満たされすぎて欲望がない。
25年来の友人からの相談です。
彼女曰く
やりたい事は全てやってしまって
自分の人生に満足しすぎていて
生きるということにさえ執着が無くなってしまった。
お金も子供も仕事もパートナーも友人も満足しているし
世界中で行きたいホテルは全て泊まったし
世界旅行も何回もしたし
三つ星レストランも海外の行きたいところは全て行ったし
家も高層マンションを自分の思い通りにリノベして住んでいる。
投資がメインなので仕事をしなくても良いのだが
子供の教育上働いていないのはよくないと考え
一応、会社を何個か経営していて
仕事は至って順調。
コロナ禍でも経営状態はむしろ好転しているとのこと。
先日の地震があってめちゃくちゃ揺れて
このまま死ぬかもしれないと思った時に
全く怖くなく、死ぬのもアリだと感じてしまって
今までも満たされすぎて欲望がないと思っていたが
生きる欲望さえもないということに気がついてしまったとの事。
普通の人たちが欲しがっているものはとっくに手に入れていて
今は興味も無くなっている。
周囲の人たちが喜んでくれることは嬉しいけど
死んでもこの人たちを幸せにしたい!
とは思っていないとの事です。
何物にも執着しないことが
自分の夢を最速で実現するために必要だと気がついて
執着することを徹底的に排除してきた結果
本当にやりたい事さえ無くなってしまって
燃え尽き症候群のような感じで生きているとの事です。
この様な方は、どうすれば良いのでしょうか?
もう、解脱の領域に近いため十分に生き切ったので
いつでも死んで良いものでしょうか?
どうやったら、世の中のためになることへ
目を向けてもらえるのでしょうか?
という思いは私が勝手に思っていることで
残念ながら彼女は地域とか国とか世界とか地球のためにとか
そんなことは考えもしない、と言っておりました。
でも、私に相談してくるということは
何かしらもう一度欲望というものを取り戻してみたいと
感じたからなのだと思います。
私は普段は目標に向かってゆく方々のお手伝いをさせていただいておりますが
目標を全て達成した先に目標が見つからなくなってしまった人の相談は
初めての経験で、どうやって解決してゆけば良いのか分からなくなり、
もしご存知でしたら教えていただけますと嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
寿命が尽きるまで適当に
寿命が尽きるまで適当に生きれば良いと思います。
お釈迦様の場合、自分のためにやるべきことを全てやり終えた(修行が完成してこの世で成仏した)後は、他人からの求めに応じて死ぬまで教えを説き続けました。
つまり、お釈迦様は世間のニーズに応えるために死ぬまで生きたのです。
お釈迦様のように執着や怠けの煩悩が無い場合は、他人のために軽々と活動できます。
世の中を超えることに挑戦してみては?
釈尊は、最初は、世の中でうまくいっている、恵まれている人々を弟子にしました。彼らは徳にあふれていて何事も順風満帆で、世の中に飽きていて、もっと何か挑戦できるものはないかと探していました。
そこに、とうとう悟りを開いた人が現れたと聞き、行ってじかに話を聞き、では自分も、と弟子入りして、すぐに悟りを開きました。
悟りを開いたら、飽きた、とか、もっと何かないかという暇を持て余す気持ちも消えます。一瞬ごとが瞬間に変化生滅し続けていることがありありとわかり、自分もその一つの現象の連続だとわかり、虚しさどころか、生き生きと残りの人生を生きることができます。
現代日本では、スマナサーラ長老が、簡単明瞭な日本語でいろいろ教えておられます。YouTubeや本などを紹介してみてはいかがでしょうか。