仏壇からお供え物が落ちた
皆さま、新年明けましておめでとうございます。
早速の質問ですが、新年への日付が変わる瞬間に立ち会うため、十数年ぶりにて父方の祖父母宅で年越しを迎えました。
その後午前1時過ぎほどに空き部屋がないからと仏壇のある部屋で就寝。喉が渇いたためか目が覚めてしまい、スマホをいじっているときに、お供え物であるみかんがひとつだけボトリと触れてもいないのに落ちてしまいました。
三が日に起こる出来事は、これからの1年間を表すものと認識しています。何か私自身、それとも身内に対する何かの不幸な報せが来るという予兆かと少し怯えています。
勿論ご先祖さまが新年をお祝いにきた、とも考えましたが、性格上こうなると些細なことでも悪い方向に考えてしまい、元旦から考え込んでしまっています。
2023年は、一人暮らしを始めたり、私が発達障害と診断されたり、父方の祖父が肋骨骨折し肺気腫になったりと激動の1年でありました。
元旦の朝、スマホをいじっていた内容も治しきれない自分の悪い癖(関わらないでおこうと決めていたけれど関連の記事を閲覧してしまう)も出ていました。
ご先祖さまは何を伝えたかったのでしょうか?
それともただ単に『ものが落ちた』それだけでしょうか?
ご回答よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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単に落ちただけです
明けましておめでとうございます。
諸行無常。
みかんの果実も徐々に枯れていき柔らかくなったり形状が変化したりしますので、転がり落ちることは普通の出来事です。
私達は、何でもかんでも意味付けしてしまいますね。
でもこの一年は、自分の思考の癖に自分で気付く年にしたいですね。
そうすれば、無駄な妄想雑念が減って脳も感情も身体も軽やかな1年になるでしょうね。
ということで、どうせ意味付けするなら、仏様がくれた悟りのヒント(妄想雑念に気付かせるチャイム)だとでも考えましょう。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
そう思うとなんだか心がスっといたしました!