愛は何か
自分の人生を振り返ってみると、生き抜くということに、かなりがむしゃらになって生きてきたな、。と思いました。
幸せは自分の中にあって他に求めるものではない。という持論が出来上がりました。
自分が幸せを探すのは、いつも幸せの中にいるから幸せが当たり前になってるせいだ!というところに行きつきました。
ですが、子供を亡くした時、子供の父親に酷い扱いを受けて捨てられたとき、
病気になって体が不自由になったとき、
酷く苦しくて、どんな死に方でもいいから誰か自分を殺してくれないか。と思いました。
お湯のシャワーが浴びれるだけで幸せを感じる自分と、気を抜くと入水でもしそうな自分とがあって、極端に振れています。
私の感覚だと、喜びよりも悲しみを大きく感じてしまう事があるのですが、
悲しみの中から喜びを見つける事に意味があるのか!に行きつきます。
これは引用ですが、
生きる意味は、自分に価値を置いてくれる人がいるかどうかで決まるという人もいるし、愛や家族や恋人、宗教だと言う人もいるし、人生に意味などないと言う人もいる。
私は生きることは愛だと教わりました。
そう信じています。
ただ愛もやっぱり自分の中にあって他に求めるものではないのかなぁと思います。
愛とはなんですか??
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ゆず 様
「私は生きることは愛だと教わりました。そう信じています。」と
隣に居る人も、近くに居る人も、周りの人も、みんなそう思っているから
「自他ともに尊重する」ということが本当の愛でいいんじゃないですか?
「自分が愛おしい」横にいる他人も同じように「自分が愛おしい」と思っている
だから、自他ともに平等に見て尊重することが大切だと思います。
追伸:お礼メッセージありがとうございました。
短文で回答しましたが、あなたは、辛い体験、苦しい体験をサバイブしてきたのですね。生き抜くことにがむしゃらにならざるおえなかった。そう思います。
そんなあなただからこそ、あなた自身があなた自身の愛を語る必要があるかもしれませんね。私が伝えた自他尊重は、一人でしまっておくものではありませんから、あなたが感じたままに、繋がりや絆や支えとなる愛を伝えていいのですよ。さらに、自分らしく生きていいんですよ。自分の人生は自分が主人公ですから。
そして誰にでも心の奥底で持っている普遍的な愛、仏教でいえば「慈しみ」を発揮してください。
「無量の慈しみの心を起こすべし。また全世界に対して無量の慈しみの意(こころ)を起こすべし。上に下にまた横に、障礙なき敵意なき、慈しみを行うべし。立ちつつも歩みつつも座しつつも臥しつつも、睡眠を離れたる限りはこの心遣いを確立せしむべし。この中においては、この状態を崇高な境地と呼ぶ」
お釈迦様の言葉をかみしめながら、あなたに次の言葉でエールを送り祈念したいと思います。
「あなたが幸せになりますように」
「あなたが安穏でありますように」
合掌礼。
追追伸:再度、お礼メッセージありがとうございました。「今は幸せ」の言葉に私も嬉しく思いました。ご縁に感謝申し上げます。再礼
☆お礼が遅くなりました。「おきもち」ありがとうございました。今後も精進してお参りたいと思います。また心が乱れた時にはどうぞ遠慮なくお気持ちをお話しください。合掌御礼
質問者からのお礼
釋 孝修 様
ご回答ありがとうございました。
自他ともに尊重する。
自分も他人も愛している。
ちょっと難しく考えすぎてしまっていたかも、。
言葉にできないことや、目に見えないことも愛と思って行きたいです。
ありがとうございました。
釋 孝修 様
ご回答の追記ありがとうございました。
私が生きてきた人生から学んだ愛を大事にしたいです。
戦争や争いの世界で、人が沢山亡くなって、誰かの犠牲や悲しみの上に自分の幸せや平和や愛があることはわかっていて、矛盾や葛藤もありますが、1人の人間の見つけた愛にも意味があると思って生きて行きたいです。
辛いこともありましたが、今は幸せです。
ありがとうございました!
⭐︎少額ではありますがおきもちを送らせていただきました。
いただいたご回答にとても勇気付けられました!
ありがとうございました!