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ネガティブになってしまう

回答数回答 1
有り難し有り難し 6

お世話になります。
以前より、考えていることがネガティブや、悪い方に考えてしまいます。
明日、車の1年点検があるのですが、何か悪い所かあったら、お金が沢山かかってしまったら、とずっと考えています。
また、家族のことも心配で、もし出掛けている時に事故にあってしまったら、と思ってしまいます。
その他、色々あります。
この頃、考えるとずっと気になってしまい、落ち着かないです。
ネットで調べたこともあるのですが、知り合いにネットの情報は当にならない、と言われました。
なるべく良い方向に考えていますが、もし、と考えてしまうことが多く、悩んでいます。
大丈夫だと思っても心配です。

2023年12月14日 13:42

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

チョ、柔軟性。

私だったらの話ですので、こういう考えもアリかという感じで読んでみてください。
Q考えていることがネガティブや、悪い方に考えてしまいます。
Aチョ、考えが生じている時点でネガティブも悪いこともニャイ。🐈
その直後に✋おてつきしてるアタシの二次的高速要らぬツッコミだけがネガティブなだけなのでその癖、ソッコーやめるべし。そこに気づけばモーマンタイ。
Q車検。
Aチョ、一年点検?新車で買ったならばモーマンタイ。一年で壊れるような国産新車ならば会社の信用にかかわります。安い車検でモーマンタイ。
Q家族に何かあったら…
Aチョ、それ、最悪の事態を想定して脳内自爆コイているだけ。実際にそうなった時に「どう」対処するか、だけだし、今は何も起こってないのでモーマンタイ。
Qその他、色々あります。
A色々…?色々なんて、ねぇっスわ。( ゚Д゚)🚬
私もけがしたり病気になったりニワトリが逃げたり師匠が病気になったり咳しすぎで腹痛い娘が風邪で帰ってきて咳しまくり、せっかく作ったラーメン食べてくんないさっきも🐔追いかけまわしてましたが、色々なんて、この世には存在しない。あるのはその瞬間その瞬間一つだわ。全部、その時やれることは一事あるのみでしょーが!その思考回路、今日から断絶だ。ただ一事に臨んで一事をなすのみであればモーマンタイ。
Q考えるとずっと気になってしまい、落ち着かない。
Aその、気になることを解決し、落ち着けるナイスアドバイザーの教えを学んでモーマンタイ🐡になればよい。
Q知り合いにネットの情報は当にならない、と言われました。
Aこれもネットの情報だっつの。地上波ほどスポンサーがらみであてにならねー情報はねぇ。ネットは真実とガセが混在しているだけ。冷静に真偽を見極めて総合的にアンパイな選択肢をチョイスすればモーマンタイ。
Qもし…、と考えてしまうことが多く、悩んでいます。
Aタラレバ思考は基本的に現実でも真実でも実際にそうなったわけでもニャイ。ゲームでも小説でもなく単なるモーソー。タラレバ妄想ワールドは🐄モー想と気づいてありもしないことにエネルギーを注ぐことをやめ、たった今この身心が接しているリアルタイムのこの現実以外はヨソー、モーソー、スイソクなのでモーよそうゼ相手にすんナヨ、タラとレバーは生で食べたらおなか壊すぜちゃんと火を通せばモーマンタイ。何事もチョー柔軟に。🆗

2023年12月14日 14:45
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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下 覚元さま
柔軟に、ですね。
気持ちが楽になりました!
ありがとうございます。

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