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努力する心構えを教えてください

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私は、大学受験に向けて勉強しています。
成績がどうであれ、努力をして、継続することが大切だと思いますし、努力することが自分にできる唯一のことだと思います。

しかし、自分がなんとなくできているなと思った途端、怠けたくなってしまうし、自分に甘くなってしまいます。そこで、自分はできないのだと思い、努力を続けようと思いました。しかし、自分ができないと思うと、自分より成績の悪い人と比べて、安心しようとする自分に気がつき、自分が嫌になります。

最近では、勉強していて、問題を間違えたり、すぐに解けなかったりした時に、反射的に自分を責めてしまって、悪循環に入ってしまった気がします。

他人と比較せず、自分が努力し続けるために必要なことは何ですか。自分を認めつつも、向上心を保つためにはどうしたらいいですか。
良いマインドセットの方法もあれば、教えてください。

2023年2月14日 23:44

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

受験勉強を『努力』と呼んでいる時点で苦しい

昔、明石家さんまさんがテレビ番組でおっしゃっていた言葉が蘇ってきました。

『“努力”という言葉を、努力しないヤツが作った』

お坊さんでも、“厳しい修行”を“努力”だと思ってやっている人は早晩、精神的に破綻することでしょう。
努力とは、目標に至るための精進の事だと思いますが、目標に至りたいなら当たり前のことでしかありません。

つまり、あなたが『努力できない』とおっしゃるなら、それは目標があなたに合っていないのです。
遠すぎたり、
近すぎたり、
簡単すぎたり、
困難すぎたり、
そもそも好きなことではなかったり、

様々な理由があるとは思いますが、自分のことがよくわかっていないのではないでしょうか。
“よくわからない”ことを仏教では“無明”と言います。
無明の状態では人間は愚かになり、怠惰になります。

『言われたことをやる』でもいいんです。
先生の言葉を一心不乱に信じて頑張る人は無明ではありません。

『やりたいことをやる』でもいいんです。
自分の信念を信じて進むのなら、無明であるはずがありません。

しかし、どちらもはできません。
やりたいことをやった方がいいのではないか、
でも、言うことも聞いた方がいいのではないか、
そういう中途半端な状態こそが“無明”なのです。

一つ言えることは、“あなたがすべきこと”を“努力”と呼ぶのはやめた方が良い、ということでしょうね。

2023年2月15日 11:30
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有り難し
おきもち

けいじょう
日蓮宗の僧侶、啓誠(けいじょう)と申します。 修行に失敗し、一度は腐...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。
努力することや努力し続けることにこだわりすぎて,なんのために勉強しているのかについてを見失っていたと気が付きました。
目標を明確にしたいと思います。

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