兄が急逝してから心が落ち着きません
はじめまして、40代、,女です。
昨年の9月に6歳上の兄が急逝しました。
ガンで1年半ほど治療していたようですが、全く知らず亡くなってからの連絡で驚き、乱れました。
元々、年も離れているし男女でという理由で頻繁に連絡を取っていたわけではありませんが、私は兄が大好きでした。
母子家庭だったので、兄は父の代わりという思いで心配もしていてくれてたと思っています。
なのに、なぜ教えてくれなかったのか。
今までの関わりで何が間違っていたのかと後悔ばかりの日々で涙が出てしまいます。
兄には家庭もありますが、義姉は「兄の希望を第一に、最後までやっていた」と言っていました。ごくごく一部の人にしか闘病のことを言わないようにとの希望だったようです。でも、私たちはそこには入らなかったのです。どうして?という気持ちです。
義姉を責めたい気持ちもありましたが、最後まで看病してくれていたことや言わない辛さもあっただろうと考えられるようにはなりました。
ただ、兄の死をまだ受け入れられてなく
心の整理がつきません。
今まで、色々な人に迷惑をかけてきた自分こそが死ぬべきだったのに…と考えたりもします。兄は本当にみんなに頼りにされて、まだまだ在るべき人だったんです。
私は、いつか今までの行いの悪さでバチが当たると思っています。いつか、子どもや大事な人が奪われるのではと考えて生きてきました。
それが、この兄の死なのでしょうか?
私のせいで、兄を早死にさせてしまったということです。
何も言わずに死んでしまった兄のことを、どう思えば前を向いていけるのでしょうか?考えただけで、胸が苦しくなります。
心の持ち方や考え方を教えて欲しいです。
家族もいますし、死にたいなんて軽い気持ちで言ったりはしません!
考えると息も胸も苦しくなります。
面倒な相談で申し訳ありませんが、誰にも相談できないので。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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これからも兄妹に変わりはない。どこにいても、想いは届くのです
そんなことがあったのですね…。お辛いですよね。
大切な人の死、知らされず、最期にも出会えなかった。顔を見ることも出来なかった、何も伝えられなかった。どうして… そんな後悔の想いがありますよね。
あなたの悔しさもわかってあげたいですが、あちら側の置かれた状況もあったのでしょう。また、ご本人(お兄さま)の想いを最優先に、ご家族は配慮なさったのかもしれませんね。
「知らせない」には、いろんな捉え方があります。あなたが感じたように、言いたくなかったのかという距離を取られた意味と、心配をかけたくなかった、闘病の姿を見せたくなかった、元気な姿のままで記憶に残りたかった…。いろんな解釈があります。私自身は、自分の立場なら後半の想いがあり、家族であっても伝えられないだろうと思っているのですよ。
ですから、お兄さんが、あなたを想っていなかったということはないだろうし、あなたを避けたわけでもないだろうと思います。それでも弱っていく自分の側に、妻や子、家族との時間を過ごされるので精一杯だったのでしょう。また、コロナで大変不安定な時期に闘病生活だったわけですから、とても慎重であったと想像もできます。
あなたにとって、遠く離れていても、頻繁に会う関係でなくなっていても、お兄さまの存在は心の支えだったのですね。
亡くなっていただなんて、すぐに受け入れられるはずがないですよね。もう、この世にいないなんて。
こんなに早く別れが来るなら、もっと会いにいけば良かった、連絡をすれば良かった、そんな後悔があるのですよね。自分に対してもね。
お兄さん。教えてくださっているのかもしれませんね。この世は無常だよと。限られた時間を、一瞬一瞬を、大切に生きるのだよと。
いつか、兄妹で良かった、ありがとう、またいつの日か浄土で会おうと思える日まで。
これからも、兄妹に変わりはありません。あなたのお兄さんですもの。
あなたのいらっしゃる環境で構わないので、手を合わせて参りましょう。どこにいても、想いは届くのです。
今までの行いの悪さとありますが、あなた自身も、何かを抱えてこられたのですか?
ハスノハを利用してください。こうして一緒に話をしていきましょう。自分の気持ちと向き合っていきましょう。
質問者からのお礼
ありがとうございます。自分の思いを誰にも言えなかったので、聞いていただき分かっていただいて少し救われました。
兄のことは毎日のように思います。その時に、手を合わせてありがとうって伝えればいいのですかね?
胸が苦しくなるたびに、死んで逃げたいと思ってしまいますが
手を合わせて思い続けてみます。ありがとうございました。