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牧師、神父、イエスキリストが信じられない

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仏教のサイトでキリストの話をするのは筋違いだと思いますが、お話しします。

イエスキリストを心の底から信じられないのです。
というか、私は私が所属したい教会がわかりません。
宗教ジプシーで、十数個の宗教を渡り歩いてきました。
でも、どこの神様も心から信じられないのです。というか、どこの教会も心から信じられません。
牧師にもそのことを話しました。
どこの教会が真理かと。
で、聖書を読んでいるかと牧師に問われて、新興宗教の教会に通っていることを打ち明けると、とても馬鹿にされました。

すごく悲しかったし、本気でキレてしまいました。

新興宗教というか、キリスト教の教会にも行かなく成りました。

なんだか、「クリスチャン」が信じられないのです。

もちろん私が知り合ってきた人には、良いクリスチャンもいます。でも、ネットでクリスチャンを自称している人は嫌いです。

ガンジーが「クリスチャンはキリストのように生活してねーじゃん」とツッコミを入れているように、私はクリスチャンが善人ばかりではないことを悟りました。

私はどうしたらいいんでしょう。
もう宗教が嫌になっています。
嫌というか、何かすごい心がモヤモヤします。

どうしたらあの嫌な牧師を赦せるのでしょう。汝の敵を許せと聖書にはあります。
でもどれだけ祈っても聖書を読んでも牧師を赦せないのです。

カウンセラーにも牧師を赦せないことを話しました。

でも、心理学や精神医学を使ってもあの牧師を赦すことができないと私は思ってしまいます。

カウンセラーに助けを求めましたが、正直あまり救われたと思えないのです。

どうすれば人を赦せますか。
お坊さんは、こいつ殺してやりたいと思う奴をどう赦すのですか?そもそも人を殺したいほど憎みますか?
また、どうすれば、私は私が納得する教会というか、教えに出会えるでしょうか。

2024年1月21日 21:49

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

『お前は今でも神を信じているかね?』

もしよろしければ
『神、この人間的なもの』(なだいなだ著)をお読みください。

おそらくご質問内容のだいたい肝のところをずばり言い得ている気がします。

本の内容は
ふたりの精神科医の対話という形式です。
かたやカトリック信者。
かたや無神論者。

旧知の仲であり久しぶりの再会を経てのふたりの対話は、無神論者側による
『お前は今でも神を信じているかね?』
という問いかけから始まります。

宗教とはなんなのか。
なぜ神を、真理を求めるのか。
ということを精神科医の立場から
説いています。

人がなぜ宗教に向かうのかが気になる人にはおすすめしています。
20年以上前の本ですが、読みやすく、私の愛読書です。

なお、読んでもすべての疑問が解決するわけではないと思いますので、その都度問いを持たれて学びを深めていっていただけたら幸いです。

2024年1月21日 22:13
{{count}}
有り難し
おきもち

吉井浩文
Buddhism. knowing what it actually i...
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質問者からのお礼

吉井僧侶へ
アドバイスありがとうごさいました。
本、読んでみます。
重ね重ねになりますが、ご回答ありがとうございました。

本を読みました。
◯絶望と不安がその人を宗教に駆り立てる
◯そもそも神様がいるかいないかは問題ではない
◯もしここにキリストがいたら、もしブッダがいたらどうしていたかの方が余程大切

改めて吉井僧侶にお礼いたします。
もう感謝しますとは言いません。
キリスト教に影響されてこの言葉を言うようになったんですけど、やめます。
キリストから離れる、棄教しようと思います。
本を読んで決意できたような気がします。
もう、キリストはこりごりです。

10年前、大学で牧師に(今イラついている牧師ではない)「キリストを信じてから暗闇が怖くなくなった」と言う発言を聞きました。
全てはそこから始まったんです。
そこから、キリスト中毒が始まりました。
学校に毎日聖書を持っていって、祈って、キリスト教の授業出て、礼拝出て。
わたし以外の生徒はキリストなんか信じていませんでした。
「宗教なんて厨二病だろ」
そんな言葉を聞くたびに、内心その生徒を呪っていました。
今に神の呪いが降りかかるぞと。
でも、その生徒の方が賢かったような気がします。
私はキリストに恋していました。
キリストのためなら死ねると思っていました。
もう、キリストを愛していません。
キリストに憎しみすら感じています。
「イエスよ!お前を信じたせいで、俺の人生めちゃくちゃだよ!お前が復活したなんて嘘だよ!この詐欺師!」
わかっています。キリストが悪いんじゃないんです。
でも、そうするしかないんです。
キリストを考えるたびに、あの牧師の
「君は聖書読みの聖書知らずだね」
と勝ち誇った顔を思い出すのです。
聖書なんて読めません。祈れません。
もう無理です。信仰を続けるのは。
その牧師の教会に放火してやろうかとまで思い詰めていました。
やりませんけど。もう、教会に近づきたくないんです。

私、けんじは、これから一切あらゆる教会の礼拝に出席しません。
教会に本は借りているので、本を返したら、教会には行きません。

キリスト教、やめます。
やめてどうするかはまだあまりわかりません。
でも、もうキリストについていけないんです。

もう、祈りません。キリストには。

天国に行きたいとも思いません。

おきもちは、福祉事業所の金が手に入ったら布施させていただきます。

ようやく決心できました。
聖書も、しばらく経ったら捨てます。

ありがとうございました。

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