後悔と自責
こんにちは。大学2年生の男子です。先日、僕の弟が大学に合格しました。それだけ聞けば、めでたいことだと思うかもしれません。ですが、その大学は、2年前、現役時代に僕が第一志望として目指していた大学です。弟の合格発表の日以来、ずっと複雑な心境です。妬みに似た感情が心を渦巻いています。
現役時代は、僕は工学部を目指していたことがありました。それで、苦手ながらも理系クラスで勉強していましたが、現役で受かる望みは薄く、最後の最後に文転し、共通テスト本番で失敗し、当初は滑り止めとして考えていた大学の経済学部に進学しました。現在は、公認会計士の試験に受かるために勉強しています。
もし公認会計士の試験に受かることができれば、僕の学歴コンプレックスは少しは改善するかもしれません。ですが、それまでずっとこの劣等感に支配されて生きなければいけないのかと感じることもあります。
どうして現役の受験生の時、もっと頑張れなかったのか、どうして、共通テスト本番で気を抜いて、失敗してしまったんだろうか。全て、自分のせいなのに。そんなこと考えている間に、公認会計士の勉強の論点を一つでも多く覚えれば良いのに、未だに、ずっと過去に囚われています。
今の大学でも、すごい人は沢山います。僕には、そういった要素がありません。友達には、成績が学部内トップクラスで、表彰を受ける人もいます。彼女がいる人もいます。小学生の頃からギターをやっていて、ギターがプロ並みに上手い人もいます。そういう人に出会うたびに、「この人は自分にないものをもってる」と思い、自分が嫌になります。自分には、人に誇れるものが、何もない。何一つ、良いところなんてない。「真面目」「優しい」とはよく言われますが、真面目さや優しさがあるせいで、損をすることがあるのも事実なので、自分では長所だと考えることができません。小学生のころ、サッカーを始めて今でも続けているとか、書道をずっと続けているとか、そういうことが一つでもあったら、僕の考え方はもう少し、変わっていたかもしれません。
今からでも、何か一つ、死ぬまで続けられる、夢中になれるものを見つけなければいけないと思っています。
「やっとましになってきたかも」と思っても、ふとした瞬間に「あの時、こうしていれば」と考えたり、自分と人を比べて、自分が嫌になります。このような癖を治すには、どうすれば良いのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ここは勝負どころ
少し厳しいことを言います。君が言っていることは、はっきり言って甘えです。
そして、それを治すのは簡単です。いま目標にしている公認会計士の試験に受かることです。
でも君も判っているよね。何故なら「そんなこと考えている間に、公認会計士の勉強の論点を一つでも多く覚えれば良いのに」と言っているのだから。
自分に自信を付ければ人を羨んだり妬んだりという事は無くなります。
ですから君には目標があるのだから、その目標をやり遂げれば良いのです。
それから、今は人生100年時代と言われてますよね。つまり君にはあと80年以上の人生が残っているのだよ。私から見たらそれこそ羨ましいよ。なにしろ、私なんか受験に失敗して志望校に入れず、就職も失敗して希望通りにならず職を転々として、やっと45歳で得度してやっと坊さんになったのだよ。そして20年坊さんやってる。でもね、逆に苦労してるから皆んなの悩みに答えられるのだよ。だから毎日勉強なんだな。人間は死ぬまで勉強だよ。仮に君が一度や二度や三度ぐらい会計士の試験に落ちても、絶対に会計士になると言う強い意志を捨てちゃダメだよ。そうしないと君の自分が嫌になる性格は治らないよ。でも受かれば天国じゃない?自分のダメな性格を克服できてしかも立派な資格者にもなれるからね。ここは一発勝負だ。頑張れ!
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
目が覚めたような思いです。たまにこのような後悔の念に襲われることがありますが、自分を奮い立たせて目の前の課題に向き合います。
喝を入れてくださり、またアドバイスもいただきまして、本当にありがとうございました。