友人が豹変…縁を切りましたが虚しいです
3か月前に自分の心身を守るためにネットの友人たちと縁を切りましたが、虚しいです。
去年の春、Nさんとは趣味の創作で出会いました。
複数人で協同で小説を編むような趣味で、Nさんは私を絶賛し、また私も慇懃で知性溢れるNさんをすぐ信頼するようになりました。
Nさんを通じて10人弱のグループに所属することになりましたが、揉め事続きでした。
半年後には悪口や悪意ある憶測がグループ内を飛び交うようになり「私も陰で悪く言われている」と思いつつもNさんと正式にペアを組んで小説を書けるようになったため、趣味のためにグループ内に居続けました。
Nさんも人の悪口を好みましたが、Nさんとの創作は何よりも楽しく、またNさんに認められると非常に嬉しく依存してしまいました。
しかし今年の春にはNさんは私に連絡をくれなくなりました。
「春になったら一緒に小説を作りましょう」「資料は明日までに送ります」Nさんは私にそう約束したまま、数か月も放置しました。
「お忙しいとは思いますが、小説について少しでも相談出来たら嬉しいです」と連絡しても無視、一方でNさんとやりとりをしている同じアカウント(旧Twitter)ではグループの友人と話していたり、私は二の次というところを見せつけられました。
「私に悪いところがあったなら教えて欲しい」と連絡してようやく「あなたは趣味に依存しすぎている」と連絡がありました。
その自覚はあり、だからこそこちらはNさんの負担にならないようにペース配分を考えて連絡をしたり、返信はなくとも一か月は待って、急かすようなことも慎んでいたのですが……。
ともかく、自分が向こうに配慮しているのと同等に、向こうはこちらを尊重する気がない、と気づきましたし、嫌がらせが多方面へ横行するグループにも嫌気がさしたので趣味の一切の縁を切りました。
後で分かったことですが、Nさんは集団で別の人にいじめも行っていました。
また私を避けた本当の理由は悪口に同調しなかったからではないかと考えています。
縁を切ってからの私は、仕事のための勉強をしたり、料理を練習したり、運動したりと充実した日々を送れるようになりました。
本当にこれで良かったと思っているのに、かつて心の底から大好きだった友人・趣味を失って心に穴が開いたようになっているのも事実、未だに苦しみを覚えます。
アドバイスをいただければ嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あっく と言います。
ゆきさん、こんにちは
拝読しました。
N さん、人の悪口が好きだったのですね。何が楽しいんでしょうね?
仏教では悪口「あっく」はやってはならない行動の一つです。
何故か?
誰も得をしないし、社会を混乱させます。口は災いのもと。
悪口以外にも、嘘や調子、響きの良いこと、二枚舌など人々の平穏を崩すような行為は重罪です。
元々それを犯してしまう方でしたから、避けることができて良かったですね。
その方のそばに居たいなら、同じ思考になるか、その方を矯正させる覚悟をもつこと。
心に穴が空いて良かった。
新たな良き友が入るスペースができましたよ。
自らの心も見返してみて、類友を呼び込めるように、しっかりした判断の眼を持ち、良き師、良き友を見つけましょう。
身近に既にいらっしゃるかもしれませんね。
合掌
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
「心に穴が空いて良かった。新たな良き友が入るスペースができましたよ。」とのお言葉が深く沁み入り、涙が出ました。
やはり悪口はよくありませんね。
Nさんは非常に頭が切れ、どんな言葉をかければ相手が喜ぶかを熟知しているような方で、人心掌握に長けていました。
まさしく私は平穏を崩され、舞い上がり、趣味・Nさんに依存してしまっていました……。
彼女らの価値観に染まってはおしまいでしたし、Nさんを矯正することも私では難しかったように思います。
悪口を好んでいたのに気づいた時点で距離を取るべきでした。
Nさんと過ごす楽しみのためにNさんを理想化し、目を瞑っていた自分自身にいたく反省しているところです。
また、お言葉をいただき痛感したのが、私は現実の人付き合いに非常に恵まれているということです。
今付き合いのある友人はどの人も10年以上見てきていますが、人を陥れるような悪口を言う人はいません、家族もそうです。
空いた時間で今後まず尊敬できる現実の友人・家族と過ごしたいなあと思いました。
大切なことに気づかせていただきました、本当にありがとうございました!