら自分の仕事を自分で決める(当然責任も帰結しますが)個人事業主もよいかと考えますが、何を飯の種にできるか思いつけず。 家と職場の単純往復の生活で、どちらでも認められず閉塞感を感じ続けています。この状況でも前向きに生きる考え方・振舞い方について示唆を頂けませんでしょうか。

有り難し有り難し 7
回答数回答 2

生きる事に前向きになれない。分からない。

誰かに思いを聴いて欲しいです。 弟が自殺して数ヵ月が経過しましたが、未だに夢によく出てきます。楽しい内容もありますが、後悔が反映された内容(私の言葉で傷付ける夢、自殺を止めようと奔走するが無駄に終わる夢)も何度も見ます。 実際に家族が自殺したことで自分自身に起こる可能性も増えたように思います。私は小学生の頃から漠然と「自分は自殺で死にそうだな」と感じていたのですが、その感情が「いつか自殺を決行するんだ」と既定のイベントとして自分の未来に織り込まれたように思います。いつか実行できるように自殺方法なども調べ始めています。 発達障害から共同体で上手く立ち回れず、幼少の頃から抱いていた厭世観。正規就職したことも無く、友人もおらず、両親が亡くなったら生きていけないのでその前に自殺すべきだろうかと考え泣く夜が多いです。死にたくないけど、現状の世界情勢と未来の世界でも生きていきたくありません。人間社会のあり方に絶望します。 生きのびる為に、一緒に生きてくれる結婚相手を探しても、多くの男性が子供を希望しているさまを見て、「出産することは生を強制する残酷なこと」と考える自分には相手がいないように思います。 弟の自殺を聞いた時も、自殺したくなる理由や気持ちに共感できたし、未だにどうすれば彼がこの世界で幸せに生きていけたのか私には分かりません。生まれてこない方が楽で良いという価値観が自分の中では強いです。 上記の思いを沸々と抱えるばかりで両親には打ち明けられません。母は遠方の祖父母の介護問題で毎日気を揉んでいるし、父は弟の自殺現場で心肺蘇生を試み、未だにトラウマから悪夢を見ると言います。これ以上傷つけたくありません。 埋まらない孤独が心にあります。 良いこともあります。派遣先の先輩と話せるのが楽しくて。引きこもりで交流に飢えていた分、普通に人と世間話するだけで嬉しい。車で送ってもらっただけで感動しました。しかしそこでも自分は大人として認められず気を遣われている、薄い壁を張られているのが分かります。 どうすれば一般的な人間として生きていけるのか分かりません。発達障害で生まれた時点で自分は出生から間違っていた、淘汰される不良遺伝子なのだと思ってしまいます。

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よろしくお願いします。 相談内容は、もっと気楽に生きるためにはどのようにしたらいいのかご助言をいただきたいです。 私には連絡を送れば返事を返してくださる友人はいるのですが相手から連絡をくれることはほぼありません。そして、相談することはあるのですが相談されたこともほぼないです。私が頼れるような存在ではないからだと思いますが友人が他の方に相談をしていると知ると、私自身は友人のことを友人と呼んでいいのかも分からず、反対に自分は相手から友人と思ってくれているのかもとても不安です。6年前から病気を抱えており現在は左肘が曲がらない状態なのですが、病院で検査をしても異常が見つからずに肘が曲がらないのは心の影響かもしれないと言われています。周りは一生懸命働いているのに私は6年働いていないので怠け者と思われいてできれば私とは関わりたくないとも思われているのかもしれません。家族や友人、周りの方々には慈悲の心を持って誰にでも平等にしていきたいと思っているのですが最近はそれさえもできなくて、他人の幸せに嫉妬したりイライラしてしまいます。そして最近は自分を構ってもらいたいと気持ちが強くて、嘘をついてまで心配して貰いたい、人肌を感じたいと思うようになっています。このままでは私らしく生きることができずに後悔ばかりの人生となってしまうので助けて欲しいです。

有り難し有り難し 22
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毎度お世話になっております。三度目の質問、失礼致します。 今回は以前からの質問の地続きとなっているような内容になります。 ここのところ自己と向き合い自分を褒めたり、両親を立てるよう褒めたりすることで調和をはかろうと努力しています。どんな些細なことでもお願い事をしてもらったらありがとうと告げたり、何かをしていたらえらいじゃん、すごいじゃん、と声をかけたりしています。 その成果か、母はここしばらくやらかしが減り、それが自己を守ることにも繋がっています。 しかし、もとより他人、とくに両親から褒められた記憶が薄いせいか、承認欲求がとても強く、自分で自分を認めることで一時は満たされてもすぐに枯渇してしまいます。 自分だってほかから褒められたいのに、というフラストレーションで不満が溜まり前向きにしてみるという目標も度々挫折してしまいます。 もう少し大人になりたいのですが、不器用なこともありなかなかうまく自分を操縦することができません。 どうすれば、自分の中の子どもを暴れさせずに済むでしょうか。いま自分がしている自己分析などでは限界があるため、どうかお知恵をお貸しください。どうぞよろしくお願いします

有り難し有り難し 7
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生き方に自信を持ち、不安を手放すには?

普通に過ごしているつもりでも、後になって不安が浮かびます。 「あのときの自分の行いが原因で、こうなってしまうんじゃないか」と想像し、「誰かに迷惑をかけていたり、将来私にトラブルが降り掛かったらどうしよう」と嫌な汗が流れます。 数時間前のこともあれば十数年前のことでも不安になります。昔であればあるほど不安感が強烈です。一睡もできなかったり動悸がして生きた心地がしません。 昔は視野が狭く物事を深く考えていなかったところがあり、今の私からするとツメの甘いところや不安要素ばかりです。当時の私のせいで今の私に何か起きないか心配で仕方ないこと、どうすることもできないほど時間が経過していることで余計に不安感が増している気がします。 あまりにも後から不安になるので、「これまでの生き方すべてが間違っていたんじゃないか」「これからも不安を感じる生き方しかできないんじゃないか」と怖いです。 何をするにも億劫で、不安に勝る楽しみや喜びもなくなってしまいました。 後々不安になる生き方を無意識にしていること、強烈な不安感を拭えないことが苦痛です。 生き方に自信を持つにはどうしたら良いのでしょうか。 また、過ぎたことや起きていないことへの不安はどうしたら手放せますか。

有り難し有り難し 6
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前を向き生きていくには

大学卒業後、同じ会社で働くこと20年を超えました。働き方は積極的に出世、成長するというよりは、目の前の仕事を淡々とこなす生き方でした。それなりに忙しく、お陰様で生活には困らず、家族も持ち、平穏に暮らしていましたが、今年になり大きな疑問が生じました。果たしてこれが自分の望む場所、暮らし方なのだろうかと。多くの記事や本を読み、人に相談し、自分には自己肯定感がなく、本当の望みを押し殺して生きてきた事がわかってきました。 望む状態を考え、近づくよういくつか人生の転換を検討してみましたが、家族の生活維持を考えると住む場所・仕事は変更できませんでした。特別なスキルが無く、副業から拡げる人生も難しく感じています。一時は、どこへも行けない自分の人生の虚しさに、死にたいとまで思い詰めていましたが、自分の望みへの執着を手放し今に至ります。 結局、場所も仕事も、生活は何も変わっていないのですが、以前より無気力になり、頭に霞がかかっているような状態です。まだ先は長いかもしれない人生に諦めがついてしまい、いつ死んでも良いと考えています。 自業自得、これまでの選択の結果ではありますが、このような私に、今後前を向いて胸を張って生きれるよう、仏教から教えをいただくことはできますでしょうか。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 17
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