自分の物を壊されても怒らない方法
これまでの人生で、私は他人にあまり物を壊されたことがないのですが、
今回、ここでこの相談をしようと思った経緯は、他人のミスで物を壊されても怒らない平等の精神を持ちたいと思ったからです。
誰かに物を壊されても怒らないけど、他の誰かに物を壊されたら怒る人は、自己中心的な気がして納得しがたいです。
しかし今の私は、友達に物を壊されても怒らないけど、母に物を壊されたら怒る気がします。
なので、今のうちにこの課題を解決しておきたいです。
自分自身でも、この課題を解決する方法を探していこうと思っていますが、仏教の考えに近い相談内容だと思い、ここで相談させていただこうと思いました。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
怒りより責めない。
ご相談ありがとうございます。
泰庵です。
要約すると
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『他人のミスで物を壊されても怒らない平等の精神を持ちたい』
誰かに物を壊されても怒らないけど、他の誰かに物を壊されたら怒る人は、自己中心的な気がして納得しがたいです。
今の私は友達に物を壊されても怒らないけど、母に物を壊されたら怒る気がします。
なので、今のうちにこの課題を解決しておきたいです。
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私は僧侶暦40年超えてます。いちおう教団の役員もしています。
仏教伝道協会のテーマ別法話でも「怒り」を担当しました。
でも、怒りますよ。
怒ることをおさえることは難しいです。
さらに言うなら、
自分の大切なものを傷つけられたり、守るために怒ることは少なくないです。
自己防衛のための怒りが本能的に出てしまうことを知ってください。
そもそも人は怒らないのが当たり前でなく。
本能的に怒って当たり前。
怒らないことは有り難い。
その認識を持っておいて方が怒りに振り回されなくて済みます。
その上で、大事にすることは怒りの感情の矛先を間違わない。
怒っていいけど、責めるのはダメです。
怒ることは仕方ないけど、怒らなくてすむように知恵と工夫を考える習慣を持つと怒りが相手への武器にならなくて済みます。
ご質問文拝見すると、お母さんへの怒りが責めに転じる可能性がありますね。
何でお母さんを責めたくなるのか、、
それは潜在的に「お母さんは物を壊さなくて当たり前。ミスをしなくて当たり前」
という意識があるから、ミスをしたお母さんが悪い存在と認知して怒りたくなる。
そんな気がします。
お母さんも人間です。完璧じゃないです。
やがて老います。
怒らないことより責めないことを大切にしてください。
参考までに怒りについての法話動画です。
https://youtu.be/RrWq8aE4jPU?si=Az6ZTpwiOUEb3JRD
諸行無常ですからね
拝読させて頂きました。
そうですね、自分の大切なものを壊されて怒らないことはなかなか難しいことですよね。あなたがその様な平等の精神を持ちたいと願い志しておらることはとてもすごいことだと読ませて頂きました。あなたのそのお考えやお気持ちを心より受け止めさせて頂きます。
仏教的な考え方というか…当たり前のことではありますが、全てのものごとは移り変わりゆくものです。ほんのわずかなでもとどまることはありません。私もあなたも誰もがそうなのです。ましてや周りのものすべてが常に移り変わっていくものなのです。
誰かに自分のものを壊されたとしてもそれは移り変わりゆく姿なのです。
つまりは「諸行無常」であるということです。そこにこだわる必要はありません。
こだわってしまうから執着して怒りやうらみや憎しみが生まれていってしまいますし、争いのなってしまうのです。
今も全世界でその怒りや憎しみやうらみや妬みや奪うこと殺すことに終始しているのですが、本当に愚かなことなのです。どれもこれも誰のものでもないのです。当然ながら自分のものではありません、あくまでも仮に自分の身近にあり預かっているだけのことなのです。
お友達に物を壊されるのと、お母様に物を壊されるのと何ら違いがありますでしょうか?いかがでしょうか?
じっくりと「諸行無常」について見つめて下さいね。
あなたがしっかりと真理を知り心から豊かに健やかに生き抜いていかれます様に切に神仏に祈っております。至心合掌
質問者からのお礼
最初の回答者様へ
諸行無常なので執着する必要はないと分かりました。
確かに、最初に物を持った時はそこまで執着してないですが、時が経つにつれ、だんだんと執着していく自分を思い返しました。
なるべく物と自分を分けようと思いました。
2番目の回答者様へ
怒ってもいいが、責めないように工夫するという文章に、昔の自分を思い出しました。
相手の事情を把握し、自分の心理を知っていくという事をしていこうと思いました。