最低な自分でも生きてていいのか
自分は、何か嫌な事があったら甘えれる人に沢山我儘を言い、悲しませ、
そして自己嫌悪し希死念慮に囚われ、
大切なパートナーの人生と夢と時間など壊しました。
どんな理由があれど、それを理由に人の人生を壊してなんていけないです。
本当に人として情けないです。
自業自得で、大切な人の沢山の周り(老若男女問わず)から離れろ、この人といると幸せになれないと沢山言われました。
それでも大切な人は人生手遅れと言いつつ、傍にいてくれます。
また、自分のした大きすぎる決断に相手は付いてきてくれた為、これから自分と大変な想いをする事になってでも、傍に居てくれてます。人として優しすぎます。
その優しさに甘えてた自分が本当に情けない。
死ぬ事は解決しないし責任逃れなので、
死にませんが、これまで沢山の人を傷つけ、悲しませ、自分の我儘のせいで相手の夢人生希望健康も奪いました。
どうやって懺悔し、償い、これからどのような心構えで生きてていいか分かりません。
また、周りから疫病神のような扱いをしっかり受けとめ、それでも受け入れた上で生きててもよいでしょうか?
こんな罪深い自分に助言をして頂ければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「塵を除く、垢を除く」
あい 様 相談ありがとうございます。
お釈迦様のお弟子で、シュリ・ハンドクというものがいました。
とても愚かで、何か月たってもお経の一つも覚えられなかったそうです。
周りの弟子たちからバカにされ、追い出されそうになったそうですが
お釈迦様は、シュリ・ハンドクに一枚の布を与え、「塵を除く、垢を除く」と唱えさせながら、ひたすらお堂を掃除させたり、他の弟子たちの草履を拭いたのだそうです。彼はそれにより、落とすべき汚れとは、貪(むさぼるこころ)、瞋(いかる心) 、痴(おろかなるこころ)という心の汚れだと悟り、すべての煩悩を滅して、やがて覚りの道へ進んでいき、お釈迦様の立派なお弟子様と言われるぐらいになったそうです。
周りから疫病神と言われるのでしたら、今度は福(拭く)の神といわれるぐらいに、シュリ・ハンドクのようにどこでもいいので無心に掃除をなさったらいかがでしょうか。小さなことでも、他者への貢献感をもって、見返りを求めず、ひたすら奉仕精神で行ってみたらきっとあなたの罪深さが償われ、生きていいと思うようになり、自己嫌悪や希死念慮はなくなるでしょう。
参考にしてください。一礼
質問者からのお礼
ご回答頂きありがとうございました。
モヤモヤして抱えていた悩みを聞いて下さったのと、それに対する償い方も教えて下さり、本当に助かりました。