亡き娘への自責と後悔が払しょくできません
以前に一度相談させて頂いております。
娘が病気で亡くなったことは運命であったと理解しており、辛さ、悲しさは日々増しますが残された高齢の父を看取ることが私の使命と思っています。
そのような日々の中、私の中でどうしても払しょくできない自責と後悔の念があります。
娘の病気が発覚した当初から私の役目は娘が最後の最後まで楽しく前向きに生きれるようにする事だと考えていました。最初に主治医にお願いしたことは、『娘との最後の会話は「今日はゆっくり休もうね。明日になったら元気になるからね。お天気だったら公園に行こうね。」と言って見送りたい』でした。
闘病中は病気の重篤さを悟られないように、治るんだと思えるように、私なりに努力しました。
しかし肺に転移した腫瘍が増悪し、最後の3日は病院で鎮静が必要な状態でした。娘は仰向けになる事ができず、ベッド上のテーブルに突っ伏して半分寝て半分起きているような状態で右に左にふらふらして本当に辛そうでした。
この時点で鎮静を多くして娘の苦痛を取り除いてもらうべきだったのですが、こんな状態でもまだ私は娘の死が間近であると認識していませんでした。
ふと、トイレに行くのは苦しくなるのでオムツにしてもらわなければ、と気づき、看護師さんにお願いしようと思った矢先に娘が「おしっこしちゃった」と息も絶え絶えに訴えました。私は「やってしまった。最後に失敗してしまった」と思いました。苦しい思いは絶対にさせまいと誓って頑張ってきたのに。
娘を私に寄りかからせて看護師さんにパジャマをハサミで切ってもらい何とか着替えさせました。すると娘が「もう死にたい」と私の耳元で一言いったのです。10歳にも満たない娘に「死にたい」と言わせてしまった。最後の最後で私が気付くのが遅れて苦しい思いをさせてしまった。すぐに鎮静を多くしてもらい、娘はやっと仰向けになって眠れるようになりました。その後目を覚ますことはなく、翌朝早くに亡くなりました。
病院側から残り僅かであると一言あればもっと早くに苦痛を取り除いてあげられたのに、とも思いますが、最後まで意思の疎通をさせてあげたいという善意だったと理解しています。気づかなかった親の私の責任です。
楽しくお浄土にいると言われても、この世の最後の言葉が「もう死にたい」であった幼い娘の気持ちを考えると、自分自身がどうしてよいか分かりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
愛する娘さんを偲びましょう。あなたの中に生きてくださいます
プロフィールや前回の質問も読ませてもらいました。娘さんの言葉が、いつまでも残りますよね。そばについていたのに、死にたいほどの気持ちにさせてしまった。恥ずかしい惨めな気持ちにさせてしまった。本当にごめんなさいと、何度も何度も謝っているのではないですか。
きっと仏様のおそばで、苦しみから解放されていらっしゃると頭で理解したくても。気持ちは、自責や後悔のままなのでしょうね。娘さんを想えば、涙が止まらないですよね。
あの日に戻りたい、会いたい、名前を呼んで抱きしめたい。
もっと一緒に先の未来を生きたかったですよね。
あなたの気持ちは、自然なことなのでしょう。
何度でも、あなたの気持ちのそばに。
頷きながら、気持ちを聞かせてもらいたいわ。行き来する気持ちのままに。
一緒に話をしましょう。
あなたの愛する娘さんを一緒に偲びましょう。あなたの中に、いつまでも生きてくださいますものね。
あなたの思いをおっしゃって下さいね
拝読させて頂きました。
大切な娘さんが病いでお亡くなりになられた時にあなたは娘さんの辛い思いに気づくことができずに、辛い思いのまま娘さんがお亡くなりになられてしまったことを深く後悔なさっておられるのですね。あなたと娘さんとのやりとりや状況やお気持ち全てはわからないですけれども、そんなあなたのことを責めてしまい今もとても悔やんでおられることは伝わって参ります。あなたのそのお気持ち心よりお察しします。
病いの中でもあなたは娘さんに状態をあまり知らせずにしっかりと前向きに生きてもらいたいと思っておられたのですね。あなたがその様に思うのも当然のことかと思います。親として毎日を子が一生懸命に生きてもらいたいと思うのは自然な思いですからね。
その中で娘さんの最後の状態を気遣ってあげることできずに、娘さんは辛い状況の中で亡くなられていかれたことをあなたが悔やんでも悔やんでも悔やみきれないと思って自分を責めてしまうお気持ちもわかる様に思います。
その様な生と死のはざまの中でどうしてあげることがいいのかなかなか判断することは難しいと思います。
娘さんが心から安らかになります様に心を込めてお祈りさせて頂きます。至心合掌
娘さんは必ず仏様や神様がお導き下さり、先に往かれた親しい方々やご先祖様が娘さんを優しくお迎えなさって下さいます。娘さんは一切に迷いも苦しみも痛みからも救われて心から安心なさり、仏様や神様ももとにて何の憂いもなく清らかに円満にご成仏なさっていかれます。そしてこれからもあなたやご縁ある皆さんを穏やかに優しくお見守りなさって下さいます。
あなたと娘さんとのご縁はこれからもずっと永遠に続いていくのです。
娘さんが心から安らかになります様に心を込めてお祈りなさって下さい、そしてあなたの娘さんへの思いをありのまま全てお伝えなさって下さいね。娘さんはあなたの思い全てを優しく受けとめて下さいます、あなたに寄り添いなぐさめて下さいます。
いつの日かあなたがその天寿を全うなさる時には必ず仏様や神様がお導き下さり、娘さんがあなたを優しくお迎えなさって下さいます。そして再会を喜び合い分かち合い、共に安らかにご成仏なさっていかれるでしょう。
あなたが娘さんとのご縁を大切になさりながらこれからも心から豊かに健やかに与えられた命を生き抜いていかれます様に切に娘さんに祈っています。至心合掌
質問者からのお礼
期せずして御二方からご回答頂戴しまして大変恐縮です。私の今更どうにも出来ない事柄に対してとても丁寧に温かいご回答くださいました事、心よりお礼申し上げます。
もし私が早くに娘の鎮静を多くしていたら、それはそれで『もっと話したい事があったのではないか』と考えてしまったかもしれません。娘の最後の言葉が『もう死にたい』だった事は、裏を返せば『もういいよ』と私に伝えてくれたのだ、とも考えられます(とても辛いですが)。
娘は幼くして亡くなりましたので、娘を想ってくれる人はとても少ないため、今回この様な場で御二方が娘を想い、ご回答くださった事が何よりの娘に対する供養ではないかと思います。
人の苦しみ、痛みに寄り添う事の大切さを教えて頂きました。心より感謝申し上げます。ありがとうございました。