幸せの噛み締め方
最近子供が産まれました。
ふと子供の写真を見返した時、
私の両親含め家族で集まった時、
夫と何気ない時間に笑ったりする時に
幸せだなあ、恵まれているなあと感じるのですが、同時に
この瞬間が過ぎ去ってしまい同じ瞬間は現れない切なさや、
いつか愛する人を失う恐怖を感じます。
みんなそんなものなのでしょうか。
この切なさや恐怖を受け流すにはどうしたらいいのでしょうか。
素敵な教えなどありましたら教えてください。
お坊さんからの回答 2件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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限りある世界、命だからこそ、一瞬一瞬を大切にして生きたいね。
御出産おめでとうございます。よく頑張りましたね。待ちに待ったお子さまに出会えた喜び、言葉では言い表せないほどの感動や幸せを味わっておられることでしょうね。そして、この瞬間を留めておきたいと、家族が離れずにいつまでも一緒でいたいと強く願ってしまいますよね。
まさに諸行無常。留まることがないからこそ、「このまま時間が止まればいいのに。離れたくない。なんて愛おしい。こんなに幸せでいいのか。変わるのが怖い。成長への喜びと寂しさ」なども同時に込み上げてきます。
私も、真っ只中ですよ。子どもの成長、思春期、卒業、親離れ、進学…
これから、就職、結婚、新たな家族と、親から自立していくでしょう。
あ〜寂しいわね。でも、あの子の存在が、私を親にしてくれた。多くの経験をさせてもらえ、喜びを与えてくれたのも、あの子が誕生してくれたから。そうやって、なんとも言えない感情を噛み締めていますよ。
それが、私たちが生きている世なのです。限りある世界、命だからこそ、一瞬一瞬を大切にして生きたいですよね。
たくさんの愛を注いであげてくださいね。
そして、あなたも、たくさんの愛を受け取ってね。
それが無常でも、苦でも、捨てがたいのが人間の愛
お子様の御誕生まことにおめでとうございます。
今、お感じの切なさや恐怖も含め、それが人間の愛なのではないでしょうか。
仏教は諸行無常を説きます。永遠のものは何も無い。その真実の前に立つ時、考えたくもないですが、愛するお子様との別れがいつかおとずれることも事実であることを知らされます。
どんなに素晴らしい体験も、心揺さぶられる感動も、深い愛情も、無常であるが故に「苦」であるというのが仏教の眼差しです。いつか消え失せるときに大きな苦しみとなるからです。
仏教はそうした無常であるが故の苦を超えて、常なる覚りの世界、いわば永遠の真実を目指すものです。
浄土真宗ではそれは極樂浄土という仏様の世界に生まれて実現されると考えますが、その浄土がどんなに素晴らしい世界であろうと、私たちはそこに生まれたいとは考えられず、たとえ苦に満ちていようとこの世界が捨てがたいのであると、宗祖である親鸞聖人は教えています。
考えてみれば、何も世話をしなくとも育ち、その命が永遠が約束されて脅かされるものでないならば、私たちはこんなにも深い愛情を感じることはないのかもしれません。
つまり、切なさや恐怖も含めての愛なのです。愛と別に切なさや恐怖があるのではないのです。
それならば、受け流すのでなく、受け止めて、抱きしめて共にいく。それが噛みしめるということかもしれませんね。
今この瞬間が二度と無いからこその愛ですね。
質問者からのお礼
吉武様、中田様
お返事ありがとうございます。
とても深いですね。
無常だからこそ愛おしい、
とても心に響きました。
いつか変わってしまうけれど、
一瞬をめいっぱい噛み締めて
またやってくる新しい愛おしい瞬間を
待ちながら過ごそうと思います。