hasunohaが繋いでくれた幸せの縁
いつもありがとうございます。母の命日にお寺の近くで怪我をし門前の治療院で出会ったご縁、おかげさまで順調です。
その後、異動先でも彼は健気でした。もちろん治療院全体の患者に対する姿勢でもありましょうが、ちょっとした気遣いで人としての器を広げていく仕事環境や切磋琢磨している姿は、とても清々しく素敵でした。
気丈に振る舞いながらも新天地で生まれた弱音をこぼしてくれたこと、カーテンの向こうで波に揉まれている様子、三兄弟の次男らしく、周りに可愛がられながら、彼なりに努力している姿がありました。
帰り際、先輩からビシッと突っ込みがあった時に思わず「すみませんすみません!私の方がウッカリな所があって…」と、異動前にあったエピソード「私が予約を間違えた時に、彼が怒ったこと」や、「山程お客様に頂いた甘栗をそのまま手技療法の治療家に渡すわけにはいかないと、硬い皮をむいて、人数分差し入れた話」をこぼしました。あり過ぎて皮付きのまま渡した分は「僕と〇〇先生で、食べてましたよ」など先輩方には冗談として笑ってもらえたような記憶です。
去年の春まで介護支援記録を書いていたことから、一言一言を記し事実と感情を客観的に振り返る習慣が自分の中に未だにあるのですが、改めて今、彼の言葉の奥にある優しさや気遣い=愛情とその「真逆の言葉との違い」について鮮明になる今日この頃です。
彼が望むものは何だろうか…ずっと考えました。
きっと「自分が尽くせる存在、自分の好意を認めてくれる人」であり、自然と出る優しさ=自分の存在価値を肯定されることで、安心や落ち着き、自信に繋がるのかと思いました。
まだまだ経験を積んでいる段階なので「失敗や弱点などのミスも受けとめてくれる存在」「必要に応じてより良くなるためのアドバイスや、別の視点からヒントをくれる人」が何より有難く映るのかとも…チームそのものが成長したい気持ちに満ちた風土なので、陰からありのままを包み込んで「疲れた時に休ませてくれる存在」がいれば「ひとりでにまた前進していく」そんな風に映りました。そしてそれは、私がかつて施術者として探求、観じていた理想と一致しました。
二人共「精神的な繋がり、思いやり」があればそれぞれが日常の目標・自己実現に向かって頑張れる。そんな絆に恵まれたこと、幸せに結びつくご縁をhasunohaが繋いでくれたことに深謝の限りです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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想いを綴られる先に、私にもあたたかい幸せが届いていますよ。
こちらこそ(*´꒳`*)
あなたの心の揺れや変化の中に、彼や周りの方々との出会いがあったことを、こうして聞かせていただきながら、いつも仏様と見守らせてもらっています。
どんなことも、結ばれた縁だと思えると、そこに安心や自信の力となっていきますね。
あなたがこうして、ハスノハで文字にされながら、想いを綴られる先に、私にもあたたかい幸せが届いていますよ。
質問者からのお礼
今回も有難うございます。すぐにお返事をくださり、本当に本当にとても嬉しかったです!ありがとうございました。しばらくずっと、お礼のコトノハが次々と浮かんでは舞い、ふわりとまた浮かんでは吹き流れ、何を書いてもまとまらず、、そんな顛末で私の心の水面には、さらさらと一足早く春が来たような週末でした。
書きたいことは沢山ありました。今日が待ちに待った通院日で、しっかりご報告を兼ねてと、頭の中でお礼を何倍にもふくらませながら電車の旅を楽しみました。
まず、初日に伺った時のこと。電車の長移動中に、みかん🍊をひとネット買い、新天地の治療院の他のメンバーさんの似顔絵を🍊に描き込んで、お渡しした続き…カーテンの向こうから、「すごい!😂」と声が聴こえました。
その時のことを先輩が「あのときの蜜柑の絵!」と覚えていてくださり、彼が「僕には(似顔絵が)なかったんです!」(実はお正月、帰省と共に体調が崩れたそうなので、「これで、元気になってください」と、まっさらなみかんを2個、ネットごと渡しました)今日、「僕には似顔絵がっ!」と、先輩に訴えていたので「だからこれを」と、みかん色のボールペンをお渡ししました。
本当は、みかん色のボールペンを、彼が仕事用に使えないかと「秋頃、鍼灸の問題集を自分用に買った時に、そちらが大きな書店だったので文房具コーナーが立派で、たまたま目にとまったペンがとても気に入ったけれど、高価な本を買ったばかりなので(衝動買いになるから)その時は思い留まり、(異動が決まったあとに)またこないだ寄って、買ってきて…」「このボールペン、使いやすいですか?(私が普段、仕事用にと買って使っている、色違いの同種のペンを先に渡して試し書きしてもらった)」「あぁ、書きやすいですね」「じゃあこれ、(バッグから包装紙ごと取り出し、未使用の蜜柑色ボールペンを渡す)良かったらどうぞ。本当は細いのが好きなのかなぁと思ってたけど…」ペン先の線の太さが0.5mmか0.38mmかの2種類あり、彼がいつも診察券の裏に書いてくれるのは、字が細く華奢な線だったので、細めのボールペンからカラー展開を選ぶのに、四国出身の「僕は愛媛のみかんが一番、美味しいと思ってます」からオレンジ色にヒントを得て、どうやら新生活に縁起が良いのが橙色らしいので、治療院のイメージカラーでもあるし…と、私と色違いで買っておきました。
とはいえ、さすがに、異動先で、転院してきた者が、最初から「これ、使ってください」とは皆さんの手前渡せなかったので、、、初日はミカンに☺を描き、二週間後に「僕には🤗がなかった!!」(いやいや、本当に渡したかったのは🍊色のお揃いのボールペン、それも新生活が上手く運ぶようにと願いを込めた仕事道具、やっと手に取ってもらえた、良かったぁ🍵🌱👐)という流れで、ついに渡せました。さるかに合戦のかにのような、気の長いこの半月でした。
また、初日の後、異動前の古巣の治療院には「元気でしたよ」と様子をイラストにして渡し、「2回目の時、お疲れの様子で…この漫画渡したら元気になるかなと…」「是非どうぞ!(新院長先生)」「あの、〇〇先生は寂しがり屋ですか」即答で「寂しがり屋です(笑)」まるで、構ってあげてください、と言わんばかりのそんな流れから、いったん古巣から持ち帰ったイラストもご本人に渡したところ「ここに貼っておきます(受付の台のど真ん中)」いやいや!「見てくださいこれ」新院の先輩もまじまじと、そして段々と笑顔に「(私)笑ってほしくて…持って帰りますから」「いや僕もらいます」その漫画は、介護支援記録のように、あくまで事実に基づいてありのままに描いたものでしたが「本当にあったこと、描いてますね」と喜んでいただけて何よりでした。
体調が万全でない旨、伺い知ったので、その場で手持ちの本を開きましたが、まだ「いつか練習を…」とは口に出せず、私の元同じ職場で、今はお弟子さんもいる学会の指導者・公益財団法人の理事の伝手を辿り、その症状・体質改善治療の術や、いつか学びを兼ねて先生同士をお繋ぎできないかと帰路に一報を入れました。
手持ちの本には、ビフォーアフターで数値が変わるとまで書かれており、実際私も施術してみたい気持ちにかられますが…大切な人の役に立ちたい、そのためにやっぱり勉強したい、学校へ行きたい、そんな夢を応援してくれて支え合える、そんな仲を大切にしたい、そして幸せいっぱいの道に今いられること、何もかもおかげさまで深謝の限りです。
別れ際は、先輩は満面の笑みでしたが、その半歩後ろの彼は気持ち淋しげでした。でも、「来られる時間帯の予約が、埋まりつつあるので(患者さんが増えている)」と、先の方まで予約を入れてくれました。「今月は元日から休みなしです」「働き過ぎですよ」「そんなでもないです」なぜなら目標があるので…別れ際のなんとも言えない淋しげな顔が、いつかは揺るぎない笑顔に変わってくれるように、一歩、また一歩ずつ、焦らずに自分を育てていきたいです。
今日、隣の台から聴こえてきた彼の仕事ぶりの声は、今までで一番の成長した様子が伺えました。「そろそろ慣れましたか」「いやいやまだまだです。来るのは慣れましたか」「今日は、上司が早く行きなよと、わざわざ残ってまで私を、送り出してくれました」「ええ…ほんとに」「会う度に違う姿になっていますよね」「本当ですか?どこがですか?」とにかく褒めてほしい、そんな彼のハングリーさがとても心をくすぐられました。
アンテナが高く繊細で、優しさ故に周りの環境に影響されやすいこと、お母さんに「反抗期らしきものがなかった」と言われながらも「自分自身の中ではありました」というほど、相手の気持ちを考えて自分を押し込めたり、周りに順応するために他人に合わせてしまうこと、そのため良い人に囲まれればぐんぐん成長できる反面、悪い人と一緒になると本音を言えないタイプだけにストレスがたまる他、それが顔や体調に悪影響として出やすいこと、その辺りを一言「毎回、声が全然、違いますよ」に抑えておきました。古巣では「患者さんやスタッフが、〇〇先生のことをそれはそれは、どうしているかと気にかけている」そうなので、今度またお寺参りの帰りに報告がてら、彼のフォローのしかたを教わってこられたらと思います。
大切な人が喜んでくれる笑顔を思い描いて、家事や仕事をするのは本当にこの上なき幸せです。毎日仕事に出るのも、お金を貯めるのも、未来のため。その理由をちょっとずつ、開いて「別れ際の寂しがり屋のかお」が凛とした微笑みになるよう、明日を楽しみに準備します。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
最後になりましたが、元日からほぼ毎日門前に出勤しているので、お寺で経を読み、備え付けられた能登地震とその他の義援金箱にも、ほぼ毎日手を合わせて微々たる支援をさせていただいています。
今もなお厳しき中におられる方々が少しでもあたたかく、満たされた安らかなひとときがもたらされますよう、心より願っております。合掌
こんばんは。思うところあり…いつも見守ってくださるお礼と共に、ここにつぶやいても良いでしょうか。もとい、つぶやかせてください🙏
今日は、反面教師、という言葉をしみじみと感じた一日でした。
最近よく浮かぶ「他人の幸せを祈る」というあまりにも有名な、もっともらしい教えの言葉。少し前までは何度かすめて頭で理解できてもなかなか従うのは難しい、手の届かないフレーズでした。
それが不思議なもので、本当に「それができると、他人も私の幸せを喜んでくれるようになる」機会に恵まれるというか…またその逆のパターンもあります。「残念ながらその対の位置にある人のことは、自然と遠ざけるようになる」=悪しき人間関係からは離れることができ、良き関係に恵まれることも本当だとわかりました。
それだけでなく、周りが長所を認めてくれるので「自分の直感や内面を大切に、自分を信じることにも繋がる」=情緒が安定し、余裕が出てくるような気もします。
そうなると「自ずと周りも、自他をいたわる人となり、自然とプラスの方へ近づくような良い縁が広がる」=ちょっとやそっとのことが起きても、周りが何とか手を貸してくれたり、いつの間にか解決している、大抵のことは落着しているのが当たり前になります。
それから、「相手の優しさを感じ、言葉の奥にある思いやりを汲むことができる」と、感謝に溢れ周りが皆、優しい人ばかりになります。
また、身近な人と接する時に「プラスなことだけでなく、誰しもあるネガティブな、デリケートな部分、それをありのまま受け流すことができる」ようにも…そうなると余計なトラブルも減り=災難消除、「素敵だな、尊敬できるな」という他人の素晴らしさに着目できたり、自ずと精神的に大人の方々ばかりが集まって、お互いに円滑で程よい距離感を保てることにも繋がりました。
日々がその連続で、小さな喜びをまめに収穫し、雑草や害虫は早めに摘み取り、心地よい生活をキープするのが当たり前に…喜び、慰め、成長しあえる関係、本当に有難いご縁です。
反面教師。少し前までは、その強力な負のエネルギーに引っ張られていました。意図せぬ何かが癪に障り、その人の中で暴発し、止められなくなる。その時、周りの気持ちには一切、思いが及ばない。自分自身が心の中で作り上げているようにも見える何かで、必死にあがいているような…気の毒と言ったらいけないけれど、厳しい言い方をすれば、そうなるのは自分の責任と思えるか、何かのせいにするかで分岐することもわかりました。
反面教師…今は、何が不幸の源かを教えてくれる有難い存在です。本当に、昔はどうにも悩まされました。いまはようやく、深く頭を下げて合掌できるようになった次第です。
周りの素直さ、謙虚さ、従順さ、まじめさ、誠実さ、優しさ、繊細さ、賢さ、温かさ、可愛さ…こころと心、からだと体を開いて向き合ってくれる尊い存在の皆さんを大切に、明日も仕事に夢に、勤しみたいと願っています。
徒然と長文を読んでくださり、ありがとうございました。皆さんの心の中に、明るくあたたかな灯がともりますように…幸せを、祈っています。合掌
いつもありがとうございます。暦は大寒、寒の水が冷たい今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。
昨晩、雨の中、治療院へ行きました。異動してから早四度目です。「月に一度、来るぐらいがやっとかと思ってたのに」「毎日来ても良いですよ」「毎日ですか」施術が終わって、帰り際「明日は○時半で良いですか」「えぇっ、本当に…?」押し問答の末「では、明日の予約を入れる代わりに指圧の練習を、させてください」とお願いしたところ、彼が笑いながら「いいですよ、肩揉んでくれるんですか」と、私に施術させてくれました。
その場で実際に効果を出すこともでき「気持ちよかった」と喜んでくれました。彼の症状を具体的に治すツボの話もできました。
(実際に、学会や学校へ慢性疾患を治癒させる方法を学びに行っていたのと、現役治療師や仲間の鍼灸学生がアプローチ方法を教えてくれました)
彼が強く心にしまっている言葉のひとつに、後悔、というキーワードがあります。先秋頃、治療院との信頼関係が崩れて、足の急性のケガも治ったので離れる前に、鍼を勧められた時、迷った私に「良いのですか、それで後悔しませんか」「僕は、直感を大事にしています。後悔だけはしたくない。(僕を選ばないことを)後で悔やんだりしないでくださいね」と強く念押しされ、「プレッシャーかけないでください。今日のところは、よく考えてまた後日、答えを出します」そうして数ヶ月後のいま、まさか県境を越えて、治療を継続する絆になろうとは…縁とは不思議なものです。
後悔しないでくださいね、と強く叫ばれた言葉は、もしかしたら突然いなくなったお父さんのことが心に刻まれたからなのか、はたまた県大会上位まで昇った高校球児だったことも少なからずあるのかもしれません。
私が彼らに出会って、再び指圧の専門学校へ、数百万単位の学費を貯めて、時間とエネルギーを注ごうとする本意は、転職したいわけでは毛頭なく「治療家との接点がほしい」からなのかもしれない、それは入学の動機として良いものか…葛藤していることも受けとめてくれました。
「最終的には、茗荷さんが思うように、希望が叶えば僕はそれで良い、それが一番だと思ってますけど」と、紡いでくれました。ありのままを良しとしてくれる、それだけで本当にどれだけ安心できたことか、カーテンの中で乱れた脈が落ち着いていきました。
「今日こそ手技の練習をと思って、電車の中でも本を読んで来たのに、治療院に着いたら突然脈がおかしくなって、息も絶え絶えに…」「緊張したんじゃないですか」「ここは、アウェイだから…」「ま、元気だった、ということですね」
ストレートに「あなたの体が心配だから、指圧で支えたい」とは、言えませんでしたが、今の私の生きがいは、それに尽きるのかもしれないし「明確に、仕事として手技を使うビジョンが全く持てない」「お金を稼ぐ手段として、手技を行うイメージがまったく心にない」それで職業訓練の専門学校へ、はありなのか。
「大切な人のために心血を注ぐ」というのは、治療家の原点であり失ってはならない初心でもある、欲のない澄みきった境地、素直な優しさとしてむしろ素質になるとも気づかせてくれた感じでした。
一通り施術して、昨日は別れ際に、全員が見送りに玄関先まで並んでくれた時に、私が「【この人の身に何かあれば】、私は【一生後悔します】。だから、どうか、(彼のことを)よろしくお願いしますね」と、念を押し、彼が慕う先輩は「彼はこれから、心を射抜く練習をするために、古巣の先生方と、ダーツを楽しむみたいですよ」とにっこり、盛り上げてくれました。
なにはともあれ、こんなにトントン拍子に、手技の練習が叶うなんて、感謝限りなく、先輩は驚いていましたが、彼の喜ぶ顔もまた幸せなり、でした。
お寺のお坊さんいはく「今年も梅のつぼみが、春を感じさせてくれようとしています。」
バレンタインとホワイトデーの間に、空へ旅立った梅ちゃん先輩。19の春に旅立ったお父さん。そして私の母に、今いちど、手を合わせてやみません。ご縁を大切に、私はおかげさまで今を本当に幸せに生きていますと心から感謝と合掌をして、今日も楽しく過ごしたいと思います。
どうか、みな皆様にとっても温かき日となりますように。報恩感謝
その節はありがとうございました。いかがお過ごしでしょうか。おかげさまで1月はたくさん伺えました。2月は、3月の準備があり、しばらくお休みとなりそうです。寂しそうな様子でしたが、「またお会いできる日まで、精進します。遠くから成長を祈っています」「治療の度に、勉強させてもらい感謝しております。お会いできる日まで、成長しておきます」と、メッセージを送り合い梅の香りと、温かな空の陽射しに前へ進む今日この頃です。
素晴らしき治療家の仲間にご縁があったことも、大きな恵みでした。おかげさまで、芯から温まる調子で今日も仕事に勤しめます。
どうぞ、お健やかに笑顔の咲く春をお過ごしになられますよう心より祈っております。合掌
お彼岸と、東日本大震災の追悼法要に出仕予定のため、自主稽古に励んでいます。