同性異性問わず人を信じられません
はじめまして、ロトウと申します。
同性異性問わず信じていた人達に裏切られた過去から人を信じられません。
その為、過去現在の中で親しい人間はいなかったと断言できます。
まず、異性についてです。
小学生の時に好意を抱いてくれた女子がいましたが、その後彼女に当時の自分が大事にしていたものを「キモい」と言われたことから、子ども心ながら女性不信が根付き始めたようでした。それ以降女性と関わることに忌避感を抱き、異性に対し積極的になることができませんでした。
次に、同性についてです。
中高で自分が親友と思い込んでいた男子と当時仲良くしていましたが、大学以降は徐々に疎遠になりました。成長による価値観の相違は受け入れていましたが、当時約束していた旅行を反故にされたことを裏切りだと感じております。
以上が自分が人を信じられなくなった経緯です。
彼らの本質を見抜けず盲信した自分の愚かさに常々嫌気がさします。
周囲から「過去に縛られなくていい」と慰めのお言葉を頂くこともありますが、心に強く根付いた人間不信が原因で生きづらさを抱えています。
自分が大切に思える誰かがいない自分は生きるべきではないのでしょうか。ご回答お待ちしております。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生きるべきではない人なんて、どこにもいないわ。
そんなことがあったのですね…。
経験したことが、のちの人生を左右してしまうこともありますね。強く印象づいてしまうと、また同じようなことが起きるのではないかと警戒したり、最初から付き合わない方がいいと人との付き合いにも不信や恐怖を感じたりと、生きづらいですよね。
あなたの気持ちに合わせながらが一番ですが、ハスノハにはたくさんの質問とともに、様々な人の想いが詰まっています。私はずっと関わってきましたが、傷ついたり悲しくなる人も、誰かを大切に思うからこそ生まれる感情です。
いろんな人がいらっしゃいますから、トラウマの克服には、やはりあなたが経験した人とは違う人もいるのだという、経験を上書きしていくことなのかもしれませんね。
生きるべきではない人なんて、どこにもいないわ。みんな、自分のいのちを、自分の思うように生きたらいいのですよ。
あなたの居場所も、安心できる人にも、きっとどこかで出会えたらね。
人を信じる必要は無い
人間不信で悩む人は、「人を信じなければならない」という固定観念に縛られているのかもしれません。
いっそ、人を信じる必要は無いと、考え方を変えてみてはどうでしょうか。
たとえば誰かと旅行の約束をしていて仮に旅行を反故にされても、よく考えたらそれであなたが死ぬわけではありません。
また、約束をしていた相手が急病になったり、親戚のお葬式が入ったり、台風で交通機関が動かない可能性もある。
結局、人を信じていてもいなくても、旅行がダメになる可能性があります。
だったら、べつに人を信じなくても良い。
最初から、約束を反故にされても平気へっちゃらな心と物理的な準備をしておけば良いのです。
一点集中ですべてをかけて信じるのは危険です。
宗教や詐欺師などに人生を壊されるような人も、一点集中タイプかもしれません。
面白半分で宗教施設のおみくじを引いたり、小遣いの範囲内で怪しい商品を試してみて、それで仮に裏切られても笑い話ですみます。
あなたは、一点集中のように信じなくてはならないとは思わず、裏切られても笑い話にできるような余裕を持った人生にしましょう。
たとえば浄土宗では、念仏できれば人生オッケー、合格人生だと考えます。
他人があなたの期待に応えてくれても裏切っても、南無阿弥陀仏と念仏できるなら人生に問題なし。
だから「どちらでも、まぁ、良いか!」です。
漫画ドラゴンボールで、孫悟空が、自分の尻尾を切られて無くなったことに気付き、一瞬「オラの尻尾が!」と驚きましたが、次の瞬間には「ま、いいか!」と思考を終えました。
その「軽さ」が幸せのコツなのです。
信じなきゃ!は重たいのです。
そう思うお気持ちもわかる様に感じます
拝読させて頂きました。
あなたが人から嫌なことをいわれたり約束を反故にされて他者を信じることができないことを読ませて頂きました。あなたがその様に人を信じられなくなってしまったことはとてもわかる様に感じます。人から裏切られたりひどい扱いを受けたりひどいことを言われたら当然ながら傷つきますし、信じることなどできなくなってしまいますからね。あなたのそのお気持ちを心よりお察しします。
今までの人間関係ではその様な場面がありそうした関係に至ってしまったのかもしれません。それは様々な巡り合わせがありやむを得ないことでもあるかと思います。
あなたは例えば旅行に出た時やたまたま立ち寄ったところで人から何気ない親切を受けたことはありませんか?知らない土地に行って行きたいところが分からずに通りすがりの人に道を聞いた時にとても親切に教えてもらったことはありますか?或いはあなたが何か落とし物をしてしまったり忘れ物をしてしまった時にとても丁寧に拾って下さったり貸してもらったことはありませんか?或いは人から何かを頂いたり大切なものを譲って頂いたりしたことはありませんか?
私達は普段はあまり気にしないですけれどもあまたの方々とつながりながらそのご縁の中で恵まれて生きています。何気なく過ごしている中で当たり前だと思い込んでいることが実はとても尊くかけがえのない大切なことだったりするものです。普段は全く気にも留めていないことが後から考えたらとても有難いことが星の数ほど沢山あるのです。
それは様々な無償のつながりの中で深い信頼や慈愛があればこそ存在しているのです。
今あなたの心の中では様々な疑いや怒りや憎しみやうらみや諦めもあるのかもしれません。とはいえどそれだけであなたは生きているわけではありませんし、あなたは今も様々な巡り合わせの中で恵まれて生きているのです。
あなたがこれからの未来を大切な方々とのご縁に恵まれながら心からお互いのことを大切に思いやり尊重し合いながら健やかに生き抜いていかれます様に切に祈っています。そしてあなたを心より応援しています。