大好きなペットの死に目に会えなかった
病気でずっと自宅介護してきた猫です。
親バカですが、本当に性格の可愛い子で甘えん坊で。
自宅で点滴もしていましたが、毎晩嫌がらずジッとしてくれて、共に闘病してきました。
もう改善が認められないこと、これ以上永らえさせるのはかわいそうだと先生と相談し、自宅の点滴をやめてからあれよあれよというまに衰弱しました。
その朝も明け方に私の側にきて辛そうにしていましたが撫でてあげると気持ち良さそうにしてまた眠り始め。
仕事が終わるまで待っててと伝えて出かけました。
色々としてあげたい事を考えながら大急ぎで帰ってきたら、冷たくなっている愛猫が横たわっていました。
確かに今思えば何か訴えるように鳴いていたし、行ってほしくなかったのでは?
1人で逝かせてしまったことが悔やまれて、ショック過ぎて何も手につきません。
ずっと泣いています。
苦しくなかったかな?心細くなかったかな?なんてグルグルと思考が堂々巡りして涙が止まりません。
終わってしまったことは変えられないのですが、後悔がずっと続いていて苦しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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仏様に抱かれ、よく頑張ったねと撫でてもらっていることでしょう
できることなら、いっときもそばを離れず、最期まで看取ってあげたかったですよね。それができればどれだけ違っていたのか…。
ずっと一緒に生きてきた子ですから、強く想い、深く繋がっていたことは確かですよね。だからこそ、最期に一緒にいてやれなかったことに、申し訳なさと悔しさがあるのですよね。ありがとうという気持ちがありながら、ごめんねと寂しくて悲しくて涙が溢れますね。
こればかりは、私の都合で最期を決めることはできず、いのちの最期は仏様にしかわからないことですね。ですが、1人で逝ったのではなく、愛おしいあの子のそばに、仏様はご一緒してくださったことでしょう。どんな命も、どんな最期であっても、そのそばに仏様は救いの手を広げてくださるのです。
最期の瞬間だけを嘆かないで。今まで大切に愛してきた子です。愛情やぬくもりを感じて、その命を生きぬいてくれたことでしょう。目を閉じても、ご家族の映像や声があの子を包んだことでしょう。今は仏様の手のひらに抱かれています。よくがんばったねと、撫でてもらっていることでしょう。
お辛い思いのままに、あの子の名を呼んで、手を合わせてあげましょう。共に過ごした思い出が、辛いままのあなたをきっと支えてくれますよ。
私もこちらから大切に手を合わせますね。合掌
質問者からのお礼
温かいお返事をありがとうございました。
「仏様はご一緒してくださった」というお言葉に涙がでます。
今も最期の姿を思い出して涙が出てしまいますが、少しずつ楽しかった思い出を思い出せるようにシフトしていきたいです。