得度の意味を考えてみました
前回ご回答くださった僧侶様、ありがとうございました。
あれから自分の生き方を見つめ直してみて、浅はかな考えで得度したいと思ったこと、お寺に入れば何とかなるという甘えた心、得度しても自分がちゃんとしてないと何も変わらないということを知りました。
前回お話ししたKというお山の尼さんにお願いしたところメールアドレスの交換をしてくださり、時々相談をするようになりました。
尼さんは得度はしたものの住職資格はないので、迷ったときは、菩提寺のあじゃりさん?に習ってくださいとのことでした。
私は古い頭の持ち主で、年下の方にうまく頼ることができません。どうしても年上として、若い人に教えないと!という傲慢な気持ちが捨てられません。
尼さんは若手の方を育てるために、自ら練習台になればよいと言ってました。自分の身を低く保ち、私相手ならいくら失敗してもいいからと、いつか自分がご住職となる日のために私を利用したらよいのだ言ってました。
彼女のような、慈悲深く、優しく育てる気持ちを持つにはどうすればよいでしょうか?
私は、若い人から口答えされると生意気だなぁと思ってしまいます。でもその尼さんは、今の時代受け身の若手が多い中、そうして年上にぶつかってこられる人こそ大切だと言ってます。
私も頭ではわかるのですが、実践は難しいです…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
年齢は関係ないですよ。
相談文を読ませていただきました。
ありがとうございます。
僭越ながら、私も在家出身の尼僧ですので、一言傲慢ながらも言わせてくださいませ。
たとえ、5歳の子供であっても、先に得度していたら先輩です。
頭を下げなければなりません。
それに抵抗があるのなら、もしかして、僧侶には向いていないのかもしれません。
年下は自分より精神レベルが低く、自分が導かなきゃという思いが強いのであれば…厳しいようですが、思い上がりだと私は思います。
自分より年齢が上か下かで態度が変わるような方の説法を貴女はお聞きになりたいでしょうか?
僧侶の世界は理不尽なこともかなり多いです。
しかし、理不尽とは何でしょうか?
おそらくご自分の正義に反することですね。
正義とは何でしょうか?
ご自分が正しいと思う価値観です。
価値観は人それぞれであり、どれも自分とは違うだけで批判したりすべきものではないと私は思うのです。
自分の正義を主張すれば、必ず戦いになります。
僧は戦いから離れた存在であった方が良いと思うのです。
むしろ、その正義感は自分の心の中のどこから生じているのかを見つめていくことが大事だと思うのです。
人に意見するような正義感の奥には自分にとっての心の傷や、心の癖があったりしますから、人に対してではなく、まず自分を見つめなければと思うのです。
そうすれば、他人の価値観もそれぞれの生き方や思いがあることがわかりますから、ただ単に違を唱えることはなくなるのではと思います。
偏見なく、まっすぐに人を見る助けになるのではと思います。
大事なのは自分の心を見つめることだと思うのです。
私がこうして、ご意見するのもいかがなものかということになりますが、戯言としてお心にとめて頂けましたら幸いです。
あなたの気持ちを大切に!
わたくしは曹洞宗ですが、一般家庭から出家しました。
いまから二十年ほど前、お寺のことなど何もわからないまま僧堂に入ることになりました。『1日前でも先に入門したら先輩だから、はいっ!ということを聞かないといけないよ』入門を許してくれた親族からはそれだけ教わりました。
慣れない作法や儀式(法要)すべては細かい規則が定められていました。
道場内での上下関係も絶対でした。
『何のためにこんなことをするのだろう?何の意味があるのだろう?』
頭の中は疑問だらけでした。
そんな時、入門する前に読んでいた学道用心集の一句
『発心正からざれば万行空しく施す』を繰り返し思い起こし、
自問自答していたのを思い出します。
お坊さんになることを出家といいます、出家するとは家族との縁を切るというになるのです。
それともう一つ『発心』という言い方もあります。
発心は『発菩提心』(ほつぼだいしん)の略で、
『浄らかな信心を持ってお悟りを求める心を起こすこと』、
わたくしは『いけとしいけるもののために生きる決意を起こすこと』と解釈しています。
それから20年、葬儀もお勤めしますし、法事もします。
私の修行が実を結んだとはまだまだ言えませんが、
お檀家の方と接するその瞬間に、どんな言葉をなげかけるか、どう向き合うのか、いつも自分の発心が試されているような気がします。
『発心正からざれば万行空しく施す』
『初めの発心が正しく無いとどんなに修行を積んだところで意味をなさない』
とは逆言えば『初めの発心が大切だ』ということだと思います。
あなたさまの素直なお気持ちを大切にしていただきたいと思います。
質問者からのお礼
直応様、悟東様、アドバイスやお叱りの言葉をいただきありがとうございます。また、お礼が遅くなりたいへん失礼いたしました。
追記にてお二方に個別で改めてお礼を書き込みたいと思います。まずは取り急ぎ、本当にありがとうございます。
直応様
アドバイスありがとうございます。コメントを拝見して、お坊さん方と私の間では根本的な心がけから全然違うと痛感しました。
私は尼さんになれば変われるだろうと安易に考えてましたが、直応様のおっしゃるように、プロになられてからが本当の勉強の始まりなのだと改めて教えていただいた思いです。
私は得度よりも、心の弱い一信者としてお坊さんにすがることが良いのかな?と、コメントを拝見して思いました。
この度は本当にありがとうございます。私のように、直応様に救われる方がたくさんおられると思います。暑い時期ですがお体を大事になさってください。
悟東様
この度はお叱りをありがとうございます。僧侶となるには私の今の人間性ではダメだということ、身に染みてわかりました。
記事に書いた、メール交換をしている女性からもかなり厳しく叱られてしまいました。宗派にもよるのでしょうが、幼児でもおじさんでも老婆でも、お互いに仏さまなのだと思って丁重に接することができなければ、どこのお寺さんも認めてくれないとたしなめられました。
戯れ言、傲慢などとんでもないです!この年齢になると叱ってくださる方もいなくなり、しまいには「ヤバいおばさんだな」って放っておかれて孤独になるんだと思います。
悟東さまのお言葉を胸に、まずは素直で分け隔てのない、敬虔な信者を目指そうと思います。ありがとうございます。