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過去に戻りたいと思ってしまい辛い回答受付中

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20代社会人です。過去に戻りたいと思ってしまい辛いです。

学生時代、私は恵まれておりかなり楽しい思いをさせていただきました。アニメが好きで同じ趣味の友人ができ、学校ではアニメの話で盛り上がり休日に一緒にアニメのイベントに行ったりと充実していました。しかし社会人になり、学生時代の友人たちは趣味が変わったり、仕事の関係で引っ越したりと次第に疎遠になりました。

もちろん、今が辛いとかつまらないわけではありません。社会人になりお金が増え海外に行ったり、車を運転できるようになったり、新しいことを学んだり、学生の頃はできない体験もできるようになりました。

しかしながら、あの頃の楽しかった学生時代を懐かしく、戻りたいなあと辛くなることが時々あります。学生時代に好きだったアニメを見たり曲を聞いたりすると当時の思い出が蘇ってきて苦しくなります。もう戻れないんだ、と思うと本当に心臓がギューっと握り潰される感覚になります。

禅に関する本を読み、そこでは「何事も移り変わる」「この世は諸行無常である」と学びました。「そうだ、人間関係も、環境も変わるのが普通だ。過去に拘ってはダメだ」と考えるようにもなりました。しかし頭ではわかっていてもやはり過去が輝かしく苦しくなってしまいます。

このような時、過去をどのように捉えて前を向けばいいでしょうか。アドバイスをいただけると幸いです。

2024年7月3日 21:20

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

未来、懐かしく幸せだったと思えるように「今この瞬間」大切に

あなたの学生時代のお話を聞かせてもらい、仲間と一緒に趣味を楽しみながら夢中になっておられたあの頃を想像してみました。みんなで笑いながら、語り合っておられる場面が想像できて、楽しかったことであろうなと、こちらも幸せな気持ちになりました。

今が辛いわけじゃない!そうなんだけれど、やっぱりあの頃のあの時間はもう戻らないんだなと思うと、懐かしくもあり、寂しい気持ちにもなりますね。
こうして成長して、もっと広い社会を見て、自分の力を試して働いて、それぞれに活躍しているのだけれど、あの頃に得た時間や思い出は、かけがえのない特別なものだったと、噛みしめておられることでしょうね。

あなたが感じておられる気持ちを、私も想うときがあります。
地元に帰ると、あの頃見ていた景色も変わり、私も仲間も歳を重ね、無邪気に笑っていたあの頃に急に戻りたくなったり、あの頃のみんなにありがとうって言いたくなったり。

新たな環境を手にするから、以前の環境が尊いものに思えてくるのでしょうね。
そう思うと、未来の自分が、懐かしく幸せだったと思えるように、「今この瞬間」も大切に生きたいですね。

私の大好きな槇原敬之さんの「遠く遠く」という曲に、遠く遠く離れていても力いっぱい輝ける日をこの街で迎えたいという歌詞があります。それぞれに生きる仲間を想いながらあの日を懐かしみ、寂しさの中にも、思い出を胸に力強く生きていくという背中を押される曲です。無性に、この曲を聴きたくなる日があります。自分を元気づけたい時や、仲間を想ったり、ちょっと寂しい時やあの頃に戻りたい時にも…。
頭ではわかっているのですよね。あの頃に戻りたいと思っても、そんなことは叶わないし、今を生きるしかない、前を見なきゃって。変わっていくんだけれど、変わらないものが、ちゃんと私の中にあって、その思い出が、記憶が、今の私をちゃんと支えているって。そのことを言い聞かせたくて、この曲を聴きたくなるのかもしれません。

あなたがあの頃の夢中になったアニメの曲を聴いてみませんか?きっと力が湧いてくるわよ。

2024年7月4日 23:10
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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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「諸行無常」問答一覧

生家がなくなる

お忙しいところ恐れ入ります。 生家がなくなる寂しさについて、乗り越え方や考え方のヒントを頂戴したくご相談させてください。 この度両親が定年退職し、まったく縁のない地方に移住することになりました。 新居も購入済みで、本人たちは第二の人生ということでワクワクしているようです。 当然ながら実家はそのうち売りに出され、私には帰る実家や地元に帰る意味がなくなってしまいます。 地元が大好きで心の拠り所としていた私にとって、生家がなくなることは思っていた以上に辛く、なんだか宙ぶらりんになるような心地で辛いです。 (今は結婚して居場所もあり幸せではありますが、自分のルーツが無くなる感覚がとてつもなく寂しいです) 親本人たちが幸せなことが一番ではありますが、毒親で振り回されていたこともあり、「また振り回されるのか…」と思ってしまう面もあります。 いずれ年老いて親は先立ち、みんな遅かれ早かれ実家はなくなるものだと思いますが、まだアラサーです。 周りは慣れ親しんだ実家に帰って安心することができるのに、私はできない。 帰る場所が物理的に消える。 大事な柱を一本失ったようで、どうにも寂しく、内心受け入れられません。 実家や地元に対する執着だと思いますが、仏教ではどのように考えて気持ちを手放すのでしょうか。 ヒントをいただけますと幸いです。

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諸行無常、生きている人の心のあり方

亡き母は、ある事業を運営していましたが、まだこれからという時にがんがわかり、あっという間に亡くなりました。 子供の頃から情熱的に活動していた姿を見てきたので、どんなにか残念で、悔しかったことと思います。 私はすでに他の仕事をしていたこと、また、子供個人の幸せを願ってくれましたので、事業は継がず無くなりましたが、母の情熱、精神は忘れることはできません。 それから数年経ち、その経験は、自分の新しい仕事に活かしています。 いましんどく感じているのは、その業界でいわばライバル的存在だった事業が活動をしていることです。 その関係者とは、もと協力関係にありましたが、トラブルがあり、仲違いしました。気に入らない利用者は満足に面倒をみない等、自分勝手な事が多々ありました。 不誠実さを糾弾すれば、足並みを揃えないほうが悪いと。貸したものも返してもらえないままでした。母は不毛な争いを避け、思いやりを大切に、最後までこつこつ活動を続けました。 真面目に取り組んできたほうは追いやられ、力尽きてしまい、ずるいあちらはなぜいい思いをしているんだろう。そう感じてしまいます。 今でも時々夢に出てきて、むなしく思います。 利用している方々は悪意はないのでしょうが、付き合えるということは、自分勝手な人の集まりなのかも、と感じます。 事業に関わった多くの物品、思い出の品々も、捨てられず、そのままです。利用している方々のためにお譲りして、使っていただけたらとも思いましたが、あちらにお渡しするのも考えられません。 この気持ち、思い出、思い出の品々、 受け入れ方、消化の仕方、なにか手掛かりになるお言葉をいただけますと幸いです。

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無常というものにひどく虚しさを感じます

大学受験間近の受験生です。 文には至らない点があるかもしれませんが、ご了承ください。 私の受験が近づいていくにつれて、親も私も不機嫌になったり口論することが増えていきました。その度に毎度「昔(幼少期)に戻りたい。」「祖父母がまだ元気で、仲の良かった親戚たちと定期的に集まっていたあの頃に戻りたい。」など過ぎた温かい記憶に縋ってしまいます。悲しくなって、ふと目に入った私が幼少期の時に母がせっせと作っていたアルバムを見て、大好きな母からの愛を改めて実感しました。しかし、今目の前にいる母親は、私が絡めば絡むほどやっぱり不機嫌になって向こうを向いてしまいます。それがとても悲しいです。私に勉強してほしいのは十分わかっていますし、母も仕事で疲れているのもわかっています。自分の合格が一番の親孝行というのも分かっています。 だらだらと前置き失礼しました。私の最も不安なことは、上手く言えないのですが、時間が自分の周りの環境をゆっくり壊しているような気がする事です。 今までの家族の幸せだった思い出と全く同じ体験はできず、また、これからの人生体験する楽しいことが全て「楽しかった過去」に変わっていくことにひどく虚しさを感じます。 まだ子供のくせにと思われるかもしれませんが、無常というこの世であたりまえであるものが受け入れきれません。 私はやはり考えすぎなのでしょうか? 時間が経つということが怖くて虚しいものだとマイナスな考え方をしてしまいます。 無常観についてどう考えるべきなのでしょうか?

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「無常」について理解出来た気がするが…

初めて質問させて頂きます。長文になってしまい申し訳ございませんが、宜しくお願いします。 私は歴史が好きなのですが、とりわけ源平合戦が好きです。二つの氏族が覇権をかけて争う中での栄枯盛衰や、その過程での日本中を巻き込んだ争乱の数々。これ程までに歴史のダイナミズムを感じられる出来事は中々無いと思ったからです。 なので、先日神戸に行った際、一ノ谷の戦いの戦跡を巡ろうと思い立って観光し、道中、是非見たいと思っていた須磨寺に立ち寄りました。須磨寺には、宝物として平敦盛の武具や青葉の笛が置かれていることが有名ですが、これらを見た時、私は非常に大きな衝撃を受けました。 勿論、平家物語の「敦盛最期」は作中屈指の有名な悲話として、私も知ってはいました。しかし、それはあくまで「物語」としての認知に過ぎなかったのです。知識としては現実に起きた事だと知りつつも、現代とはあまりにもかけ離れた武士たちの世界観や壮絶な出来事の数々に、実感としては完全に物語上での出来事でした。 ですが、敦盛の遺品と、敦盛を殺した苦悩から出家した熊谷直実が、彼を弔うために書いた「南無阿弥陀仏」の掛け軸は、実際に寺にあったのです。 こうして、到底現実の出来事だと実感出来なかった源平合戦を、現実の出来事として否応なく突きつけられ、私は恐ろしくなりました。平家物語に登場し、様々な運命を辿った武将たちの人生もまた現実の物だと、同時に思い知らされたからです。 都での優雅な生活を捨て、戦いに身を投じる事を憐れみつつ奮戦して亡くなった者。戦いに勝利しつつも、哀れにも反逆者となり亡くなった者。戦乱の中で志半ばに自害した者。そして、熊谷直実のように出家した者。 また、源平合戦だけでなく、数々の戦争や動乱に人生を左右された無数の人々…。 歴史という大きな流れの中で翻弄されていく人々が現実に居たのだと、心から実感出来た時、歴史の中での個人の無力さと儚さに恐怖を感じ、平家物語が言わんとしている「無常」を、心の底から理解出来たような気がしました。 果たして、無常について理解出来たようなこの感覚は、悟りに近いような物なのでしょうか? 仏門に入ってもいない者が、軽々しく悟りなどと申し上げるのは気が引けるのですが、世の中に対する一つの見方が生まれたような感覚が不思議だったため、質問させて頂きました。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ