hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

顔面麻痺になり人前に出るのが怖い

回答数回答 2
有り難し有り難し 10

はじめまして。
私は昨年40才で唾液腺癌になりました。
癌が顔面神経に触れていたため、腫瘍を摘出する際に顔面神経も一緒に摘出し、永久に顔の半分が麻痺状態になりました。
目が閉じず、口角は下がり左右差があります。
手術した耳付近も大きく陥没しています。
主治医には、手術した所を整形する事は可能だが再発リスクが高まると言われ、整形は諦めました。
癌を宣告され、とても辛く悲しい日々でしたが優しい家族や友人に支えられ前を向けるようになりました。

現在は有り難いことに経過観察中です。
毎日朝が来る事に感謝しながら生きています。

ですが、今こうして生きていられる事だけでも奇跡だと思っている一方で、どうしても人の目が気になって気持ちが落ち込んでしまいます。
特に、おしゃべり好きな子ども関連のお母様達の目が気になり、保護者会などの参加を躊躇してしまいます。
以前は積極的に係など引き受けていましたが、今はしていないのも心苦しいです。

家族は、麻痺した私の顔も普通に受け入れてくれています。
なのに、人の目が怖いと感じる自分の心の弱さに悩んでいます。

どのような心構えで日々を過ごしたら、強い心で、麻痺した顔でも堂々と私らしく生きていけるようになりますか?
ご教授いただけたら嬉しいです。
よろしくお願いいたします。

2023年3月28日 19:12

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お気持ちお察しします

拝読させて頂きました。
あなたは重い病いを患い手術が無事成功なさり、顔の一部も変形してしまったり麻痺が残ってしまい他人の目が気になり怖く感じてしまうのですね。そしてこれからどの様な思いで生きていけばいいのかと悩み苦しんでおられるのですね。あなたがその様にお悩みなさるお気持ちもわかる様に感じます。あなたのその辛いお気持ちを心よりお察しします。

そうですよね、手術によって今までとはだいぶお顔の印象も変わってしまわれたでしょう。ご家族の方々はあなたがその病から一命をとりとめて生きて下さることをとてもお喜びなさっておられるのではないかと思います。ですからご家族の方々はあまりそのことにはとらわれてはおられないでしょうし、気になさってはいらっしゃらないのかとは思います。

とはいえ他の人とお会いなさったり外で人とすれ違ったりする時とても気になってしまうでしょう。そして人とお会いすることもためらわれたり嫌になってしまうでしょう。あなたがどうしてもその様に思ってしまうのもやむを得ないと思います。その辛い思いは当人でなければわからないかとは思います、しかしそう思い込んでしまって悩んでしまうのも自分自身かと私は思います。

私は今心身に様々な病を抱えていますが、その一つに白斑病という病を30年以上患っています。皮膚の色素が抜けていく病気で肌がまだら模様になってしまうものです。私の顔はおでこ・口元にまだらに色が抜けて、手足や関節部分等全身がまだら模様が広がっています。病は現在進行形でいずれは全身の色素が抜けていってしまいます。
ですから指先がまだらになっているので幼稚園に行くとお子さん達が素直に私に話してくれます。「おじさん、手がヘンだよね、どうしたの?」と聞いてきます。当然ながら先生や大人達はヘンな顔してそんなこと聞くんじゃないという風にお子さん達を止めます。ですが私は「これはね、皮膚の病気なんだよ」と説明しています。お子さん達は「ふう~ん」という風にしてうなずきます。
以前私はその病を本当に気にして人前に出られませんでしたし悩み苦しみました。今多少は気にしますがあまり気にしてはいません。そのことは私の一部分ではあるものの私の全てではありませんからね。

あなたがこれからの未来を大切な方々と心から健やかに毎日を心から豊かに皆さんと一緒に幸せに生きていかれます様に切に祈っています。

2023年3月29日 17:37
{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

どうか、今のあなたへの仏様のおすくいを頂いて下さい

 ご相談のタイトルを拝見して、これは私が回答せねば…と思いました。「私も半面麻痺となり、顔を洗うにも片目閉じず、下がった半開きの唇からよだれも流れて…」と。事実です。でも、当方はベル麻痺というもので今はほぼ回復しています。
 あなたの顔面麻痺は治ることはないのですね。勇んで回答しようとしたことを恥じています…。
 お辛いことでしょう…慰めなど要らないでしょうし、通用しないですね。
 あなたは今のお顔で生きていくことになります。
 辛いときに「ま~いっか」「何とかなるさ」と思えば気がラクになります。この言葉、特に「何とかなるさ」は、「南無阿弥陀仏」と発音が似ている気がして、念仏を称えることが出来なければ、こちらをお勧めしようかと考えたことがありました。
 でも、当たり前ながら、音は似ていても全く異なるものなのでした。
 「何とかなるさ」で済むようなことは、「実際は何でもないこと」だけです。
 この世にはそうではない、何ともならないこと、どうにも出来ないことがたくさんあります。
 あなたのお顔の悩みもそうなのだと思います。
 だからお念仏なのです。お念仏頂いて下さい。
 どうしても、どうにかなることは全くない…ならば諦める。諦められたら苦悩などすぐに無くなるはずです。「諦める」の「諦」の文字には、「さとり」の意味があります。私達凡人に今生でさとることなど出来ようはずがありません。
 だからすくいが必要なのです…あなたにも私にも。
 どうにもならないことをどうにかしようとして、どうにもできず苦しむ我等です。
 だからこそ仏様は私のことを放っておけなかったのでした。「必ずすくう、さとらしめる、苦悩を取り除く」と誓われたのです。
 今既にあなたにそのすくいは届いているのですが、人間の持つ煩悩が邪魔をしてそのすくいを頂くこと、感じることが出来ないんですよね。
 ならば…と仏様は、「我等の苦悩多き人生を、その苦悩を一緒に背負って生きよう」とお誓い下さいました。そして実際に御一緒下さっています。
 その証拠を「南無阿弥陀仏」と頂きます。
 このこと、一度申して「はい そうですか」と受け取ることは難しいと思います。
 でも、どうかそれこそ諦めずに仏法にすくいを求め、すくいを味わい、すくいを受け止めて生きて下さい。
 そこにこそあなたが心安く、力を抜いて生きていける人生が恵まれます。

2023年3月29日 17:49
{{count}}
有り難し
おきもち

「容姿・外見の悩み」問答一覧

顎変形症の自分が好きになれない

僕は40歳で独身、仕事は新聞配達のアルバイトをやっています。 住んでるところは会社が用意してくれているアパートです。東京23区内に住んでいます。   以前も相談させてもらいましたが、今回は相談内容が違うものです。 今、悩んでいる事は、自分の容姿の事です。 僕は下あごが長く、わかりやすく言えば受け口です。また、下あごが右に少しズレてしまっていますので、噛み合わせが良くなくて、全身の体の歪みにつながってしまい、実際私の体は歪んでしまっていて、健康的にも良くありません。 私は40歳です。今まで自分の受け口の事を忘れて生きてきましたが、今は外科手術を伴う歯の矯正をしようとしています。手術までに1年半から2年くらい手術前矯正をするそうです。顎変形症というのは一種の病気として扱われるので、普通の矯正とは違い健康保険も適用されます。費用はそれでも40から50万くらいは必要になると思います。 外科手術をすれば下あごが後ろに下がり、見た目、受け口が治ります。 手術後も2年くらい歯に矯正器具を入れ、矯正をするそうです。 私は受け口の事を忘れて生きていました。本当に頭の中にない状態でした。 横から見ないとあまり気にならない、というのもあります。私の場合完全な受け口状態でもなくて、切端咬合と言って、上の歯と下の歯がぶつかる形になってしまいます。受け口とは下の歯が上の歯より前に出ている状態になります。切端咬合は噛めない状態になります。上と下の歯がぶつかっていては物が噛めないですから。わかりづらいでしょうが物を噛み切るために結局、下あごを前に出す事になるんです。だから結局受け口になります。20歳頃に受け口に気付きましたが、その時は何日かノイローゼのようになるくらい嫌になりました。 歯の矯正をして手術をすれば見た目、受け口は治りますが、手術まで2年くらいかかります。私は受け口の自分の容姿がとても嫌です。だからこそ、忘れてしまっていたのだと思います。 しかし、思い出しました。治したいので、自分の受け口と向き合う事にしました。 毎日しんどいです。彼女もいません。寂しいです。つまらないです。 お酒も飲むしタバコも吸いますが収入は大した事はありません。新聞屋なので、寮だけはあります。 このままだと、何かの病気になってしまうような生活になってしまっています。 ご助言をどうかお願いします。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

自分の外見について悩むのは止めたい

最近私は、今までも何度となく襲われてきた外見コンプレックスにまた見舞われています。 きっかけは初詣でした。 私は家族とともに神社にお参りに行きました。 元旦なのですごく並んで待ちました。 待っている時、周りには大勢の人たちがいて、カップルも結構いたのですが、そのなかの一組のカップルがすぐ目の前にいて何となく見ていました。 後ろ姿しか見えませんでしたが仲が良さそうで、私は女性のほうを見て、「あんな可愛らしい感じだったら、自分も若い時に誰かに好かれることができたかな」などと考えていました。 それだけのことなのですが、初詣から帰った後、私はいろいろと自分の今までの人生について、私は自分の外見が可愛いとかきれいだったことはほとんどなかったということをなぜか思い出してしまったのです。 人生でそれほど容姿が悪くはなかった時期はありました。 けれども、思春期に私は顔が大分変わってしまい、可愛くなくなりました。 高校でも大学でも全くもてず、自分でも可愛くないから仕方ないとあきらめていました。 今にして思えば、メイクをもっとするとか髪型を変えるとか努力すればすこしはマシになったかもしれません。 でも、そういう努力をしなかったので、いつまでもさえないままの外見でした、 その容姿のためか、それとも容姿のせいにして努力をしなかったためか、私はとうとう人生で一度も恋愛をすることはできませんでした。 なんとか結婚できたのは、本当に一生懸命婚活をしたからで、このような私でもまあまあいいかと考えてくれる人がいたからだと思います。 結婚するまではそれでも外見に気を遣うようにしていたのでそれほど悪い外見ではなくなっていたと思いますが、出産後は再び元の可愛くない容姿に戻ってしまったようで、今に至ります。 「きれいなおかあさん」などと言われたことは一度もないと思います。 実際にそうではないですから。 でも、いつも容姿のことばかり考えているわけではないのですが、なぜか今回の初詣で、今までのさえなかった過去のことや、結局のところ一生容姿や外見のことでは自信が持てないなあ、とういことを深く考えてしまっています。 もうこの悩みからは解放されたいのですが。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

容姿が醜く、生きていても辛い

私は顔が人よりとても長く、特に顎が長く醜い容姿をしています。 私には姉が2人いますが、2人とも絶世の美女で、私だけブサイクです。 なので、若い頃から、姉たちにブスだ、顔が気持ち悪いなど顔の指摘をされてきました。 人からも、姉の方が美人と何度も言われてきて本当に辛かったです。 父親は顔立ちも良く、私にもとても優しいのですが、母親は姉の容姿ばかり褒めていて、私は褒められたことがありませんでした。 母親は美人というほどではないそうですが、私よりは整った顔立ちをしています。 家族や親戚に私よりブサイクな人はいません。 どうして私だけ、不細工に生まれたの! 世の中不平等だ! と怒りが湧いてきます。 そんな私でも、結婚し、可愛い子どもに恵まれました。とても幸せだったのですが、どうしても顔のことが頭をよぎります。 今の家庭や主人の親戚にも私ほどブサイクはいません。 友達や街を歩く人を見ても、私よりブサイクはいません。 そう思っていると、自分の居場所がなく、全ての人に見下されているように感じます。 また、娘に将来、ママより姉たちの方が綺麗だと言われたり、姉たちの子どもに生まれたかったと言われるのではないかと不安です。 大切な娘だからこそ、言われると特にショックを受けるのではないかと怖いのです。 長くなりましたが、本当に顔が悪いと生きづらいですし、世の中はとても不平等だと思います。 僧侶の方々は、不平等だと感じた時や生きるのが辛い時、どのような考え方をしているのでしょうか? また、自分勝手で本当に申し訳ありませんが、こんな私を励ましていただけると嬉しいです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ