以下のような性格が悩みです。
このままでは不安の最中孤独死すると思いつつ何をしていけば良い方向に変わっていくのか分かりません。ご意見いただければ幸いです。
コミュニケーションのパターンがマウントをとるか卑屈になって依存しようとするか何もしないかのだいたい3パターン
相手の吉報や嬉しかった、楽しかった話、褒められている場面を見る、聞くとほぼ確実に不公平感(嫉妬?)を感じて不快になる。逆に他者の悲報を聞くと肩や腰のこりが取れるようなリラックスする感覚を覚える
一方で自分の力では何も変えられないと思っている部分があり、困った時は努力で何かを変えようとせず、なるべく欲しい物(承認欲求、安心感など)を得られる外部を常に探していて所属しようとするが長続きしない
就労移行支援施設を経て 現在在宅勤務の会社員です 両親や職場には恵まれていて多くの支援や気遣いいただいていますが、他者に対して尊敬の念や何か助けになりたいと思える感情を内発的に抱くことができません。また、食べることには困っていないのですが、「生きるためにこれをしていたい」といった動機や自分はこうありたい、こうしていたい、という指針のようなものが無く空虚な感じがします。 今の時点では大きく以下のようなことを求めているのだと思います ・他者と対等な人間関係を築けるように なりたい ・自身の生きる糧を見つけたい もしくは何がしたいのか自分で自分 のことが分かる状態になりたい
他者を見下しながら一人では何もできないと思う不安があり、他者の好意や善意に依存しようとする
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いろいろと自己分析をされているようですが、
そもそもの原点に返って自分が思っている良い方向とは何かをもう一度しっかり考えることが大切かもしれません。
不安は誰しもが抱えています。
どんなに煌びやかな世界に見える人たちであっても人間必ず不安や痛み悲しみを抱えています。
周りから見ているとそれに気がつかないだけであると思います。
自分だけが不安な世界を過ごしていると思っている時に私たちは地獄を感じます。
孤独死は社会が抱えている問題で、個人が抱えるべき問題ではないと私は思っています。
自分を変えるということはとてつもなく難しいことです。
自分が生まれる前の歴史、生まれてから出会ってきたすべて(仏教では宿業などというかもしれません)を乗り越えて変えていかなければ自分は変わりません。
他人の幸せに嫉妬して、他人の不幸を笑うのは普通の人間です。
誰しもがそういう面を持っています。
心配なさらないで
しかし嫉妬や嘲笑は人にあまり好かれません。
自分のちょうどいいを探すことがいいのかもしれません。
こんなんで回答になっていましたでしょうか?
ご回答いただきありがとうございます。
自分の思う良き方向がどういったものなのか探っていきたいと思います。
ありがとうございました。