人と自分を比べてしまいます。
生まれた家のまわりに、警察官、消防士、自衛官等の公安職の方々の家が多い街で生まれ育ちました。私の父と母は今は反省してくれていますが。昔は優しくなかったです。子供の頃、公安職の方々は、自分を守ってくれる唯一の存在でした。それが原因で、子供時代は公安職の方々に自分を我が子のように守ってくもらいたかったです。公安職の方々のご家族がら、そこのご主人やお父さんの職業をお聞きする事が、物心つく頃から、非常に多く、本当に悲しかっです。子供の頃ですので、公安職の方々は、ウルトラマンや仮面ライダーみたいに、何処かから来て自分を守ってくれるヒーローであると思い込みたかったです。本当に辛かったです。母の影響で、キリスト教の教会に通っていましたが、牧師さんが「神様は私達を、平等に愛している。守ってくれる。」と言われるのが辛かったです。お葬式の時に、来られたお坊さんが「仏様が見守ってくれる。」とおっしゃっるのですが、なんとも言いようがないくらい辛かったです。お坊さんは優しそうだったので、私をかわいそうだと思って、慰めてくれてるだけだと思いました。大人になったら、今度は自分が自分のような子供を守るんだと言い聞かせて、どんな時も耐えて、大人になりましたが、夢は叶いませんでした。仏教を信じたいですが、「でもな。」と信じきれないです。どうしたら、仏教を信じられますか?私の今の夢は新天地として東京で暮らすことです。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
安心して夢を描けるように。繋がりもまた力強い支えになります。
親から受けた傷は、今も あなたを苦しめている部分があると思うのですよ。トラウマのように、今でも思い出すと悲しくて辛くなりますよね。
アダルトチルドレン(AC)なのだと思うのです。克服を目指すためにも、繋がりが必要ではないでしょうか。
信仰は裏切らず、あなたを支えてくれるものでしょう。ですが、今 回復のためのサポートとも繋がっていただきたいわ。アダルトチルドレン(AC)自助グループもたくさんあります。また地域の精神保健福祉センター、カウンセリング機関、心療内科・精神科など専門機関、公的な相談窓口については厚生労働省のウェブサイトにも載っていますからね。
あなたが、安心して夢を描けるように。繋がりもまた力強い支えになりますよ。
仏教を信じる方法
おはようございます。
仏教は特にそうだと思いますが、「信じる」と言うか、「気付く」の方がしっくりくると思うんですよね。
ほら、関西の人って自分が関西弁で話してるって意識して無いですよね。
関西に居た頃、奈良の先輩から「ここは全国から人が集まっとんねん!せやから標準語でしゃべらなあかんねんぞ!!」(、、いやいや、先輩今バリバリ関西弁で話してますやん💧)って事がありました。
きっとその先輩は東京にでも行ったら、ご自身の喋りが関西弁やったと”気付く”事でしょう。
それと同じように、元々自身に備わってる仏(関西弁)の素質に気付いた時、自分が仏(関西人)って気付いたんですから信じる・信じないとかいう次元を飛び越してるわけです。
あなたの”今度は自分が自分のような子供を守るんだ”というお志は、私に仏の心の声として届きました。あなたにも立派な仏心が備わっておられますよ。
信じたいけれど信じきれないときに
子どもの頃、ご両親から十分な優しさを受けられず、代わりに街にいた警察官や消防士、自衛官といった方々を「自分を守ってくれるヒーロー」と感じておられたのですね。けれども実際に守ってもらえることはなく、教会でもお寺でも「神様や仏様は平等に見守っている」と言われても、心に響かず、むしろ辛かった―その体験の重さが、今の「仏教を信じたいけれど、でも…」というお気持ちにつながっているのでしょう。
・信じるとは「疑いがあるままでも歩む」こと
信仰というと「100%信じきるもの」と思いがちですが、仏教ではそうではありません。お釈迦さまご自身が「鵜呑みにせず、自分で確かめなさい」と説いています。疑いがあることはむしろ自然なことです。その中で「少しだけでも寄りかかってみる」「試しに実践してみる」ことから始めてよいのです。
・ヒーローを求めた心と、仏さまの姿
子どもの頃のあなたは「誰かに守ってもらいたい」と必死でした。その願いは決して間違いではなく、むしろ人として当たり前のものです。仏さまは「超人的に守ってくれる存在」というよりも、「誰もが抱く弱さや渇望を丸ごと抱きとめてくれる存在」とも言えます。ヒーローのように戦って救うのではなく、「そのままのあなたを見捨てない」というかたちで寄り添ってくれるのです。
・新天地での暮らしと信仰
東京で暮らすという夢を持たれているとのこと。それは「自分の人生を自分で立て直したい」という願いの現れでもあります。仏教を「信じる」ことは、すぐに大きな確信を持つことではなく、日々の暮らしの中で「少しでも心が落ち着く実践を取り入れてみる」ことからです。たとえば、朝に短くお経を唱える、深呼吸のように坐る、感謝を一つ言葉にしてみる――その小さな積み重ねが、やがて信じるという体験につながっていきます。
・結びに
あなたの「信じたいけれど、信じきれない」という葛藤そのものが、仏教で言う「人として自然な迷い」の姿です。その迷いを消そうとするよりも、「迷いながらでも一歩進む」ことが大切です。東京という新しい環境で、少しずつ実践しながら、自分なりの仏教との距離感を育んでみてください。きっと「でもな」と揺れる気持ちごと、仏さまは受けとめてくださるはずです。
合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。なんだか前を向きます。
取り敢えず。東京に行くのはやめときますけど、地元は出て、何か楽しいことを探します。ありがとうございます。