余計な事だったでしょうか…
私はフリーマッケットのアプリを利用しております。先日見ているとブランド品を数個出品されていた方がいて、購入者の方が、主人からあまりお金を貰えず、かなり少ないお金の中から子供の物等買っていて、今その出品しているブランド品が欲しいけれど足りなくて買えません、と出品者の方に伝えていて、すると出品者の方が本気になさり高いブランド品をほぼ無料のような値段で売ってしまっていましたが、その購入者の方、他の方達からは数万円でブランド品を購入している事を知りました。そして出品者の方は、別の方にも安く売り、その購入者の方はそれを高く売っている、というのを見て、その出品者の方にキチンと相手の方を調べて売った方が良いと伝えたところ、そんな訳はない、と…それを見たアプリ使用者の方が、出品者の方に対して脱帽です!と、私が悪者になってしまいました…嘘をつかれて損をしている方でも、余計な事はしないほうが良かったでしょうか…
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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牛飼いの話
ひとつ仏教のお話を紹介します。
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あるところに牛をコレクションすることが趣味のお金持ちがいました。
99匹集めて、あと1匹を探していたところ、ある村にいるたいそう人のよい若者が飼っているということを聞きつけました。
お金持ちは彼の人の良さに目をつけて、わざと貧乏人の格好をして、彼のところへ行き「私は見ての通りお金がなく、家で妻子がお腹をすかせて待っています。どうかお助けを」と言ったところ、若者は「それはお困りですね。私も貧しくお金がありません。しかし幸い牛を1頭飼っています。これを差し上げますから、頑張って下さい」
こうしてお金持ちは、100頭目の牛をただで手に入れました。
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お釈迦さまが尋ねるのは「どちらが本当に豊かなのか」ということです。
この話のお金持ちは本当に豊かなのでしょうか?
人を騙してでも利益を得たい彼、100頭目の牛を手に入れた喜びはあっという間に消え、次は110頭、120頭と際限なく欲を貪るのは目に見えています。
最近話題の"世界一貧しい大統領"が「本当の貧乏人は、お金を持っていても満足することができない人」みたいなことを話しました。
この話のお金持ちも、今回の購入者もそうなのでしょう。
こういう方を仏教で「餓鬼」と言います。
常に貪りの心を持ち、ひもじい思いをしている存在と同じ扱いなんですよ。
話の若者には、ついつい「騙された」という目で見てしまいますが、人に自分の唯一の財産を渡すことができる心の豊かな人です。足ることを知っている人です。
彼にはきっとモノではない財産を沢山持っていることでしょう。
余計なことだったかなとお悩みのようですが、このお釈迦様の話を聞けただけで「余計じゃなかったこと」になりませんか?(^_^)
質問者からのお礼
日顕 様
ご回答ありがとうございました
私の言ったことは、お話しを読んで決して、余計な事ではなかったことと
日顕 様
ご回答ありがとうございました
自分のした事は、余計な事ではなかったと思いたいです…
出品者の方は、心の豊かな方だと思います…私も心を豊かにして、購入者の方のような心にならないよう生きて行きたいです。
ありがとうございました