親孝行ができない自分について
私は世間一般に言われる親孝行ができない娘です。
就職して地元を離れてから、初任給でプレゼントを買ってあげる、誕生日にお祝いを送ったり、何かあれば連絡をする、といったことをほとんどせずに来ました。それどころか、LINEなどで連絡が来ても何日もリアクションができず、放置してしまうこともあります(他の人に対してはそんなことはありません)。
たまに会って食事をするのもとても気が重いです。結婚時は、結婚式を望まれていたと思いますが、私がどうしてもしたくなく理由をつけて行いませんでした。
「そうした方がいい」と思っていても、形だけでも、実行できないのです。
思春期頃にはもう親との会話がままならない子どもでした。
話そうとしても、口が凍り付いたようになってしまい、たどたどしい受け答えがなんとかです。
思いあたる背景といえば、昔から両親が不仲で、父親は私が幼い頃から長く不倫をしていました。婚外子もおります。知ったのは成人してからですが、ずっと夫婦仲は不安定でしたし、父親はよく家に帰りませんでした。一緒に育った兄弟はおりません。
でも両親が憎いわけではありません。私に対しては良い母親と父親でした。細かい不満はあれど、不自由なく育ててくれ、感謝しています。離婚もせず娘を自立できるまで育てたのだから、親孝行されるべきだと思います。
でも、それなら誰かが私の代わりに孝行してくれないか、というひどい気持ちでいっぱいです。
いつか、親が亡くなる日が来るでしょう。満足に孝行しなかったことを後悔するかもしれません。それがとても怖いです。これさえ親を思っての不安ではないことが恥ずかしいです。
私自身が、こんな自分を受け入れられないでいます。孝行ができない自分をどのように受け止め、変えていったらいいのでしょうか。
情けない話ですが何かお言葉をいただけたら嬉しいです。
楽に流れてしまう、自分を偉く見せたくなってしまう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
こんにちは。ふるたにこうだいと申します。
ご相談拝見させていただきました。
「満足に孝行しなかったことを後悔するかもしれません。それがとても怖いです。」
私が思うに、このひと文にあなたの答えが詰まっているように感じます。
絶対に老いと死は避けられません。大抵の人はそのことを本当の意味であまりよくわかっていらっしゃらないのだと思います。
当たり前に明日は来る。当たり前のように明日も自分の親が生きている。
そんな保証、どこにもないのに、です。
その点あなたは、親が高い確率で自分よりも先に亡くなってしまうことや、その未来に後悔する可能性があるということを、きちんとわかっていらっしゃいますね。
親孝行なんて誰しも、いつかやろう、そのうちやろうと思いあぐねて、そのタイミングを逃し続けることが多いんです。
後悔するのが怖いとわかっていながら、それでも行動する気にならないのであれば
それもひとつの尊重すべき選択ではないでしょうか。
親孝行らしいことができないなんて、そんなに特別悪いこととは思えません。
あなたが生きてそれなりに暮らしていけることが、親御さんにとっても喜びだと私は思います。
拭いきれない気持ちがあるのであれば
感謝の気持ちを伝えてあげてください。
旅行に行かせたり、結婚式を挙げたり
大それたことをする必要はないんです。
思春期も含め、色々な葛藤もあったでしょうが
こうして無事に育ててくれたことに対し「それはそれで」感謝する。
ありがとう、そう伝えるだけでいいんですよ。
母の日、父の日、誕生日、チャンスは無限にあります。
「育ててくれてありがとう」
その一言で十分だと思いますよ。
質問者からのお礼
ふるたに様
お返事ありがとうございます。
私のつたない悩みを受け止めていただいたような気がして少し気持ちが軽くなりました。
いただいたお返事を読みながら、私は、親を喜ばせたいのではなくて、育ててもらった恩を返さないでいるのが間違っていると感じていたような気がしました。
でも本来これは物や結婚式で返せるものではないのかもしれないとも思いました。
恩返しではなく感謝を伝えられるようになりたいと思います。それも、まだ今は難しいですが、少なくとも一生懸命生きようと思います。
ありがとうございました。