人間不信になって生きづらい
私は以前書きました毒親の件などの事や、あまり昔から友達等に恵まれなかったせいかひどい人間不信を患ってます…はっきり言って人は嫌いです。
あんなに仲が良かった友達だったとしても突然裏切られたり、いい人だと思っていた人がある日嫌な奴になってしまったり、いい人かと思ったら影では悪さばかりしていた事が発覚したり、悪人も悪人で幼少期は良い奴だったり、元は普通の人だったけど何か悪い奴にならざるを得ない大変な事があったり…
人間って、いい人も悪人もいい事もするし悪い事もするし、どちらの人も見方を変えれば良いも悪いも色んな面が見えてくる。有名な学者や芸能人、あるいは聖職者と言われる人の中にも変なやつはいるし、だけどいい人同士だからと言って分かりあえるとも限らない。そのせいで混乱する。
人は口ではああ言っていても腹の底では正反対の事を思ってる事もある。正直わからなさ過ぎて恐怖のようなものすら感じます。知ろうと思えば思うほど混乱してどれが本当のその人なのかもわかりません…
確かに友達などはほしいと思いますし、困った時は誰かに悩みも打ち明けたいですが裏切られてしまうことがすごく心配です。
人が怖いとはいえ人は社会的な生き物ですし、関わりを完全に断絶するわけにもいきませんし、生きていくにはどんな心構えで人と関ればいいでしょうか?
また、混乱している世の中ですがどういった人を信じ、友達に選べば傷つかず済むのでしょう?
話が長くなりすぎるので今回は割愛しますが、友達ができて最初こそいいですが途中から「自分を捨てない限りアンタなんか一生幸せなんかならない!!」とか「顔デカ」「サイコ」など酷い事ばかり言われたり冷遇されるようになり(念のためお伝えしますが私は一度も彼らを口汚く罵ったりしたことはありません)結局絶交して…友達の作り方もわからなくなりました。宜しければお坊さんの友達の作り方を教えてもらえますか?長文すみません…よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どんな人を望みますか。自分がそんな人になる。そこに人が集まる
今までの質問も読ませてもらいました。
あなたの周りで、人に恵まれなかったというのが大きいですよね。心を許していた人から傷つけられれば、人が信用できなくなりますものね。
私たちは、他人の一部分を見て、良い人、優しい人、素晴らしい人と判断しているのだと思います。どんな人にも、表向きの顔がありますし、そうやって気を遣いながら付き合っている部分があります。裏の顔もあるでしょう。素顔です。親しい人に見せる顔です。リラックスしている時には、本心も出ます。また醜い姿が潜んでいる人もいるでしょう。皆、それぞれに使い分けているのかもしれません。聖人君子を探す方が難しいのかもしれません。
どこまで人を見るのか。自分が見ている部分だけでも、惹かれるなら、その人の良さとして付き合っていけばいいと思いますし、裏表に幻滅するのなら、それもまた判断の基準ですね。
人付き合いに傷つくこともありますが、私もまた誰かを傷つけているかも知れない。知らず知らずのうちに、お互い様なのでしょう。そんな経験から、人は学び成長もしていきます。人を見抜く力もついてきます。
友達ってね、何でも言い合えて、何でも知っている仲とも限りません。私の友達は、必要以上に干渉しないけれど、相手を気遣って気持ち良く付き合える人たちです。もちろん、私もそんな付き合いがラクで、リラックスできますし、私もそんな距離感でお付き合いをしていますよ。
あなたは、どんな人を望みますか。
まず、自分がそんな人になっていく。そうすれば、それが居心地がいいと感じる人が、付き合ってくれるようになりますよ。それが友達と呼べる人なのかも知れませんね。
質問者からのお礼
なかなか返事ができずすみません。ありがとうございます。改めて大切な事を思い出せた気がします。
お互い悪気は無くても傷つけ合うときもある…それが世の心理であり、人間の煩悩かもしれませんね…