生きる喜びとは
生きる喜びって何でしょうか。
どうしたら前向きに生きることができるのかわかりません。
平和な日本で暮らせているだけで幸せで、感謝する、ありがたいと思わなきゃと考えると何故か涙が出て止まりません。
最低限でも衣食住に困ってはいないし、ブラック寄りですが仕事もあります。
それでも今まで生きていてよかったと思ったことはありません。
いつかいい事がくるという言葉をよく見かけますが、私の人生では今より辛いことはないと言い聞かせて耐えていたら、さらに辛いことに遭遇して落ち込む一方で、その度に体調を崩しての繰り返しです。もうこれからの人生に希望を持てません。
もっと生きたいと願う方に生命を差し上げることができればよいのにと思います。
私がいなくなっても困る人はいないでしょう。
早く死んでしまいたいと思うばかりです。
好きだったことができなくなって、他に熱中できるものいうか趣味といえるものを見つけられません。
自己肯定感も低いみたいです。人と比べているつもりはないですが、自分に自身が持てません。
できないことばかり数えているなということは自分でもわかっています。あるものに感謝して幸せを感じるべきだと。
幸せだ、幸せだと言い聞かせるように思うたびに余計に哀しい気分になってしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そんな無理強いしないで
こんばんは。そんなふうに自分を仕向けたりしないで。「あー幸せ」とか始終感じている人はまず誰もいませんよ。
「生きてて幸せ、と感じたことはない」とのことですが、大概の人は「私もだよ!」と言うでしょう。これは「生きるか死ぬかをさまよった結果、生きてる」という経験があればこそ出てくる言葉です。
同じことを具体的な一例で書きますと、「今朝、カーテンを開けてお日様が見えて幸せ!」と思うのは、何かの理由で「それができないかもしれない」状況にある人ばかりでしょう。大概の人は簡単に布団から起き上がり、簡単に窓まで行く。その人に「カーテンを開けられて良かったですね、おめでとう」とか言ってもポカンとされるだけでしょう。
さて今までは「辛い事には耐える」という方針で人生を生きてこられたそうですが、それがもたらす結果は「さらに辛い事に遭遇していく一方」であるという。これは凄い発見ですよね。よくぞ気づかれました。小さい頃、「辛いことは耐えろ」と教え込まれ、それを何故か守り通してきて、でも人生経験を経て「これはいいやり方じゃない」と学んだのですね。
丁度良い機会と思って、人生への態度を変えてみましょうよ。すなわち「辛いことはなるべく我慢しない」。それで人生逆転!かは分かりません。あなたが「嫌なものは嫌」を言えるようになるかも分かりません。けれど、少なくとも「問題に対する選択肢が二つに増えた」と思えれば、少しは自分の人生をコントロールしている感じを持てるのではないでしょうか。
追加
こんにちは。どうもお求めのお答えができなかったようで、すみません。「私の書き方が悪かった」というのは、そういうことですよね。
ただ、「私の求めてるのはコレじゃない!」を表明できた事自体は「よかったですね」と申し上げたいです。
それとも私、あなたのお気持ちを見誤っていますか…?
質問者からのお礼
ご回答いただき、ありがとうございます。
いいことも楽しいこともなく、どうしてこんなに辛いことことばかり、ついてないことばかりなんだろうと考えてしまうため、幸せなんだと思わなくてはと思い込みすぎていたかもしれません。
私の言葉が足りなかったのですが、辛いことに耐えて、耐えきれなくて他の道に進んだらさらに辛いことが待っていたとお伝えしたかったのです。例えばブラックな会社を辞めたら、次の勤務先では、さらにブラックだった上に人間関係にも悩まされてしまう事態に陥ってしまったというようなかんじです。そしてその繰り返し。ずっと下降していく人生でした。
相談できる人、頼る人もいなくてこちらに救いを求めましたが、自分で人生の行き先を選択した結果、すべて自業自得ということですね。
自分の気持ちを伝えるのも得意じゃないし、選び方を間違って生きてきた自覚もあります。自覚はあっても不器用すぎて、自分を変えることが難しいです。
もう死ぬしかないんでしょうね。
こんな私にお答えくださり、ありがとうございました。
お返事ありがとうございます。
「問題に対する選択肢が二つに増えた」という意味がわからず、なぜそのような回答をいただいたのか理解できなくて、伝わらなかったのかなと思ってしまいました。
その場で言葉を求められる対面は苦手ですが、文章は何時間も何日もかかって考えて打っています。それでも自分のことを伝え慣れていないせいか難しいです。
「私の気持ち」との問いをいただきまして、何を望んでいたのか、死を肯定してもらいたいのか、生きたいのかよくわからなくなってきてしまいました。
でも久しぶりに仕事以外で誰かとやり取りできて、私のために私のことを思った言葉をいただけて、とてもうれしかったです。
ありがとうございました。