他人と比較する考え方をやめたい
幸せなことがあっても満たされません。
悪い方に目が行くというか、すぐにネガティブなことを考えて落ち込みます。
例えばテストで良い点をとってそのときは嬉しくてもしばらくすると「でも私より良い点の人はたくさんいる、こんなに勉強してこの点数しかとれない私なんて」と思って落ち込んだり、上司に褒められて幸せな気分になっても、「でもあの人はもっと褒められていたのに」といった感じです。
思えば昔からコンクールでも漢字のテストでも数学の課題発表でも友達との関係でもどれだけがんばってもトップにはなれず、好きな人には私より好きな人がいて、常に「私は一番になれない」という気持ちがあったように思います。
何事も一番になることがどれだけ難しいかは理解しているつもりなのに、そこに到達できない自分がダメに思えます。
そんなつもりはないことはわかるのに、十分嬉しいことがあっても、自分より(偶然そうなっただけであっても)幸せな位置にいる人を見ると「どうして?」「やっぱり私は一番になれない」と卑屈になっては落ち込みます。
先日も好きな人から嬉しい言葉をかけてもらって幸せな気持ちだったのに、他の人に私が一番嬉しいと思う言葉をかけているのを見て、一気にその気持ちが萎んでしまいました。
相手に何の意図があったわけでもないことは理解していますが、それでも悔しくて自分がダメに思えて苦しいです。
こんな自分が嫌いです。
どうしたらこの考え方をやめられますか?
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたが立っているこの瞬間は、あなただけの特別なのですよ。
それは、あなた基準なんだろうね。
例えば、何を「幸せ」とするのか、何を「一番」と決めるのか。それは、人により違うと思うのです。
トップの人は幸せで満足だろうと思っても、トップに立つからこそ 迫ってくる人に怯えたり、トップを維持することがどれだけプレッシャーで大変なことなのか。そんな状況下にいるかもしれません。なんでも一番は一番良いとも、限らないかもしれないですね。
何を満足とするのか。人間の欲も求めればキリがありませんし、不安があると先に恐怖ばかり感じてしまいます。
あなたが立っているこの瞬間は、あなただけの特別なのですよ。ここをちゃんと認め受け入れていけたらね。
プロフィールも読ませてもらいました。ちゃんと甘えたり、ワガママ言ったりしてきましたか。周りに遠慮して、良い子を生きてきたのではないですか。ちゃんと認められて、こんな私でいいんだって受け入れられてきましたか。自己肯定感は、生きてきた環境からも影響されます。
今はネガティブ思考が強いかもしれませんが、人は誰かに評価されたり、ランクがつけられるわけではありません。あなたは、あなた。誰も代わりにはなれない、唯一無二の存在なのです。そんな自分を大切にしていきませんか。よく頑張っているよ、偉いじゃないって、自分を褒めてあげましょう。
私もあなたを認めてあげたいわ。自分に優しくなれない時は、ハスノハにおいで。
質問者からのお礼
回答ありがとうございました。何度も読み返しました。涙が止まりませんでした。
一番になりたいのではなくて、誰かに肯定されて認められたかったんだなと気付きました。
私は私を認めてあげられるでしょうか。誰の評価も気にせずに胸を張って私は私でいいんだって思える日が来るでしょうか。変わりたいです。



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