仏に逢うては仏を殺し…主治医の言葉。
いつもお世話になっております。また…主治医の先生に失礼な
事を言ってしまいました。簡単に申し上げますと、先生が紹介
してくださった思想家(実際はカルト宗教家)の名言を調べた
ところ、各界の著名人も影響を受けた数々の名言を残す一方、
「テレパシーの体得」、「トランス状態への没入」などの
セミナーをやっている人物だとわかりました。
その事実を知ったときあまりにもショックで、
「先生がカルト信者だったなんて!こんな人が医療の世界に
いちゃダメだ、先生にはお世話になったし、たとえ正義のため
でも殺人は汚点。先生を殺して私も死ぬ!!」
と錯乱状態に陥りました。でも、怖かったのでやめました。
急遽診察を早めてもらい、その気持ちを告げると、
「その人は数々の名言を残していることで有名で、宗教的
な事をしているとは知らなかった。ロータスさんには、
申し訳ないことをした」
と謝られました。でも私は、
「逃げ口上じゃないですよね!?」
と責め立ててしまいました。
きょう、早速謝罪の電話を入れました。
「先生には全幅の信頼を置いています。それなのに、あんな
ひどい事を言って、申し訳ありませんでした」
と告げると、
「発言に関してはいいけれど、『全幅の信頼』というのが
厄介。これからも、僕は間違った事、ロータスさんの価値観に
合わない事を言うかもしれない。そのときに、『殺す』など
という気持ちにならないでほしい。人を信じすぎるのも、
よくない」
と言われました。
そこで、「そういえば仏教に似たような言葉が」と思い出し
たのが、タイトルの法語です。色々調べてみましたが、よく
わかりませんでした。お医者さんに言われた事や法律、常識を
破ることを助長し、無明の骨頂である陰謀論に嵌ることを助長
しているように感じます。
人が安全安心に生活する上で定められた、必要な秩序や
基準を破り捨ててしまえ、先生や親の教えなど唾棄して
しまえ、法律も健康基準も、すべて権力の陰謀だと。
そう言っているように感じます。
しかし、仏教はそのような危険思想ではないと信じたいです。
先生も、
「俺は悪い奴だから、信じてると痛い目見るぜ」
なんて言っていないと思います。
ご高見、賜りたく存じます。よろしくお願いいたします。
発達障害があるが、他の患者が苦手、健常者さんに負担を強いる障害者が許せない、 医師の悪口を言う僧侶が許せない、選挙で体調崩す、医師を顎で使ったり「薬減らせ」とごねる患者に辟易 #薬は悪くない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
決めつけず、うろたえず、その都度考える
仏に逢うては仏を殺しとは、べつに物騒な意味ではない思います。
仏様だと思って盲目に信じるのではなく、物事を決めつけず、うろたえず、その都度冷静に考えて判断するのです。
医師が誰の言葉を引用しようとも、それだけでその医師の人格を盲目的決めつけず、落ち着いて、その都度冷静に考えて判断すれば良いのです。
良い人間でも間違った行動をするし、悪人でも善行為をする。
相手が誰々だからと決めつけず、一つ一つ、場面場面で良いか悪いかを判断しましょう。
そのためには、カーッと自分の頭に血が上ったときもいったん落ち着いて、ひと息ついてからしゃべる方が良いかもしれませんね。
ロータスさんは、文句を言ってしまった後から冷静に考えることはできているので、次のステップとして、しゃべる前にいったん落ち着くように意識してみてはどうでしょうか。
質問者からのお礼
【願誉浄史 先生】
お返事いただき、ありがとうございます。今度は訪問看護師
さんが言っていた事になるのですが、
「イギリスの親は、安全な高さまで子供を階段に登らせ、
『おいで』と手を出す。子供が飛び降りたところで、
手を引っ込めて故意に落とす。こうすることで、『親だから
といって、信じ込んではいけないよ』と教える」
とのことです。
どういうことかと尋ねたら、
「単純に信じるだけでなく、自分でよく確かめることの
大切さを、小さいうちから教える」
と言っていました。
以前こちらで、
「人を疑いすぎだ。人をいたずらに非難してはいけない」
とお叱りを受けました。それを、まさに字面通りに真に
受けてしまって、今度は、自分で確認するということを
忘れました。
信じすぎるのも、よくないのですね。詐欺や悪質商法に
引っ掛かってしまったり、信じすぎることで過度な期待が
生じ、ほんの少しでも思っていた事と違う事が発生すると、
「裏切られた!」などと相手を非難して、暴言を吐いて
しまう。
「調べてみたら、コイツ、カルトじゃん!テレパシーとか
トランス入れとか言ってる!先生こんな奴リスペクト
してんの!?医者失格だわ」
と決めつけるのではなく、大切なのは、信頼があるならば、
なおの事、
「ねー先生、調べてみたんだけどさ、その人カルトだよ?
トランス状態入れとか、テレパシー出来るようになれとか、
結構ヤバい事言ってるよ?先生しってた?」
と、冷静に確認することだったのではないかと思います。
ともかく、これからは、少しでも「えっ?」と思ったら
「それって、つまりどういう事ですか?」
「私はこう思うんですが、こういう事ですか?」
と「確認」の作業を入れてみようと思います。
【願誉浄史 先生 へご追記】
先日、それ以来初めての診察でした。
診察室に入って、まず、
「先生、すみませんでした。本当にどうかしてました」
と言って頭を下げると、
「大丈夫だよ。僕たちと、こういう事を通して学んで
いこうね」
と言われました。毎回診察の前にカウンセリングが入って
いるのですが、先生は、共有されたカウンセリングの
カルテを読むと、
「心理の先生ともちゃんと話し合って、色々考えた
んだね。よく頑張って考えたね」
と褒めてくださいました。先生強すぎ、と思うと同時に、
深い感謝と懺悔の念を抱きました。
心理の先生も、
「対象となる人や物に対し適度な疑問を持つことは、
学問においても大事な事ですよ」
と言っていました。これからは、一呼吸置いて、相手と
自分との間に、理解度の誤差が生じていないか、生じて
いた場合は、意味を聞いたり、こちら側から情報を開示
したりして、「確認」の作業を入れることにしようと
思います。