地獄にはどんな人がいくのでしょうか?
できれば全ての宗派のお坊さんに聞きたいのですが、仏教ではどんな人が地獄に落ちるとかんがえられているのでしょうか?
以前の質問を見ていただきたいのですが、私は自転車で危険な運転をしたり、父を突き倒したりしたわけで、その時「相手が死んでしまってもいいや」と考えていたかもしれないわけですから、自分のことを人殺しかもしれないと思っています。
そんな私はやはり地獄行きなのでしょうか?
また、地獄へ行くのを回避するにはどんなことをすれば良いのでしょうか?
考えが足らないところ。 そのせいで何か失敗をしでかした後から心配したり後悔したりすることが多々あります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「自業自得」
なかなかさま
地獄というものは、ある意味において非常に抽象的な概念であり、極寒、灼熱、針山や釜茹でや血の池やと形容されたりもしますが、あくまでも全ては自分の行い、業(カルマ)の結果として受ける苦しみのことであり、いわゆる「自業自得」というものとなります。
それが故に、一概に地獄はこれだ、こうだと言えないところもございます。
いずれにしても全ては自分の業次第ということで、これまでの悪業を悔い改めて、善業に努めれば、自ずと結果も善いものとなっていくことになります。
この業の流れを、悪い流れから善い流れへと変える教えが仏教となります。
より善い業の因縁に努める代表的なものが大乗仏教における六波羅蜜の実践となります。
仏教の実践に取り組むことで、善い流れ、善い赴き、善い結果に恵まれていくようにして参りたいものです。
合掌
心からお祈りさせて頂きます
拝読させて頂きました。
地獄はどんな人が行くのか?というご質問をありがとうございました。
あなたがその様に思われることはとても善いことだと思います。
悪意を心に抱き悪しき言葉を使い悪行をするものは地獄行きです。他をおとしめ傷つけて殺すものは皆地獄行きです。
その様な恐ろしいことを思い愚かな言葉を発してひどい行いをするものは既に地獄にいるのです。
その様な愚かな煩悩をもっているものの心は地獄にもういきつつあるのです。
それは私達の心の中に既にあるのです。
ですから私達はその様な悪しき考えや言葉や行いをしてしまい地獄に行きます。
その様な愚かな私達を仏様は決して見捨ては致しません。仏様に手を合わせてお救いなさって下さいます様にと心から願うものを仏様は必ずお救い下さいます。
悪意や悪言や悪業に満ち溢れた悪人や罪人のいる地獄から仏様は私達をお救いなさって下さいます。そして仏様のお浄土へとお導きなさって下さいます。
あなたはいかがでしょうか?
あなたは自分が地獄に行くと思っておりますか?
あなたが悪意や悪言や悪行をなさらずに善き考えや言葉や行いを心がけながら仏様に救われます様にと心から祈っています。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
念仏すれば極楽浄土に往生できる
浄土宗では、現代人の私達は煩悩だらけの凡夫であり、誰にでも地獄行きの可能性があると考えます。
しかし、経典の記述によると、阿弥陀仏という仏様は「南無阿弥陀仏」と念仏を口に称(とな)える者をどんな悪人でも極楽浄土に往生させてくれると誓われています。
だから、本来なら地獄行きの私達ですが、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と念仏していれば極楽浄土に生まれ変われるので、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に墜ちずにすむのです。
なむあみだぶ
なむあみだぶ
なむあみだぶ
なむあみだぶ
質問者からのお礼
ありがとうございました。