父親と縁を切りたい回答受付中
昔から父親のことが嫌いです。何故かというと、ゴミを捨てる場所を間違えるなど、取り返しのつく些細なミスですら怒鳴り散らすからです。昔から怖くて嫌でしたが、歳を重ねるにつれて恐怖心よりも殺意が湧き、早く迎えが来てくれないかと父親の不幸を願ってしまいます。そのような心を持ってはいけないとは私も思っています。が、何をしても気を紛らわすことができない日が多いです。
また、自分が父にされて嫌だった態度を人にとっている気もして、自己嫌悪に陥っています。
なぜ、父のような傲慢な人間も生きているのか、そして私が人の不幸を願わず、優しい態度を取って生きて行けるような教えがあれば教えて欲しいです。
お坊さんからの回答 1件
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距離を置きながら見守る
ご相談、読ませていただきました。親から理不尽に怒鳴られるという体験は、子供にとって大きな恐怖や傷を残すものです。親に対する憎しみや恐怖心が湧くのは自然なことであり、そのような感情を抱いてしまう自分を責めないでください。それはあなたが耐えてきた証でもあります。しかしながら、そうした感情が積もり、ふとした時に父と似た言動を取ってしまうと感じ、自己嫌悪に陥るのもよく分かります。その葛藤の中で「優しい態度で生きていきたい」という思いを持つあなたは、とても尊い存在です。
「父のような傲慢な存在もなぜ生きているのか」という問いについて、仏教では、人は誰もが未熟な側面や自分では解決できない苦しみを抱えた存在だと考えます。あなたのお父様も、何か心の中にある不安や未熟さが怒りとして現れているのかもしれません。これはお父様を許すべきだということではありませんが、人間の弱さを新たな視点で考えるきっかけになるかもしれません。
心の苦しみを少しでも和らげ、優しい態度で生きるためには、「慈悲」の教えが役に立つかもしれません。慈悲とは、すべての人の苦しみが癒され、幸せになるよう願う気持ちです。ただし、無理にお父様へ慈悲を向けるのではなく、まずは自分自身への慈悲を大切にするところから始めてください。「怒りを感じてしまう自分もよく頑張ってきた。どうか私自身が穏やかになりますように」と祈ることで、自分を少しずつ許し、癒していけます。
そこから、自分が傷つけたいと思わない存在や安心できる人へ、少しずつ優しさを広げてみてください。周囲との関係が穏やかになるにつれて、心の緊張も和らいでいくでしょう。時間が経つにつれ、お父様についても「距離を置きながら見守る」という形で受け止めることができるようになるかもしれません。
人間が完全に優しい存在になることは難しいですが、小さな優しさを積み重ねることで心は着実に変わっていきます。まずは自分自身に優しさを向けることを意識し、日々を過ごしてみてください。その努力があなたを少しずつ穏やかな方向へ導いてくれるはずです。あなたの苦しみが少しでも和らぎ、心が穏やかになる道を歩めることを祈っています。合掌