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愛猫を看取れなかった

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家族で大切にしていた愛猫が家から出てしまい、ずっと見つかることを信じて皆で探し続けましたが、先日、車との事故でこの世からいなくなってしまったことを知りました。

役所に収容されてしばらく経ってしまったためなのか、亡骸を引き取れませんでした。亡くなった場所の詳細も教えてもらえませんでした。

特徴や場所から間違いないだろうとのことでした。
今もいなくなってしまったことが信じられずにいます。

愛猫のことを想うと、痛かったよね。
苦しかったよね。怖かったよね。早く見つけてあげられなくて本当にごめんね。

最期に会えなくて、どこで亡くなったのかも分からなくて、供養も出来なくて、どんなふうに亡骸を対応されたのかも分からなくて、本当にごめんねと、何度も何度も悔やみ、悲しみ、その子のことを考えてしまいます。

最期を看取れなくても、遺体に会うことが出来なくても、どんな風な亡骸でも、事故に合ったとき痛くて苦しい思いをして亡くなったとしても、この子は今、幸せな場所にいますか?
痛みや苦しみではなく、安らかで幸せな気持ちでしょうか?
本当は天寿を全うして、最後まで側で看取りたかった、しっかりと供養してあげたかった。
それが出来ず、愛猫を想うと苦しいのです。
どうか、お坊様教えてください。
このようにこの世から去ってしまっても幸せな場所に行けますか?
またいつか生まれ変わって会うことができますか?
愛猫がどうか痛みや苦しみから開放されて幸せ楽しく過ごせるように、一緒に祈って頂けませんでしょうか。
長々申し訳ありません。心のままに書いてしまいました。
どうぞお力をお貸しいただけますと幸いです。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。

2022年11月22日 0:44

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

愛猫を看取れなかった

さくらさん、はじめましてこんにちは。ぎそうと申します。

失礼ですが、はじめに自分語りさせてください。

私は結婚後、すぐに子どもができなかったため猫を飼いました。猫は「こたろー」といい、3人家族となりました。
やがて、娘が産まれて家族が増えました。

こたろーも7歳を迎えた今年の8月、私は深夜にふと目が覚めて、リビングに行くと、窓が少し開いていました。こたろーは室内飼いですが、時々脱走します。
なので、こたろーがまた外に出てしまったのかと思いつつ、トイレに入ると外から動物の叫び声が聞こえました。すぐに外を見に行きましたが何もいませんでした。

それからは、涼しくなる時間に外を探す日々が続いたのですが、さっぱり見つかりませんでした。

2週間近く経ったある日、家族で外出しているとき、義父からこたろーの死体を見つけたと電話がありました。
できるだけすぐに帰るから待っていて欲しいと伝えましたが、私たちが戻ったときには、穴に埋めて供養してくれた後でした。どうやら、虫が湧いていて臭いもひどく、私たちに見せて、これ以上悲しませるのは辛いとのことでした。私は不満でしたが、その気持ちは有難いものでした。

こたろーが見つかったのは家から30mほどの場所でした。その辺りは何度も探していたのですが、死角になっていて気付きませんでした。
恐らくこたろーは窓から出たあと、何か他の動物に襲われて怪我をして、なんとか建物の陰に隠れて、死んでいたのだと思います。

残念で仕方なく、悲しみも言葉になりません。

苦しい日々が続きましたが、少しずつ荷物や写真を整理するうちに、
「もう帰ってこない」ことを認めざるを得なく、悲しみは尽きることはないですが、落ち着いています。

人も猫も、命あるものはすべからく無常です。
まだ若いから、いま健康だからといって長生きできる訳ではありません。
私も勘違いしていました。まだ何年も一緒にいられると。これは間違った考え方なのです。
悲しいことではありますが、命のはかなさを正しく考えることが第一歩です。
だから、猫も人も命を尊ぶことが大切なのです。

さくらさん、
楽しかった思い出はいつまでも私たちの心に残り続けます。心の中でこれからもずっと一緒です。そうしていられることが、幸せな場所だと思います。

喜んで一緒に祈りますから、猫ちゃんの名前を教えてくださいね。

2022年11月23日 1:03
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有り難し
おきもち


質問者からのお礼

ぎそう様、お忙しい中、あたたかいお返事本当にありがとうございました。
心が悲しみの渦の中から抜け出せずいました。お坊様のお話しを聞いて、ぎそう様の悲しみ、痛み、苦しみ、そして猫ちゃんへの愛しい想いが、自分の気持ちと重なって、心に刺さりました。
お辛い経験を、私のために話して頂いてありがとうございました。悲しい出来事を共感してもらえることは、こんなに気持ちや感情が救われるものなのですね。

心の中が幸せな場所だと、教えてもらえたこと、とても救われました。
一緒に居てくれて、幸せいっぱいにしてくれたこの子に感謝します。
そしてこれからも心の中にこの子を大切にします。
一緒に祈ってくれると言ってもらえて、この子を自分で供養出来なかった後悔で苦しい気持ちも、ぎそう様に助けてもらえました。
愛猫の名前を私のプロフィールに載せました。ぎそう様どうか心よりよろしくお願いいたします。
ぎそう様にお祈り頂けたら、愛猫も幸せに天国で過ごせます。
本当に本当にありがとうございます。

「ペット・大切なものの死」問答一覧

私が死なせた子は罪を気付かせる役目で?

いつもありがとうございます。 今回も私のせいで、苦しめた挙げ句に死なせてしまった愛犬関連の質問をさせてください。 約一年前に愛犬が亡くなりました。 何度も質問させていただいているとおり、確実に私のせいです。 ここには書いておりませんが、あの子の犬生は私のせいでつらく悲しい寂しいものでした。 あの子を死なせたくせにそのことにも気づかずのうのうと暮らしていた愚かすぎる私が、ある日突然その罪に気づきました。 自分が死なせたこと、苦しめたこと、あの子を振り回してつらく寂しい生き方をさせ続けたこと…。 そして、愛犬のこと以外にも本当に多くの罪を犯してきました。 それらのことはわかっていながら、たいして気にもしていませんでした。 本当に最低すぎる私ですが、罪を気にすることもなくのうのうと、むしろ幸せだとか思い込んで生きていたのです。 愛犬への罪に気付いてから激しい後悔と自責の念に襲われ、自傷や薬とアルコール乱用に苦しむ日々でした。 hasunohaに出会い、縋り、有難いお言葉をたくさん拝見し、仏教を知り、今までの罪を深く反省し過ごしています。 全く悟りなどとは程遠い私ですが、それでもせめて虫なども殺生しないよう、食べ物にも感謝し、間違った行いをせぬよう心掛けています。 毎日懺悔文を唱え一日の反省をしています。 こんなことで罪が消えるとは毛頭思っていませんが…。 前置きが長くなりましたが、愛犬への罪に気づかなかったら、今までの他の膨大な罪を反省することはなかったでしょう。 そしてこれからも罪を重ね続けていたと思います。 仏教の本を読んでいて愛別離苦に苦しむ人の話で「仏様が姿を変えて現世に来てくれ、気づかせてくれたのだ」というものがありました。 あの子が仏様だったと思うわけではありませんし、あの子の生まれてきた意味が私ごときのためにあるとは思えません。 それでも…あの子は愚かすぎる私に、罪に気づかせる役目を背負ってしまったのでしょうか? 苦しむばかりの生き方をさせてしまって、懺悔しかありません。

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ペットの死後の世界は

とても懐こくて家族で可愛がっていたハムスターの福ちゃん(1歳4ヶ月女の子)が一昨日旅立ちました。 年末に脇の下に小さなしこりを見つけ、呼吸も少し早くなり動物病院へ行こうとした日に家族全員がコロナ感染。療養中も気にしてうつさない様に気を付けながらお世話をし、療養期間が空けて直ぐ動物病院へ駆け込みました。 超音波とレントゲン検査をした所、皮下腫瘍の他に内臓腫瘍が幾つも見つかり、呼吸は胸水によるもので手術は逆に危険なので不可。残された日を一緒に大切に過ごして下さいとの事でした。 出来る事ならば痛みや苦しみを最小限にしてあげたい訴え、病院から内服薬を貰って毎日お世話をする中、眼球突出して両目を失明…福にとっては壮絶な闘病生活だったと思います。 安楽死も頭に浮かびましたが、それは全て自分の都合だと思い、福が命を全うするまで寄り添う覚悟を決めました。 それでも自分が決めた選択は正しいのか?どうしてこんな事に?コロナに罹らないでもっと早くに病院へ行っていれば助かったのでは?と自問自答して気持ちが揺らぐ毎日でした。 満足に動けない中、撫でて欲しいと近寄って来ては「いい子ね」と抱き上げ、お腹が空いていないか?喉は乾いていないか?と常に気にかけていましたが、どうしても出掛けなければならない用事があり、ほんの少し娘に託している最中に「福が逝ってしまった」と電話が掛かって来て、急いで帰宅すると眠ったままの体勢で息を引き取っていました。 安らかに逝けたかな?と想像する事しか出来ませんが、その瞬間を看取ってあげられなかった悲しみや後悔の他に「これで痛みや不自由さから解放されたね、楽になれたね、頑張ったね。」といった安堵の様な気持ちもあります。 昨日家族皆で立ち会い火葬をして貰い、骨も拾い上げました。全ての骨が崩れる事なくしっかり残っていました。まだ気持ちの整理がつかずに片付ける事が出来ないゲージの中に骨壷を置き、お花とご飯、おやつをたっぷり供え、福は静かに眠っています。 (暖かくなったら遺骨を樹木葬にしてあげたいと思っています。) あの子と一緒に過ごせた日々はとても愛おしくて幸せな時間でしたが、福も同じ様に幸せだったのでしょうか?無事に向こうへ辿り着けたでしょうか?腫瘍による多臓器不全や浮腫で満足に動けず、視力も失って逝ってしまった福はあちらの世界でも不自由なままなのでしょうか?

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愛犬が亡くなりました。 もうすぐ16歳だから盛大に祝おう、ケーキでも買おうかなんて話してた矢先に、突然ごはん食べなくなって、次の日には動けなくなってそのまま逝ってしまいました。 小型犬でしたし、平均寿命から考えて老衰と言えます。仕方ないことだと、頭は理解しています。でも、心が追いつきません。 ほんの数日前まで歩いていたし、ご飯もちゃんと食べていたんです。それが、ほんの3日で突然いなくなってしまいました。 私の人生の半分以上、寄り添ってくれた子でした。小さくて可愛くて、ちょっとだけわがままだったけど、本当に良い子でした。 もういない、抱きしめられない、撫でてあげられない、と思うと悲しくて寂しくて、泣き暮らしています。もっとああしてやればよかったとか、たくさんの後悔もあります。同じくらい、あの子との幸せな思い出もたくさんあります。でもつらいです。 人は忘れる生き物だと言いますが、この愛も悲しみも思い出もいつか忘れてしまうのかと、そう考えるのも哀しくなります。 愛犬の死とどう向き合えば良いのか、あの子への愛をどうすれば良いのか、忘れるべきなのか、死を受け入れて諦めるべきなのか、自分の気持がぐちゃぐちゃで、どうして良いかわかりません。 助けてください

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ほんのつい2時間前、飼い猫が目の前で亡くなりました。その子は5.6年前に中庭に遊びに来ていた子でだんだん懐いてきて、流れで飼うことになった子です。ほんとに甘えん坊で、寝る時も一緒、私が自分の部屋にいる時は気づけば後ろで寝ていて、目が合えば嬉しそうに伸びをしながら頭を思いっきりぶつけてきて抱っこしてくれるのを待っているような子でした。ただやはり野良猫だったので気を抜くとすぐ脱走して、そのくせ弱いので傷だらけで帰ってきたり、去年はオムツをつけたまま1週間半脱走したせいで下半身の皮がほぼ全部めくれるほど酷い怪我を負ったりもしてました。それでも毎回必ず外に置いてる犬小屋の中で寝ながら待っていて、お風呂に入れてもずっと甘えてきて、体を乾かしてご飯を食べたらずっと一緒に寝ていました。 今日もいつも通り帰ってくるとリビングで寝ていて、構ってあげたいと思いながらもテスト勉強があったのでそのままほっといて2階の自室でご飯を食べてました。最近中庭に別の猫が来てるみたいで、ちょうど私が2階にいるときもその子が来ていたらしく下でにゃんにゃん鳴いている声が聞こえていました。暫くしてやけに声がうるさいと思ってよくよく聞いてみたら外から声がしていたのでまさかまた脱走したのではと下に降りると、案の定突っ張り棒をしていたはずの引き戸空いていて網戸が破られていました。暫くは2匹で唸っていたのですがさすがに近所迷惑だと思って止めに入るといきなり喧嘩し始めて、弱いうちの子はそのまま段差から一気にコンクリートに打ち付けられて上を向いたまま動かなくなりました。慌てて抱き起こしましたが骨が無いような感覚を感じて、瞬間的に死を感じました。すぐ布団に寝かせて泣きながら起きろと何度も呼びましたが、数分後には動かなくなりました。 さっき箱の中に入れてきましたがほんとに寝てるみたいで全く実感が湧きません。今年おばあちゃんが死んだのですがその時も母が情緒不安定だった一方で、私は他人事のようにずっと冷静でした。ずっと可愛がっていたのでふとした時に涙はでますが、それ以上の感情がわかないです。寂しいし、あの時部屋に連れてきてあげれば、仲裁に入らなかったら死ななかったんじゃないかとか、後悔はしていますが虚無感の方が強いです。大好きだった子なのに悲しくならない自分が気味悪くすら感じます。これはなんなのでしょうか

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ペットロスについて

もうすぐ19歳になる愛犬を老衰で、亡くしました。年末年始の休みの最初の日で、単身赴任中の夫も一緒にみんなで抱きながら看取ることができました。 ですが、後悔ばかりで苦しいです。 あんなに溺愛していたのに、私に子どもが産まれてから子ども中心になり、あまり遊んであげなくなったと思います。 私がかなり神経質になってしまい、いろいろ上手く出来なくなりとてもイライラしていたと思います。 そんな中で、徐々に認知症の症状が出始め、夜泣きや無駄吠えが多くなり何回も叩いてしまいました。叩くと吠えるのをやめるからくせになってしまっていました。思い切りではないですが、なかなか吠えるのをやめない時は少し力をいれました。 トイレの失敗が増え、晩年はサークルに入れていることが多く、毎日出してましたが、庭か室内を歩かせるぐらいで、以前のようにあまり抱っこをしてあげなかったような気がしています。 散歩には行ってましたが、足腰が悪くなってきてからは毎日行かなくなりました。コロナ禍で夫が単身赴任になり、帰ってきても子ども優先で遊ぶようになり、犬は二の次になりました。 犬を出している間はずっと見とかないといけないので、時間が限られており、仕方ないとは思うのですが、犬は夫のことが大好きだったので、寂しい思いをさせてしまって申し訳ないという後悔で心がえぐられます。 亡くなる2ヶ月前くらいから、本当にいろいろ失敗が増え、トイレの片付けや汚れた体を洗って毎日頑張ったとおもいます。ですが、亡くなる一ヶ月前に歯槽膿漏になってしまい、そこから認知症のような症状が、悪化したような感じがして、なんでもっと早くに気がつかなかったと後悔だらけです。 文句いったり、ため息をついたり、何で笑顔で頑張れなかったのだと自分を責めてしまいます。 最後の10日くらいは犬が本当に悪くなってきたので優しく頑張れました。 涙がとまらないです。もっともっと寄り添って優しく抱っこしてあげながら介護してあげたかった。 いつも心に余裕がなく、これでもいっぱいいっぱいだったと思います。 ずっと蔑ろにしていたわけではなく、もちろん可愛がっていました。ですが、負の記憶ばかり蘇ってしまい苦しいです。楽しかったこともいっぱいあります。 本当に自分の性格が嫌いで、でもずっとそばにいてくれた愛犬に対して申し訳なさと後悔でいっぱいです。 早く会いに行って謝りたいです。

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愛猫の死で気が狂いそうです

 私が12歳の時から16年間連れ添った愛猫を先日亡くしました。 長いですがきいていただけますか。  彼女は腎不全を患い、2年に渡り自宅で皮下点滴や投薬を続けていました。 元々は家族で可愛がった猫でしたが、両親もきょうだいも引っ越し、最後の1年は私が実家でひとり面倒を見ていました。  闘病と言えど穏やかなもので、坂道を下っては緩やかに持ち直す日々でした。が、ある時を堺にたがが外れたような食欲を見せます。欲しがるままに多めに食事を与えれば、翌日一日中下痢や嘔吐に苦しむ。かといって規定量の食事では満足できず、私が在宅勤務をしている横で、一日中大声で鳴き立てました。そんな日々が数ヶ月続き、私は疲れ、苛立ち、およそ生き物と暮らす人間がすべきではないひどい仕打ちを数回、行ってしまいました。  騒がしい日々は、思いのほか呆気なく終わりました。腎不全とは別の持病のために食事に口をつけなくなり、みるみる痩せ細り寝たきりになり、看取りに備え家族も駆けつけました。それまで何度も持ち直した気力もどこへやら、かかりつけ医の余命一週間の見立ての翌朝、家族全員が起きてきて囲むやいなや、ため息をつくように彼女は息を引き取りました。  人生で初めて迎えた猫でした。家に子猫がやってきたワクワクだとか、1人泣いている夜に布団に潜り込んできた温もり、予想外のいたずら(賢い子でした)、嫌な治療にも決して人間を傷つけるような暴れ方をしなかった優しさ、温かな思い出がたくさんあるのに、あのとき自分がしてしまった仕打ちばかりがフラッシュバックします。  保健所から家庭に迎えられ、猫の平均寿命を全うした彼女を不幸な猫と呼ぶ気はありません。ただ自分のことが許せないです。彼女にも許して欲しくない、むしろ罰して欲しいとさえ思います。彼女を思い出すたび悲しくて愛しくて自分が腹立たしくてもう気が狂いそうです。触れたくて見つめたくて呼びたくてたまりません。失って初めてなんてあまりにも莫迦だと思います。  以下ご相談です。  週末には弔ってくださったお寺からお骨を引き取ります。こんな煩悩の塊のようなぐちゃぐちゃな状態では彼女に顔向けできないと思う一方、晴れやかに「今までありがとう」だなんて白々しいと思うのです。  私はどんな心持ちで彼女を迎え、また見送ればいいのでしょう?

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今朝猫が旅立ってしまいました。

保護猫を2匹引き取り1匹はとても最初から元気な猫ちゃんでした。 もう1匹は保護した時点で生きれるかどうかという感じでしたが獣医さんや色々な人のお世話で命を繋ぐことが出来ました。 そうして我が家に来てくれてゲッソリだった体も丸々して、心配されていた病気も改善され他のペットとも仲良くしてくれてとっても可愛くて優しいオス猫ちゃんでした。 ですが、今回親子そろってコロナ感染し思ったより症状がひどく猫ちゃんの体調不良に気付くのが遅くなったこと、更に前にも同じような症状になっても薬を飲んで大丈夫だったので、祝日で病院も休院だったので明日朝一で病院へ連れて行けば大丈夫と勝手に判断してしまった結果… 病院に行ったら思ったより症状が酷い状態でした。 それでも何とか治療と手術を行うことで今後の猫ちゃんの病気が楽になったり寿命も長くなると思っていましたし、病院の先生もそう思って手術をして下さいました。 ですが、体力的に厳しかったのか手術は成功しましたが、手術から数時間後に旅立ってしまいました。 先生から連絡を受けた時にはもう死後硬直も始まっていて、看取ってあげることもできませんでした。 手術をして元気になって帰ってくるものだとばかり思っていたので旅立ったと聞いた時はなんで??と理解できませんてました。 でも先生の話しを聞いたり、保護猫なので保護猫団体の方に連絡したり、心配してくれていた友人に連絡することで少しづつ気持ちも落ち着いてきました。 けどやっぱり猫ちゃんの気持ちは猫ちゃんにしかわかりません。 なので、どうしても私が早く病院に連れて行ってあげれてたら違ったのでは?? なんで明日で大丈夫と判断してしまったの??と責めてしまいます。 1人で旅立たせてしまってごめんね。という気持ち… こんなママでごめんね。という気持ち… 泣いても泣いても落ち着かせてもやっぱり泣けてしかたがありません。 本当に可愛い子でした。 とっても我慢強い強い子でした。 まだ3歳8ヶ月、保護猫で頑張って命を繋いで我が家に来てくれたのにこんなに早く旅立たせてしまって… ありがとう。大好きだよ。短い期間だったけど本当感謝してると伝えたい。 でもやっぱりどうして…と後悔が… 文章も読みにくいと思いますが、勝手かも知れませんが相談せずにはいられませんでした。 何かお言葉があればお叱りでも何でも聞かせて頂きたいです。

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ペットが祖父の後を追うように虹の橋を渡る

2020年12月25日に長年病と闘っていた母方の祖父が永遠の眠りにつきました。 悲しみに暮れていた折、年明けの1月11日に最愛のペットであるハムスターの男の子が虹の橋を渡りました。 齢で言えば3歳ほどと平均寿命に近く、我が家では2年半以上を共に過ごしてくれました。 私が通院している間をずっと共に過ごしてくれていた光のような存在でした。 身近な大切な存在を同時に失った空虚感にどうしても耐えられず、再び不眠と抑うつ状態になってしまいました。 家族からの助言もあり、初代の子が亡くなった翌々日に、二代目のハムスターの女の子を我が家へ迎えました。 同じ毛色の子を迎えるのは本当に身代わりにするようで、2匹に対して失礼で可哀想なので、まったく異なる毛色の子をお迎えすることにしました。 しばらく経つと、父方の祖父に重篤な病が見つかり、手術と入院を繰り返すも、ほどなくして眠りにつきました。 悲しむ私の心に灯りをともしてくれたのが、二代目の女の子です。 奇しくも母方の祖父の命日の前日である、2022年12月24日に虹の橋を渡りました。 2歳になったばかりで、我が家で過ごしたのは11ヶ月半でした。 前日晩も元気にご飯を食べて動き回っていたのに、原因不明の急死でした。 苦しみにもだえながらではありましたが、私の掌の中で家族と見守りながらお別れできたことだけが唯一の救いです。 その日の夜、泣きながら眠りにつくと先代の男の子が夢に出てきました。私の指に静かに撫でられているので「2代目の子は?」と聞きましたが、静かに私を見つめるだけで、気がつくと消えていました。 母は「2代目の子はあなたを支えてきて、もう大丈夫だと思ったから役目を終えて眠りについた。 初代の子は、2代目の子をちゃんと導くからねとあなたに言いに来たんだよ。次はあちらにいるじいちゃん2人を見守るために行くんだよ」と言っていました。 「ペットは飼い主を選んで生まれてくる」「役目を果たすと命を終える」という話もみかけたのですが、流石に人間に対して都合が良すぎると感じてしまいました。 何か運命的なもので定められた出来事なのでしょうか。 また、最期に苦しませてしまってずっと後悔と申し訳なさを感じています。 家の都合でペット葬ではなく、共同墓地のようなところに入れざるを得ず、彼らが見捨てられたと思っていないか不安です。

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