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周りが羨ましい

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有り難し有り難し 2

周りが羨ましいと感じてしまいます。
毎日自分は嫌なことばっかり起こっています。のうのうと生きているそこらへんの人間は、人に迷惑をかけても気にしなく、これからも何事もなく生きていく人らがいるんだなと思う反面、羨ましく感じてしまいます。私は嫌なことがあったりするとずーっと引きずってしまう性格です。明日も嫌なことあるんだなって思うし、毎日幸せ、楽しいと思えた日なんてありません。明日もまた嫌なことばっかり、嫌な人にあったり、辛い、悲しい日常が続いていく毎日に疲れを感じてしまいます。自殺も考えています。生きろと言われても、じゃあ元々お金もちだったり、何も困りごとがない人に言われても何の言葉も響きません。じゃあ、私の人生と交換しろって言っても、誰も口先だけで、他人になりたいなんて言う人はいないと思います。
もう、この世界を終わらせたいと思う反面、自殺未遂をするたびに、生きたいと思う馬鹿な私もいます。ですが、本当に死のうと思っています。自殺した後の世界は、
今よりも美しいのでしょうか。また、自殺をした人は今よりも苦しく、天国には行けないのでしょうか

2024年5月5日 20:43

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

きっと手を差し伸べてくれる人がいるはずです。

ぱにさん
お悩み拝見させていただきました。

今、とても苦しい毎日をお過ごしだと思います。
「死んだ方が楽になるのではないか?」と思うくらいの毎日、本当によく頑張って生きてこられましたね。

こうやって吐き出すことで少しでも楽になるなら、またいつでも吐き出しにきてください。

私も10代20代は本当に壮絶で、何度も死にたいと思いました。
そして周りを羨み、世の中に絶望し、誰かのせいにしないとやっていけないくらい、追い込まれていました。

でも結局誰のせいにもできないですもんね。誰もかわりにはなってくれない。
自分で自分の人生の舵取りをするしかないのに、どうして良いかもわからない。
それでも、今日も生きて行くしかない。今にも溺れそうなのにジタバタするしかない。

ぱにさんの「死にたい。」は「生きたい。」に聞こえます。
「幸せになりたい。」に聞こえました。

今は綺麗事に聞こえるかもしれませんが、
ぱにさんも幸せになって良いんです。幸せになることを自分に許可してあげてください。

こうやって、もがいているぱにさんなら、必ずなれると私は信じます。
1人で這い上がれないなら、誰かの力を借りてください。
きっと手を差し伸べてくれる人がいるはずです。

ぱにさんの心が少しでも軽くなり温かい光に包まれるようお祈りしております。
南無阿弥陀仏。合掌。

2024年5月6日 0:48
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有り難し
おきもち

初めまして。プロフィールをご覧いただきありがとうございます。 ◆浄土...
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あなたが健やかに幸せに生き抜かれます様に

拝読させて頂きました。
あなたは毎日嫌なことばかりが起きて生きていくことがとても辛いのですね。周りの人達を見るとのうのうと生きていけて羨ましいと思ってしまうのですね。いっそのこと死んでしまいたいと思ってしまい、自殺したらどうなるのだろう、今よりも美しいのか、天国にはいけないのかと疑問に思っているのですね。詳細なあなたのことはわからないですけれども、あなたのその辛いお気持ちを心よりお察しします。
あらかじめ申し上げておきますが、どの様に亡くなられても仏様や神様はお亡くなりになられた方々を全てお救いなさって下さいます。亡くなられた方々は仏様や神様がお導きなさって下さり、先に往かれた親しい方々やご先祖様が優しくお迎えなさって下さいます。そして仏様や神様のもとにて一切の迷いや悩みや苦しみや辛いことから救われて何の憂いもなく清らかに安らかにご成仏なさっていくことができます。そして生きる方々を穏やかにお見守りなさることできます。
いつの日かあなたが与えられた命全うなさる時にも必ず仏様や神様が導き、親しい方々があなたを温かくお迎えになさって下さいます。
あなたにとっては今もとても辛いこて苦しいことばかりかもしれませんが、あなた独りで抱え込まずにここで私達とも分かち合いましょう、仏様や神様やご先祖様にもあなたの思いをありのまま打ち明けていきましょう。仏様や神様やご先祖様や親しい方々はあなたのその思い全てを優しく受け止めて下さいます、あなたに寄り添い慰めて下さいます。
いつでもどこでもどんな状況の中にあったとしても仏様や神様やご先祖様はあなたを見捨てることはありません、いつもあなたのことを温かくお見守りなさっていて下さいます。
あなたのその辛いお気持ちを私達や沢山の方々と分かち合い、仏様や神様やご先祖様に受け止めて頂きながら、心身共に和らぎ毎日を少しずつ心穏やかに健やかに生きることできます様に、与えられた命を大切な方々とのご縁に恵まれて幸せに生きることできます様に、そして与えられた天寿全うなさる時には必ず仏様や神様があなたをお導きなさりご先祖様が優しくお迎えなさって下さいます様に切に仏様や神様やご先祖様にお祈りさせて頂きます。至心合掌

2024年5月5日 21:31
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

死んだら無になることへの恐怖

もう何十回、何百回と回答されているテーマだと思いますが、相談させてください。 ここ数ヶ月の間、死が怖いという気持ちが離れず、夜も眠れないくらいです。 私は恐れているのは、死んだら無になる可能性です。 私は科学を信じている(盲信していると言ってもいいです)ので、人間とはただの物体で、感情も脳の反応だと思っています。 だから人は死んだらただの物体になると考えていて、それがたまらなく恐ろしいのです。 私は両親と暮らしていて、日々の生活に幸せを感じています。 しかし死んだら無になるとしたら、この幸せはどうなってしまうのですか? 両親が亡くなり、私も死んでしまったら、全てなかったことになってしまうのでしょうか? いずれ死んで全てを感知できなくなるのなら、この日々も無駄ということになってしまいます。 「一度きりの人生なら楽しめばいい」と思われるかもしれませんが、死んでしまえば「楽しかったな」とすら思えないのです。 それはいっそ生まれてこなかったとしても、結局は同じということになってしまうのはではないでしょうか? 全てに虚無感を感じてしまって、幸せを感じることすら怖くなっている状態です。 しかも死への恐怖は杞憂ではなく、絶対に避けられないという事実があります。 全ての先人が経験していることですが、どうやってこの恐怖と向き合ったのかがわかりません。 科学を信じている私が、今回ここに相談したのは、宗教的なものを信じたい気持ちはあるからです。 かつてお釈迦様も生老病死に悩まれていたと知りました。 その悩みから抜け出せる知恵が、仏教にあるのではないかと思ったのです。 仏教では死についてどのように考えていますか? お坊様は死を恐れていますか? その理由は何ですか? またお坊様は当然ながら仏の世界を信じていると思いますが、信じるに至った根拠や理由はありますか? 尚、両親も私も健康状態に問題はなく、死が差し迫った状態ではありません。(人生、何が起こるかわかりませんが) それでも両親との別れはいずれやって来ます。 私は自分がただの物体になるのも恐ろしいですが、両親が物体になるのはもっと恐ろしいのです。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

2025年7月5日4時18分

荒唐無稽であることが望ましい話です。 標題の日時で検査すると、様々なところから滅びの予言がされていることがわかります。東日本大震災の三倍の規模の津波だとか核ミサイルだとかフィリピン沖だとか隕石だとか。事実無根と軽く扱うには根拠が重なりすぎていてどうしても軽視できません。そして私は「問題が起こる=解決できずに全てが崩落する」と強く感じているので、きっともう一年近くの命なのだなと感じています。 私はただ、痛みや苦しみから逃れられない物質世界で生きていたくないだけなのです。死ぬことよりも、死んだ向こう側で過酷な世界に生まれるのが恐ろしくて恐ろしくて仕方ありません。屠殺される家畜。逃げきれなければ捕食される草食動物。餌に釣られて毒殺される害虫。ああいやだ恐ろしいと思うのはいけないことですか? 生きることは恐ろしい。どう生きても自分より遥かに大きなものによって弄ばれて終わるこの矮小な身体が恐ろしい。脳味噌の誤作動と物質世界に永遠に閉じ込められているのが恐ろしい。そんなことを感じてはいけないのですか?苦しみを受け入れられるようにならなければいけないのですか?安心して生きてはいけないのですか?ガンジス川の濁流に飛び込んで疫病を得なければ救われないのですか?生き物の本来の姿とはどんなものなのですか? この時代のこの場所に生まれただけでものすごく幸運だというのに、その中でさえ上手く生きられなくて苦しんでいる私が、災害や大破局に直面した際に恨みを抱かず運命を粛々と受け入れられる気がしません。「だから生きるのは嫌だったんだ!だからこの世界は嫌なんだ!」と恨み憎しみの塊になったまま死んでしまいそうで、すなわち苦しい来世が確定しています。「今、ここ」に集中しようとしても、破滅のカウントダウンを感じるとそれどころではなくなってしまいます。未来が誰にも見えないのが恐ろしいと傲慢な感情を抱いてしまいます。 私が救いを信じられないのは、今までの人生において大いなるものの救いを感じられなかったからです。破滅の信憑性ばかりが高く、破局、混乱、絶望の未来しか待っていないと漠然と感じています。これらを否定したり適切な距離をとったりするには、あまりにもこの世界の矛盾や欠陥が多すぎます。「今ここ」に生きるよりも、「どうしたら苦しまずに死ねるか」でいっぱいです。 安心して生きることは傲慢ですか?

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ