働きたいという気持ちが無くなってしまった
いつも御世話になっております。
ありがたいお言葉いつも拝見しております。
働くという事について質問があります。
私は昔から劣等感が強く、自分の才能ややりたい事はどこにあるんだろうと考え続けて今や30代も半ばになってしまいました。
(いろいろな事に挑戦してきましたが)
一般的に働くという事に対して2つの考え方があると思います。
①自分に合った環境を探し続ける(青い鳥を探す的な考え方)
⓶今の環境で頑張る(おかれた場所で咲きなさい的な考え方)
①に対して、周りの人は、バカな事を言ってないで今いる環境に満足しろという事が多いですが、⓶に対しては、その通りだという意見が多いように思います。
経済的な成功がすべてではないと思いますが、成功するには努力×才能と考えています。努力だけしてもダメで、才能がある分野を探すという事が絶対的に必要だと思います。
もちろん我慢するという事はどんな成功にも必要な要素だと
思いますが、そもそもとして自分が何の興味ない、または失って
しまった事を人生のほとんどを費やして行う仕事という事に対し
てやり続ける事は正解なのでしょうか?
最近仕事に熱意を失っており、お坊さん方の意見をお伺いしたく
質問致しました。
ご回答いただけますと幸いです。
宜しくお願い致します
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏・法・僧の三宝。
はじめまして。浩文(こうぶん)と申します。
うたかたさんは私と同世代なのですね。
働くとは、何であるか。
経済的成功であるとか、努力とか、才能とか。色々な言葉がありますけども。
私の知らないこともたくさん経験されて様々なことを抱えてそのようにお考えになったと思いますから、1人の若坊主のたわごとだと思ってお聞きいただければ。
ライターはなぜ発明されたかご存知ですか。
あれは片腕しかない人が火をつけられるようにということだそうですが、
本当かどうかはともかく
そのようにして
もともとの経緯を辿ると
「ああ、この仕事も必要とされたから、重要な意味を持っていたから始まったんだな。」と分かることが多いと思います。
普段、多くの人は仕事がないと生きていけないからそういうことは考えないかもしれません。
でもその仕事がどういう意味があるのか問いつめない人ばかりの仕事や組織、業界は間違いなく潰れると思います。
だってそうでしょう。
「食べていくために仕事しています。」だけで成り立つならその組織の方針やら業界の理念なども、
「私たちが食べていくために必要です。仕事をください。」と堂々と方針やら理念やら示せばよいはずです。
でもそんなこと示す組織あるわけないですよね。
この仕事はどんな意味があってどれだけ多くの人にとって大事なことなのかを考えなかったら、その人が食べてくためだけに存在してるような仕事でしょう。
一生懸命やろうが熱意があろうが、いわばその人の独り善がりのためのものだとしたら。
そんな人の仕事、誰が必要としますか。
お坊さんなんか特にそうだと思いますが。
お坊さんは仕事を必要とするのではなく人を必要とするのです。
人と人がいるからその間の潤滑油として、様々な便宜を図るものとして
仕事が生じるのです。
ある程度辛抱しなくてはならないこともありますが、いずれにしても意味を見い出し続けること、問い続けること、そしてこれが大事なのですが、見出したらそれを誰かと共有すること。
お坊さんとしての
私のなかでは伝統的にこれを
仏・法・僧の三宝と呼んでいます。
どうか共有する仲間を見つけてください。
その間柄にやるべきことがたくさん詰まっていると私は思います。
あくまでたわごとですので、どうかご寛恕ください。
ご一考いただければ幸いです。
南無釈迦牟尼仏 合掌