顔面麻痺になり人前に出るのが怖い
はじめまして。
私は昨年40才で唾液腺癌になりました。
癌が顔面神経に触れていたため、腫瘍を摘出する際に顔面神経も一緒に摘出し、永久に顔の半分が麻痺状態になりました。
目が閉じず、口角は下がり左右差があります。
手術した耳付近も大きく陥没しています。
主治医には、手術した所を整形する事は可能だが再発リスクが高まると言われ、整形は諦めました。
癌を宣告され、とても辛く悲しい日々でしたが優しい家族や友人に支えられ前を向けるようになりました。
現在は有り難いことに経過観察中です。
毎日朝が来る事に感謝しながら生きています。
ですが、今こうして生きていられる事だけでも奇跡だと思っている一方で、どうしても人の目が気になって気持ちが落ち込んでしまいます。
特に、おしゃべり好きな子ども関連のお母様達の目が気になり、保護者会などの参加を躊躇してしまいます。
以前は積極的に係など引き受けていましたが、今はしていないのも心苦しいです。
家族は、麻痺した私の顔も普通に受け入れてくれています。
なのに、人の目が怖いと感じる自分の心の弱さに悩んでいます。
どのような心構えで日々を過ごしたら、強い心で、麻痺した顔でも堂々と私らしく生きていけるようになりますか?
ご教授いただけたら嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お気持ちお察しします
拝読させて頂きました。
あなたは重い病いを患い手術が無事成功なさり、顔の一部も変形してしまったり麻痺が残ってしまい他人の目が気になり怖く感じてしまうのですね。そしてこれからどの様な思いで生きていけばいいのかと悩み苦しんでおられるのですね。あなたがその様にお悩みなさるお気持ちもわかる様に感じます。あなたのその辛いお気持ちを心よりお察しします。
そうですよね、手術によって今までとはだいぶお顔の印象も変わってしまわれたでしょう。ご家族の方々はあなたがその病から一命をとりとめて生きて下さることをとてもお喜びなさっておられるのではないかと思います。ですからご家族の方々はあまりそのことにはとらわれてはおられないでしょうし、気になさってはいらっしゃらないのかとは思います。
とはいえ他の人とお会いなさったり外で人とすれ違ったりする時とても気になってしまうでしょう。そして人とお会いすることもためらわれたり嫌になってしまうでしょう。あなたがどうしてもその様に思ってしまうのもやむを得ないと思います。その辛い思いは当人でなければわからないかとは思います、しかしそう思い込んでしまって悩んでしまうのも自分自身かと私は思います。
私は今心身に様々な病を抱えていますが、その一つに白斑病という病を30年以上患っています。皮膚の色素が抜けていく病気で肌がまだら模様になってしまうものです。私の顔はおでこ・口元にまだらに色が抜けて、手足や関節部分等全身がまだら模様が広がっています。病は現在進行形でいずれは全身の色素が抜けていってしまいます。
ですから指先がまだらになっているので幼稚園に行くとお子さん達が素直に私に話してくれます。「おじさん、手がヘンだよね、どうしたの?」と聞いてきます。当然ながら先生や大人達はヘンな顔してそんなこと聞くんじゃないという風にお子さん達を止めます。ですが私は「これはね、皮膚の病気なんだよ」と説明しています。お子さん達は「ふう~ん」という風にしてうなずきます。
以前私はその病を本当に気にして人前に出られませんでしたし悩み苦しみました。今多少は気にしますがあまり気にしてはいません。そのことは私の一部分ではあるものの私の全てではありませんからね。
あなたがこれからの未来を大切な方々と心から健やかに毎日を心から豊かに皆さんと一緒に幸せに生きていかれます様に切に祈っています。
どうか、今のあなたへの仏様のおすくいを頂いて下さい
ご相談のタイトルを拝見して、これは私が回答せねば…と思いました。「私も半面麻痺となり、顔を洗うにも片目閉じず、下がった半開きの唇からよだれも流れて…」と。事実です。でも、当方はベル麻痺というもので今はほぼ回復しています。
あなたの顔面麻痺は治ることはないのですね。勇んで回答しようとしたことを恥じています…。
お辛いことでしょう…慰めなど要らないでしょうし、通用しないですね。
あなたは今のお顔で生きていくことになります。
辛いときに「ま~いっか」「何とかなるさ」と思えば気がラクになります。この言葉、特に「何とかなるさ」は、「南無阿弥陀仏」と発音が似ている気がして、念仏を称えることが出来なければ、こちらをお勧めしようかと考えたことがありました。
でも、当たり前ながら、音は似ていても全く異なるものなのでした。
「何とかなるさ」で済むようなことは、「実際は何でもないこと」だけです。
この世にはそうではない、何ともならないこと、どうにも出来ないことがたくさんあります。
あなたのお顔の悩みもそうなのだと思います。
だからお念仏なのです。お念仏頂いて下さい。
どうしても、どうにかなることは全くない…ならば諦める。諦められたら苦悩などすぐに無くなるはずです。「諦める」の「諦」の文字には、「さとり」の意味があります。私達凡人に今生でさとることなど出来ようはずがありません。
だからすくいが必要なのです…あなたにも私にも。
どうにもならないことをどうにかしようとして、どうにもできず苦しむ我等です。
だからこそ仏様は私のことを放っておけなかったのでした。「必ずすくう、さとらしめる、苦悩を取り除く」と誓われたのです。
今既にあなたにそのすくいは届いているのですが、人間の持つ煩悩が邪魔をしてそのすくいを頂くこと、感じることが出来ないんですよね。
ならば…と仏様は、「我等の苦悩多き人生を、その苦悩を一緒に背負って生きよう」とお誓い下さいました。そして実際に御一緒下さっています。
その証拠を「南無阿弥陀仏」と頂きます。
このこと、一度申して「はい そうですか」と受け取ることは難しいと思います。
でも、どうかそれこそ諦めずに仏法にすくいを求め、すくいを味わい、すくいを受け止めて生きて下さい。
そこにこそあなたが心安く、力を抜いて生きていける人生が恵まれます。