子供の名前
今秋生まれた我が子の名付けに後悔しています。名前はマイページのプロフィール欄に記載しました。
子供の名前は自分の周囲を含めて、初見で読める人は皆無で、同じ人に何回も読み間違いされる場合もあり、後悔しています。将来の子供の苦労を考えると改名をした方が良いか悩んでいます。
名付けは妻が産後に顔を見てから決めたいと希望したので、候補の名前を絞った上で産後に決めることにしました。産後、妻が希望した名前は、私が想定していなかった下位の候補の名前でした。下位の候補までは十分に調べておらず、慌ててネットに変な情報がないか探しましたが、そのときは見つけられませんでした。しかし、出生届を出した翌日、少し検索キーワードを変えてみると、読みのパターンが非常に多い、難読名であることがわかりました。非常にショックを受けました。妻が希望してきたときにきちんと調べられていれば、妻も他の候補で納得したと思います。他の候補はすんなり読めたものばかりだったのでなおさら後悔しています。こんな私に助言頂けますと幸甚です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
はじめまして、私の名前は「祐慧」です。名前を読み慣れている学校の先生はおろか、殆どの方は私の名前が読めません。おそらく、僧侶の方は同じ経験されてる方が多いと思います。しかし、私は困ったことがないです。キラキラネーム付けられるより遥かにマシです。むしろ、私はこの名前を気に入っています。父から聞いた話では、「祐」は神の助力、「慧」は佛の知慧(ちえ)という意味です。名前負けしてはならないと逆にプレッシャーです。
私達僧侶は、亡くなられた方に戒名を授けます。
よく、なぜ戒名が必要なのかと問われることがあるんですね。
檀家さんではない、知らない方の仏壇にお参りに行った時に、戒名のない位牌がたまにあるのですが、それを見ると「ああ、名前、付けてもらえなかったんだなぁ」と寂しくなります。戒名を見ると、その亡くなられた方の人生が大まかに見えてくるんですね。お医者さんだったら医や看、先生だったら賢や教、専業主婦だったら室や照、中にはゴルフ好きの方の戒名が「法流院碗誉(ほうるいんわんよ、ホールインワン)」となってたこともありました。
僧侶は戒名を考える時に、その方のお人柄、どのように生きたか、どのような想いをもった方だったか、そのようなことを想い、考えてつけるんですね。なので、戒名とはその人の人生を表していると言っても過言ではありません。なので私は、戒名をつける時は想いを込めてつけます。
では、俗名はなんなのか。これは言うまでもなく、どのように育ってほしいか、どのような人になってほしいか、その親の「願い」がこもっています。
俗名は、このように生きてほしいという親からの「願い」
戒名は、このように生きたんだという遺族からの「敬意•感謝」
を表していると考えられます。
今回のご主人の悩みとしては、「読みにくい名前は人生苦労する」ということです。確かにキラキラネームなど、人と変わった名前をつけると苦労することがあるのは事実です。(私は、お子様の名前は変とは思いませんが。)
しかし大事なのは、親がどのような想いを託して、名前を授けたか。いかにして子供を育てるか。そこが重要です。極端な話、ピカチュウとかいう名前でも、東大にでて弁護士資格取っていれば、尊敬されます。
今一度、なぜ名付けたのか、考えてみて下さい。それでもなお、良くないと思うのであれば、直してもいいと思います。
質問者からのお礼
浄譽祐慧様
早速のご回答ありがとうございました。戒名についてまでご丁寧にご教示頂き参考になりました。今まで戒名については深く考えたことがなかったので良いきっかけになりました。
俗名は、“このように生きてほしいという親からの「願い」”という部分が心に響きました。実際に、子供の名前は、親の願いを込めております。子育て方針にも繋がってくる願いです。読み方に無理はないと思っていますが、読み方が多く周囲が混乱しているのがわかったので悩んでいました。今一度、名づけ当時の気持ちや状況を思い出して、直すべきか熟考した上で前に進みたいと思います。
本当にありがとうございました。