私の行動力のなさで人を傷つけた
長文失礼します。
私は、今となっては空耳かもしれませんが、クラスの人が私のことを嫌いと言っているのを聞いてしまいました
その後、もともとクラスの人と深く関わっていなかったので不安からその人と話す時に、どうすればいいのか考えすぎ、わたしと話さない方がいいのかなと考えてしまい
うまく話せなくなってしまいました。
その後不安が大きくなり、クラスの視線が気になり、クラスの大半の人と普通に話せなくなってしまいました。自業自得です。
クラスの人からしたらわたしは周りを避けて、いじめている人だと思います。
クラスの人に謝りたいと思っています。
今まで何度も謝ろうとしたのですが、行動力のなさで逃げてしまいました。すごく後悔しています。ほんとうに自分が不甲斐ないです。
次に会うのは卒業式の前日です。絶対に謝ろうと思います。
こんな日に謝るのは私の罪を軽くしたいだけだと思われるかもしれません。
一生罪は背負っていきます。
こんな私がこれから生きる意味はないと思いますが、今死んでもまた違う人に迷惑をかけるだけだと思っています。
これから、せめて人に嫌われただけで震えてしまう弱い心を補う方法はありますか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人に嫌われても死ぬわけではない
愛別離苦(あいべつりく)という、好きな相手と別れる苦しみや、恨憎会苦(おんぞうえく)という、嫌いな相手と出会う苦しみは、誰にでもあります。
人それぞれ性格の不一致もあるし、人間同士にかぎらず、虫が苦手な人などもいます。
仮に、あなたがセミを嫌いだったとして、「私はセミが嫌い」と言っても、セミは気にせずに生きて死んでいきます。
あなたも、他人から嫌われようと、また嫌いな他人に出会おうとも、「これが怨憎会苦か。人生の真理だな。」と、自然現象の一種のようにまずは受け入れましょう。
生きているかぎり何らかの苦しみは無くなりません。
苦しみは、毎日毎日の宿題みたいなもの。
人生には常に宿題(対処しなくてはいけない課題)があります。
でも、宿題があってもまる一日全てが地獄ではありません。
苦しみが無くならなくても日々の幸せはありますから、安心してください。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
この言葉を忘れないように心がけたいと思います