読経していただいた時に名前を間違えられた
ねこ太郎女性/30代
身内が亡くなった時に読経していただいたのですが、その中で名前(具体的には名字)を間違われたのですがちゃんと供養できているのかとても気になります。
当時、読経の後にお坊さんにお話ししようとしたのですが、親戚に止められてしまいました。振り切って質問すればよかったと後悔しています。
普通ではない亡くなり方だったので、出来ることはしっかりやりたいと思っているのですが、読経で名前を間違えられても効果はあるのでしょうか。。
教えてください。よろしくお願いします。
2022年12月28日 5:28
この問答を娑婆にも伝える
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
功徳(くどく)はある
読経や念仏や瞑想や持戒(道徳を守る)や布施(無償サービス)など、善い行いをすればするほど、心に善い癖(功徳)が積もります。
お坊さんだけが読経するより、その場にいる人々それぞれが読経をきっかけに仏教に興味を持ったり仏法僧を尊敬したりすれば、一人一人の心に功徳が積もります。
功徳が積もると悟りやすい性格、悩み苦しみストレスを感じにくい性格になります。
その功徳を、亡き人のために捧げますと宣言する意味で名前を読み上げたりするのですが、名前が間違ったから功徳が無駄になるわけではないと思います。
ただ、反対に、欲望・怒り・嫉妬・ケチなどの悪い感情や、悪い言動をすると、心に悪い癖(悪業)が積もり、悟りにくく悩み苦しみやすい性格になります。
お坊さんの間違いに対して怒ると、せっかくの読経の功徳(善のカルマ)を悪業(悪のカルマ)で帳消しにしかねませんので、読経の功徳を喜び、名前の間違いには怒らないように、悩み苦しみストレスのない思考回路を心がけましょう。
2022年12月28日 12:52
{{count}}
有り難し