インターネットでの罪
いつもありがとうございます。過去に質問させていただいた「こんな自分が嫌いです」の悩みの一部ですがあの時の内容は、ちゃんと話せていなかったので今回改めて自分のしてしまったことを書きます。
僕は小学校6年のときにオンラインゲームをしていてヒートアップして、暴言、罵詈雑言をチャットに書き込んでしまいました。(お手数おかけしてごめんなさい。プロフィールの方に暴言の内容が載っております。)そこで、過ちに気づいて止められませんでした。その後、自分がヒートアップしたら書き込むということを繰り返していました。自分もそのゲームをやっていれば暴言を書き込まれる事はあり、不快に思っていたけれど自分のしていることに気づけませんでした。
一、二週間ほど経ち、通報が届き大きな罪を犯したことを知ってから暴言は書いていませんが、多人数制のゲームだったということもあり、何百何千の人の目に入り、多くの人を不快にそして深く傷つけた、苦しめたと思います。
そして、もし自死を選んでしまっていたらどうしようという身勝手な自分がいます。粘着して行っていたわけではないのですが、心に傷を負った人がそれを見たら一体どれだけ悲しむだろうと、最近になってやっと気づきました。そして一年前の質問の僕はそのことに気づいていませんでした。
母親にもこのことを先日伝えました。最終的には反省してるならよし、そのゲームには基盤(暴言、罵詈雑言がかなりの確率で書かれていて、それにある程度耐性のある人たちだということ)があるからきっと大丈夫だよと言ってくれました。でもこれを伝えた事で母も傷つけてしまったと思います。
Twitter などに書いてありましたが、ゲームなどで粘着して暴言を吐かれ、自死を考えた、未遂をしたという方もいらっしゃいます。きっと報道されていないだけで自死してしまっている人もいると思います。
そのゲームで暴言を書いてしまった試合の人は分からなくて直接謝ることができません。せめてもの償い、ごめんなさいとして、懺悔を毎日させていただいています。しかしそれだけでは足りないと考えています。今は人を傷つけるような言葉は使わないようにしていますが心が苦しいです。自業自得ではありますが、教えをいただけないでしょうか。
長文になってしまい申し訳ありません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
反省できていてえらい。でも…
同じように「悪いことをしたと思っている。心が苦しい」と言っている人を見たらあなたはどう思うでしょうか?
私は「ああ、反省しているんだな」と思います。
もし懺悔し、反省しているにも関わらず心軽やかに生きている人がいたら、それこそ信用できないのではないでしょうか?
心が苦しいのは過去を背負っている証拠です。
いつか、その過去を軽々と背負えるほどの人間になるのを目標とするのが良いでしょう。
しかし、あなた自身の心の在り方に少し問題を感じます。
それは、あなたが周囲の問題を背負いすぎているということです。
あなたのお母さんはあなたを傷つけまいと「大丈夫だよ」と言ったのだと思いますが、もちろんあなたの言う通り大丈夫じゃなかった人もいるでしょう。
でも、だからどうだと言うのですか。
あなた一人が暴言をやめても、この世界には暴言と悪意があふれています。
あなたの暴言で大丈夫じゃなかった人は、あなたじゃなくても誰かの暴言で大丈夫じゃなかった人であるはずです。
あなたはあなたのことしかできません。
自分で暴言をやめたら、助かるのはあなたであって周りの人ではないのです。
それが自業自得である、ということです。
あなたが自業自得であるように、周りのほかの人たちも自業自得の世界で生きているのです。
あなたが苦しいのは、他の人の“暴言で傷ついてしまう弱さ”まで背負っていることから来ているような気がします。
まずは自分のことをしましょう。
自分の問題と、他人の問題を分けるのです。
あなたの反省はそれから始まると私は思いますよ。
心から懺悔なさって下さい
拝読させて頂きました。
あなたは暴言や罵倒や雑言を繰り返し書き込んでしまい、多くの人達を傷つけてしまったことを深く後悔なさっているのですね。そして苦しくなって日々謝り懺悔なさっておられるのですね。
今までの詳細な経緯やあなたのお気持ち全てはわからないですけれども、あなたのその苦しみを心よりお察しします。
あなたがなさってしまったことこれからの毎日心から仏様や神様やあなたのご先祖様に素直なお気持ちで告白なさりあなたのなさったことを一つ一つ省みて反省なさって下さい、そして心から仏様や神様やご先祖様に懺悔なさって下さい。
どの様な場所でもやはり感情に任せて暴言や罵倒や誹謗中傷してはいけないです。あなたの心から溢れ出てきた言葉で他を傷つけていい道理はありません。あなたが傷つけてしまった多くの方々に心の中でも誠意をもって謝りましょう。その思いがあなたの心によみがえってきたら素直に仏様や神様やご先祖様に心からお伝えなさって懺悔なさり心から謝りましょう。
そしてこれからその様な暴言や罵倒や雑言や誹謗中傷をなさらない様にと心から仏様や神様やご先祖様にお誓いなさって下さい。
あなたのその思い全てを仏様や神様やご先祖様は受けとめて下さいます。あなたのその悪意や悪言や悪行を全て受けとめて下さいます。そしてあなたを受け入れて下さり、あなたを悪しき道から善き道へとお導きなさって下さいます。
私達はその様なことを日々犯してしまう愚かな存在です。それでも仏様や神様やご先祖様は私達を受け入れて下さるのです。
あなたのお家にお仏壇や神棚が無くても心の中で懺悔してお祈りなさって下さいね。
あなたがその様な悪行を心から反省し謝罪なさり、これからの未来を人とのご縁を大切になさり、お互いを尊重し合い思いやり心から豊かにご成長なさっていかれます様に、ご縁ある方と一緒に心から幸せに生き抜いていかれます様に切に仏様や神様やご先祖様に祈っています。そしてあなたを心より応援しています。
質問者からのお礼
啓誠様、お答えいただきありがとうございます。「他人と自分を一緒にするな」両親や周りの人からよく言われてきました。言葉にはいろいろな意味があるのですね。この言葉なら、啓誠様がおっしゃった、「他の人の暴言で傷ついてしまう弱さまで背負っていること」や、両親の言う「自分と周りを比べて優劣をつけるな」「よそはよそ、うちはうち」など、様々な意味があることがわかりました。
自分では分かっていたつもりでも、全然分かっていませんでした。僕の心のあり方、そして言葉の含む意味の大切さを教えていただきありがとうございました。
Kousyo Kuuyo Azuma様、ご回答有難うございます。Kousyo Kuuyo Azuma様がおっしゃる通り一日懺悔して謝ったぞ、と思うのではなくご先祖様、仏様、神様に日頃から過ちを告げ傷つけてしまった方々の心の傷が癒えるのを願い、それだけでなく、これからの言動、行動に気をつけることに意味があるのですね。とても大切なことをお教えしていただきました。
私たちは、数億分の一の確率でこの世に命を授かった言葉には表せないほど有難い存在なのですね。全ての命を尊重できる人間になります。
ありがとうございました。