出家を考えています回答受付中
これまで理系学部の大学院を卒業し、現在エンジニアとして働いていますが出家を考えています。理由としては、自分の悟りたい、この世の真理を知りたい、その上で人に貢献したいという気持ちは人生をかけるに値する一番の目標なのではないかとここ数年考えているためです。ただ、現在の生活にある程度満足しており、不退転の出家の覚悟があるかというと言いきれないため悩んでいます。本当は俗世の喧騒が嫌だと感じ、ただ逃げるために出家したいのではないか?という自分に対して疑う気持ちもあります。
急がずともいつか自分の気持ちが定まったら出家すれば良いとも思うのですが、そうするとこのまま何となくの人生になってしまいそうです。自分の心が決まり納得出来れば今の生活を続けるでも出家して新しいスタートをするでもどちらでも良いのですが、やはり、このように揺らいでいる状態では出家するのは難しいでしょうか?どうすれば自分の心が定まるでしょうか?
お坊さんからの回答 4件
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出家すると体は牢獄に
入るような感じになります、心は自由に学び修行していいのですが。
出家を二種類に分けて考えましょう。
一つは、現代日本のどこかの宗派での出家。
もう一つは今も生きる釈尊以来の上座部(宗派に分かれる前)での「出家」。
日本宗派での出家は、その宗派の教えと修行をやることになります。釈尊のとおりかどうかはちょっと分かりません。今の日本の宗派仏教は家族経営なので、外部から、しかも女性だと、出家させる代わりにブラックな法務・低賃金労働やもっとひどい目に遭うかもしれません。経営者を見極めないといけません。
上座部では、女性も「出家」できますが、法務はおよそなく、自分の学びと修行と布施供養を受けるだけで済みます。その代わりミャンマーやスリランカなど上座部の国に行かないとそういうシェルターは日本にはありません。
出家する、とは、世俗の義務を全部放棄して、自分の悟りのために学ぶ修行するだけです。その代わり、戒律によって、二十四時間、自分の言動と心を自分で見張らないといけません。戒律は最初に全部頭に入れないといけません。男は特に、葬儀や法事で説法などを期待されるので、学びやお経の暗記も必須です。世話や指導してくれる師匠がついてくれたりしますので、その代わり、師匠の身の回りの世話もいつも気にかけないといけません。心が揺れ動かなくなると、戒に守られて楽ですが、そうなるまでが、体も心も自由はなく、牢獄です。世俗を捨てて出世間の身になるとは、そういうことです。
日本各宗派のやり方はものすごく不安定で適当なので、本当に悟りたいなら、上座部系で、まずはお試しで何日間かの合宿瞑想や短期出家をするといいでしょう。スリランカやミャンマーのやり方はご自分で調べていただくとして、日本では、スマナサーラ長老が指導する日本テーラワーダ仏教協会の人々が行っているものが、精神的にも肉体的にも、とりあえず安心です。ネットで、スマナサーラとか、日本テーラワーダ仏教協会とかで検索してみてください。私のお寺が主催する日本テーラワーダ仏教協会式の合宿は、山口県で今秋に一週間のものがあります。
でもまずは、仏教ってなんやねん?悟りってどういうこと?などを、スマナサーラ長老のyoutubeで軽く知ってみるのがいいと思います。
出家とは、現実からの「逃げ」ではなく「向き合い」の道
あなたは、「俗世の喧騒が嫌で逃げたいだけなのでは」と自分を疑っておられますね。
その問いは、とても大切です。
なぜなら、出家とは“逃げる道”ではなく、“向き合う道”だからです。
ですが、迷いながらもその問いを自らに投げかけているあなたは、すでに「真実に向き合おうとしている人」だと私は受け止めます。
“逃げたいだけ”の人は、そもそもそんな問いを持ちません。
真言宗の立場から言えば
仏教において「出家」とは、煩悩を断ち、真理(さとり)を求め、衆生を救うための道です。
けれど現代においては、必ずしも「形の出家(袈裟を着て寺に入る)」だけが道ではありません。
在家のままでも、真理を求め、他者に貢献する人生は可能です。
むしろ、理系の学びやエンジニアという現代的知性を持ちながら、仏道に生きる姿こそ、これからの時代に必要とされているのではないでしょうか。
「出家すべきか」を決める前に、大切な問いがあります
それは、「何に心が深く震えるのか?」という問いです。
・真理を求めたい、というのは「なぜ」か?
・人に貢献したいというのは「どんな形」でか?
・エンジニアとしての今の仕事には「どんな意味」があるのか?
このように、自分の“内なる声”を聞いていくことが、道を定める一番の近道です。
決意を急がず、「行」として日々を生きる
仏教では「出家即ち悟り」ではなく、「出家してからが行のはじまり」だと説きます。
ですから、いま迷っている自分を否定せず、その迷いそのものを“行”と捉えてください。
たとえば、毎朝5分でも坐り、経を読み、日々の自分を見つめる時間を持ってみる。
それだけでも、日常に仏の道を生きることは可能です。
最後に
あなたはすでに「道の上」にいます
出家とは「外側を変えること」ではなく、「内側の決意を深めること」です。
たとえ明日出家しなくても、あなたがいま「真理を求めたい」と願っているその心こそが、すでに仏道の第一歩です。
ですから、焦らなくて大丈夫です。
この問いを抱えて歩むあなたの人生は、すでにかけがえのない尊い修行です。
どうか、ご自身を大切に、日々を丁寧に。
その先に、必ず納得できる“答え”があらわれるでしょう。
合掌
美波さま
このように揺らいでいる状態では出家するのは難しいでしょうか?
出家についてのしっかりとしたお気持ちやお考えはお持ちだと感じますが、
今はまだ自分で決められない状態だと思います。
選択に当たっては自分の中ではっきりと決められてから、
覚悟が決まってからの方が、宜しいのではないかと思います。
中途半端な気持ちで選択すると後々色々と影響がでると思います。
「いつか自分の気持ちが定まったら出家すれば良いとも思うのですが、
そうするとこのまま何となくの人生になってしまいそうです。」とありましたが
定まる前に出家しても何となくの人生になってしまうと思います。
真理を知りたいとのことですが、求める気持ちが強ければ自ずと出家するか否か
を決められると思いますし、求めるものに応じた良き指導者にも出会えると
思いますし、求めている答えもいつか見つけることができると思います。
求める気持ちが確りしたものでないと、確りしたものから始めないと
後々のことも中途半端になってしまうと思います。
どうすれば自分の心が定まるでしょうか?
人為的に何らかの手段を用いて心を定めるということではなく、
自ずと定まるのを待たれた方が良いと思います。機が熟すといいますか。
出家の目的、何を求めているのかを自分自身とよく対話して明確にされると
よいと思います。
ネットなどでも色々な法話や講義を聞くことが出来ます。法話の会や坐禅会等
に参加されたりし、自分に合った宗派や尊敬できる指導者を探されるとよいと
思います。
私も出家のものですが、信頼できる指導者と縁があってから得度された方が
良いと思います。
出家をせず、今のお仕事をつづけながら真理の探究をするという選択もありだと
思います。(単に選択肢の一つとしてもあり、という意味です。それをお勧めし
ているのではありません。)
あなたが求める道を歩んで下さいね
拝読させて頂きました。
あなたはこれから今までの生き方から出家の道に歩み出していきたいと思っておられるのですね。詳細なあなたのことはわからないですけれども、あなたがそのように道を求めていかれることはとても素晴らしいと思います。あなたを心より応援したいと思います。
あなたがどのように出家なさっていきたいのか詳細にはなかなかわからないですが、先ずは仏教について学んいってはいかがでしょうか?
あなたの求める道に直ぐに通じるかどうかはわからないですけれども、例えば仏教伝導協会が出している「仏教聖典」等の書籍をお読みなさってみたり、様々な宗派の本山寺院にお参りなさってみて様々な法話を聞いてみてもいいのではないかとも思います。
藤本師や鈴木師がおっしゃるような道もあると思います。
様々な巡り合わせや出会いの中であなたが求めていきたい道や修行法も沢山あるでしょう。
あなたの目の前には沢山の選択肢がこれから広がっていくでしょうからね。
今のお仕事からいきなり離れる道もあるでしょうし、お仕事なさりながら求める道を探していく方法もあるかもしれません。
ぜひ様々な出会いを求めていって下さい。
あなたがこれからの未来に自ら求める道や出会いに恵まれ、自ら選択なさり歩んでいくことできますように、あなたの歩む道が様々な方々への救いへとつながっていきますように切に仏様や神様やあなたのご先祖様にお祈りさせて頂きます。
ぜひがんばって下さいね。至心合掌