胎蔵界と聖母マリア、仏性、キリスト
聖母マリアが処女受胎し イエスが生まれ、神のもとに召され、キリストとなった。が 処女受胎が作り話で有り得ない。だからキリスト教を劣った教えと日蓮正宗のお坊さんは説教されていました。
でも 弘法大師が景教を学び、胎蔵界の考えは、聖母マリアが処女受胎しイエスが生まれ、人の罪によりなくなり、神に召されキリスト(救い主)となり永遠の命を与えられた。
と 近しいのかと思いました。
三好春樹先生という介護で有名な方がいます。介護職は、介護する方の最後の母である。と書かれていて気になりました。
人は母となり母を知り、自分のなりたい母親像とのギャぷに苦しみ、悩む。と思います。
最後の母になるとは、お互いの再生になる。
仏教もキリスト教もそうなのかもしれない。
仏性は キリスト教で言えば誰もがキリストとして神の元にいけること で聖母マリアの処女受胎は 胎蔵界を現してるのかもしれない。
信じろ、崇めよでない信仰として霊性を重んじるのかもしれない。
なかなか敷居が高く、お坊さんや聖職者に聞けないのですが話せてよかったです。ありがとうございました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
勉強になりました。
あなたの視点勉強になります。
キリスト教と仏教は違いますから、共通性を見出ださない方が良いと思います。キリスト教徒で仏教の良し悪しを語る人もいます。その逆もあります。互いに性質が違いますから。
格闘技で何が強いかたまに話題が上がります。でも、競技により、ルールが違いますから、何が強いか分かりません。そんなところですかね。
あくまでも私の見解ですよ。
有難うございます
拝読させて頂きました。
とても興味深いお話をお聞かせ頂きありがとうございます。そして解釈をありがとうございます。
イエスも釈迦も或いは様々な開祖師もあまたの人々を救いたいを教えを広げていかれたことがとても大事なことだと思います。
処女性については補足的についてきたことであって信仰にとって一番重要なことではないと私は思います。それぞれの開祖には様々な神秘的なお話が常にありますからね。
私達人間というか生きものにとって母親はかけがえのない大切な存在ですからその様な素晴らしいお話が存在ずるのもうなずけます。
ただそれを信じるか信じないかは私はあまりこだわりはありません。
大切なことは祖師たちが説いて伝えて下さった救いの教えを私達一人一人がどう受け取って信じていくか、自分の人生の中でどう受け止めて実践していくかだと思います。それぞれが尊く正しい教えでしょうからね。至心合掌
質問者からのお礼
そうなんです。処女性や神秘というところをエロスととらえてない。実は旧約で神に誠実に懺悔苦しんだダビデの子孫としてイエスキリストが在るんです。
ダビデは人を殺したり、妻を奪ったりするんですが神に向き合う(死に向き合う)と懺悔苦しんだんです。そして最期は処女に冷えていくからだを寝床で温めてもらいなくなる。ダビデの子孫がヨセフでマリアと婚約中に関係を持つ前にイエスを身ごもる。まぁ話すと長いですが(^o^;)私は法然さんも親鸞さんも道元さんも好きですが
ありがとうございました
ありがとうございました。
フィードバックに弱い私は答えを見ることに勇気がいります。( ;∀;)
とても配慮と慈悲のある御言葉で助かりました。
例えが合ってるかわかりませんが、恋愛するとしてどのタイプの人と付き合うにしても、目的や目指すところは同じことと一緒なのかもってことなのかな。って思いました。自分に合うと思うもの、一緒に苦労しようと思うものを信仰したらいいんでしょうネ。
私は法華経の火宅の家を読んだ時に垂れ流しや犬に喰われるとこに介護を思いました。じゃあ、助けりゃいいじゃんと介護の仕事にしたんです。
因果応報、悪業結果として垂れ流しや犬に喰われる現状だと思わないような介護、環境が終末期にあることを考えさせられたからです。
病気や認知症になったのが悪業や祖先のせいじゃない。そうなった時に乗り越えたり生きることのできる人間関係や環境にあるかに現れ、助け、再生できるエンパワーメントもあるところが必要だと思います。
時々、ひとりで思うことに苦しくなり吐き出すことがこの場所になると思います。よろしくお願いいたします