チュンダの報い 続き
詳細は過去の質問を読んでいただきたいのですが、
愚かな行為であり、全くの自業自得ながら、ずっと抱えている苦しみです。
こちらで温かく有難いお言葉もいただきました。
こちらに質問したのは、何とかして救われたいという気持ちでした。
事実を認めたくなく、縋りたかったのだと思います。
いろいろ調べてみましたが、やはり私の行為は害だったようです。
複合的な部分はあるかもしれませんが、確実に害でした。
救われたい、などとあまりに虫が良すぎる、と思い至りました。
これ以上は心が耐えられそうもないので、
家族的責任を果たしたら、命を以って詫びたいという気持ちです。
家族の縁が非常に薄いので、家族的責任と言ってもそう長くかかるものではなく、
それが済めば私の死を悲しむような人はいません。
(今となってはそれでむしろよかったと思います)
命を以って詫びよう、という思いに至った時、
ふいに荷を降ろしたような気持ちになり、何でもない景色が美しく見え、
何とも形容しがたい不思議な感覚でした。
チュンダはその後苦しみながら生き抜いたのか、
後悔と自責の余り生きられなかったか…
出家したという記述もないようなので、
きっと後者なのだと私としては今は思っています。
善意の行為ゆえに痛ましいですが、結果はあまりに重大なものでした。
私の今の考えも逃避でしょうか?
決行を少し先に延ばすことで現在の苦しみから逃げようとしているだけかも、
という気もしています。
この苦しみを抱えながら、
生き地獄に生きるというのが報いでそれが償いになるのでしょうか?
どこにもチュンダのその後の記述はありませんが、
お坊様方はチュンダはどのように生きた(あるいは死んだ)と思われますか?
何も書かれていない以上、それぞれのお考えがあるかと思いますが、
お聞かせいただければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝読させて頂きました。
あなたの悩み苦しみを読ませて頂きました。あなたがそれ程までに自らの罪にさいなまれておられて自らの命を断とうとなさっておられることとても伝わって参ります。あなたのその辛いお気持ち心よりお察しします。
おっしゃる通りチュンダのその後のことは明確にはわからないでしょうけど、お釈迦に供養のお供えなさったはとても尊いことですし、周りの人達と共にお釈迦様がお亡くなりになられたことをとても悲しまれたとは思います。そして人は亡くなっていくものであることやお釈迦の様にご成仏なさっていかれる仏教の教えを身をもって体験することができたのではないかと想像します。つまり仏教の教えをしっかりと受け止めて自らも仏道修行していかれたのではないでしょうか。
この世は諸行無常です、そして仏様の教えをしっかりと受け止めて仏となる道救われていく道、涅槃寂静があるのです。
あなたもどうか仏様を信じて自ら救われていく道を歩んでいって下さいね。そしてあなたを責めないで下さいね。
あなたがこれからの未来を心から救われる教えを受け止めてあなたの与えられた人生を心から豊かにおおらかに生き抜いていかれます様に切に祈っております。至心合掌
質問者からのお礼
一向寺様
このような質問に、お答えいただくのも難儀なことかと思います。
有難うございます。
チュンダがそうであったのであれば良いのですが。
それならば救いがあります。
一人の平凡な人間が背負うには、
あまりに重い苦しみで、耐えられなかったであろうと
自分と重ねて勝手に想像しています。
私もまた自業自得とは言え、あまりに愚かで弱くて、
この無明を生きることに疲れてしまいました。
ありがとうございました。