以前質問させていただいた補足について
以前は有り難いご回答をいただき、
家族共々お礼申し上げます。
質問内容が少し重なるかと思うのですが
可愛がったペットは輪廻転生などで私達の元へ
戻ってきてくれるのでしょうか?
友人が飼っていた犬の話ですが、
亡くなって3ヶ月後、なぜか子犬をいただいて
その子が亡くなった子が好きだった場所や物を
とても好む様で友人は多分その子だろうと
言っていました。
見えない力の話なので具体的な回答などが
ほしいなどではないのですが、
皆様のお考えをお聞きしたいです。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私自身に置き換えて考えることができるかどうか
2つのことについてお伝えします。
1.「輪廻転生」について
結論から言えば、仏教と輪廻(生まれ変わり)は、まったく相容れない教えです。そもそも仏教は、生まれ変わりグルグル流転することからの解脱(抜け出す)を目的としています。
なぜ仏教は輪廻を良しとしないのでしょう。 輪廻を信じることは、生まれ変わって今より良い来世を求め、今の人生よりも過去に後悔を引きずり、今自分が生きている現実を見失っている姿だからです。
次に生まれ変われるのなら、今を無理して生きる意味は無いし、気に入らなければ命をリセットすれば良いとする教えです。
対する仏教は、いのちの尊さを「天上天下唯我独尊(天にも地にもわたしは代えがたいひとつのいのち)」とお釈迦さまは示されています。
2.輪廻の子犬を自分に置き換えてみると。
あなた自身が子犬の立場になると、「あなたは死んだおじいちゃんそっくり。あなたをおじいちゃんの生まれ変わりだと思って育てます」ということ。あなたがあなたであることは認められません。だって、おじいちゃんの生まれ変わりなのだから。あなたという存在は、唯一ではなくなる。おじいちゃんのオマケみたいなものです。
その子犬は、亡くなった犬の身代わりですか?亡くなったことを受け入れられない慰めの犠牲ですか?
亡くなった犬が、懸命にいのちを生き抜いて、「すべてのいのちは必ず終わりがある」という尊い最期の姿を私たちに示して下さったのに、まるでスペアパーツのように子犬を扱うこと自体、亡くなった犬のいのちの尊厳も「代わりのスペアがあるから別に死んでもいい」ということになりませんか。
輪廻は、見えない不思議な力でも何でもありません。
輪廻を信じるということは、お別れしたいのち、出会ったいのち、一緒に生きるいのち、すべてを粗末にする力です。
あなた自身やご友人は、子犬のいのちの輝きや、亡くなった犬との別れにしっかり向き合うことが出来るはずです。もう一度、お別れしたいのちのこと、今を生きるいのちのことを考えてみて下さい。
どんないのちも、他に代えがたい唯一の素晴らしいいのちなのですから。
私には分かりません
自然の力は私の理解の及ぶところではありませんから分かりません。
もしかしたら生まれ変わりかもしれません。
あるいは子犬が前のペットの匂いに興味があるだけなのかもしれません。
何れにしても、新しい家族を大切にしてあげてくださいね。
質問者からのお礼
御二方様
ご返信ありがとうございました。
家族全員、読ませていただきとても
心に今響いておりました。
後ろばかりを見るのではなく、
新しい出会いに感謝しながら進んでいこうと思います
ありがとうございました。