父親が憎いです
父親が憎くて仕方ありません
私の父は祖母からスパルタ教育の如く厳しく育てられました
その反動か、私を甘やかして育てました。
小学校の頃から、成績表を見せても何も言わず、勉強しろなんて一言も言わずに私の欲しいものを何でも買い与えてました
そのせいで中学、高校でももちろん成績が悪くなる一方で
高校では 単位を取れずに1年留年してしまい、笑い者にされ惨めな思いをしました。
世間には中には「親のせいにするな」という人もいるかもしれません
しかしそんなこと言うのは大抵はまともな親の元で育った人だけだと思います、その人たちに僕の気持ちなんてわからないと思いますし、親の影響というのは大変、大きいと思います。
もう高校時代の事なんて十数年も前の話なので、いつまでも過去に執着していても仕方ないということは頭では分かっています。
しかし、どうして僕だけがこんないい加減な父親の元で育たなければならなかったのか
本当に世の中、理不尽で不公平で悔しくて腹立たしくて仕方がありません。
どうすればこの残念な思いは晴れますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「何か」を探しに出掛けましょうよ…
ご心中お察しいたします…。
いわゆる「親ガチャ」と言うことでしょうか。子は親を選べませんものね。
その点で、あなたはあなたの御父様を選ぶ・選ばないの選択の余地はありませんでした。これは事実です
でも、同様に御父様も「厳しい御母様」を選ぶ・選ばないの選択の余地はなかったのです。そして結果として今の御父様となられました。
私もそうです。そしてまた私の子供も同じです。
みんな親を選ぶことは出来ず、その家庭で育てられてきたのです。いや育つしか無かったのです。
私は机上(デスクマット)に、ある有名中華料理人の言葉を挟み込んでいます。そこには『運命に従え。置かれた場所で咲いてみろ。夢など語るな。目の前のことと格闘しろ』と書かれています。私は見る度にハッとし、頷くのです。
仏教と関係ない言葉か…いえ、私はそうは思いません。「目の前のことと格闘する」とは、自己を見つめ、自己の行動を見つめることを説く仏教そのものと受け止めています。
『本当に世の中、理不尽で不公平で悔しくて腹立たしくて仕方がありません』…本当にあなたのおっしゃる通りです。そのこと今、能登の被災者のお方が多く実感していらっしゃることでしょう。
いえ、でもそんな理不尽な不幸の状況下でも避難所に届けられる物資や援助に感謝し、だからこそ今日を、今を一生懸命に生きていこうとなさっていらっしゃるお方も多く存在しています。
これからも不平不満愚痴(三毒煩悩)を吐きながら生きていくか、あるいはそう生きてしまっている自分に向けられている有形無形の援助・支えに感謝して生きるか…それはあなたが選んで良いのです。
一つだけ申せることは、あなたが御父様の不平不満を言うことが出来るまで育てて下さったのは、その御父様(を含め、有縁の多くの方々)であるということです。
さあ、嘆いているよりかは立ち上がりましょう。何か、とにかく何かを探しに出掛けてください。探しながら生きて下さい。きっと何かが見つかります。
その「何か」とは、きっと仏様が教えて下さいます…。
あなたを心から応援しています…。