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「諸行無常」問答(Q&A)一覧

2026/06/16

やる気出ない

人はいつか死にます。人に限らず、全てのものはいつか終わりを迎えます。 そう考えると、この世界に永遠に残るものはなく、私のような小さな存在が何をしたところで大した意味はないのではないかと思ってしまいます。 そのためか、何をするにもあまりやる気が出ません。 嫌なことから逃げたいというわけではありません。むしろ、好きなことをしている時でさえ同じです。例えばアニメを見たりゲームをしたりしていても、途中で急に虚しくなってやめてしまうことがあります。そうなると、ただ布団の中で時間が過ぎるのを待つだけです。 学校や勉強についても、自分の意志で取り組んでいるというより、「そうするものだから」と周囲に合わせている感覚があります。もちろん、将来のために必要だということは理解しています。しかし、その将来もいつか終わるのだと思うと、努力する意味が分からなくなります。 友人との時間や思い出も大切だと言われますが、それらもいつか失われます。どれだけ感動した作品も見終われば終わりですし、どれだけ楽しい出来事も過去になっていきます。 私は特別不幸なわけではありません。むしろ恵まれている方だと思います。それなのに、このような考え方から抜け出せません。 仏教には「無常」という考え方がありますね。しかし私は、その言葉を知るほど前向きになるのではなく、「どうせ全て失われるのだから意味がない」と感じてしまいます。 そこで質問です。 仏教では、このような考え方をどのように捉えるのでしょうか。 また、無常という考え方は、本来どのように受け止めるものなのでしょうか。 私は何か大切なことを勘違いしているのでしょうか。それとも、この虚しさもまた自然なものなのでしょうか。

有り難し有り難し 56
回答数回答 5
2025/07/28

諸行無常と人間関係の捉え方

この前、学生時代の友人と数年ぶりに再開しました。学生時代はとても仲が良く共通の趣味もあり毎日学校で楽しく話していたのですが、社会人になって再会したら相手の趣味が変わっており昔ほど盛り上がることができませんでした。 これも諸行無常なのか、、と少し寂しく思いましたが、固定された関係がないからこそ、学生時代の共通の趣味で楽しく話せた思い出が、美しく輝くということなのでしょうか。 反対に今友人とうまく行かないことがあっても、それは今だけのものでまた時間が経てば楽しめるかもしれないというふうに解釈すればいいのでしょうか。 桜や花火などなくなる刹那的なものがむしろその美しさを際立たせるように、楽しい友人関係もその時だけの瞬間的なものと捉えればより楽しむことができる。そして逆に友人関係があまりうまく行かなくても、それも今だけのもので将来はまた変わるものだからそれに固執して悩むこともないということでしょうか。諸行無常とは楽しいものはその時だけのものと割り切ることでその楽しさを増やすことができるし、悲しいことはその時だけと割り切ることでその悲しさを減らすことができるものと解釈するのでしょうか。

有り難し有り難し 11
回答数回答 2
2025/01/06

相手の感情に寄り添えるようになりたい

いつもお世話になっております。 年末の主治医との面談で、 「看護師さんから報告が来て いるけど、他の患者さんの 悪口を、非常に乱暴な言葉を 使ってナースステーション前で 大きな声でよく言っているそう だね。やめてほしいな」 「人の気持ちを考えられる ようになってほしい」 「非言語コミュニケーションを 理解できるようになってほしい」 と言われました。 私は 「何の気無しの自分の行動が、 周りの人に迷惑をかけていないか 怖い」 と先生に問いかけると、 「たしか仏教には『不悪口』 という言葉があったはず。 十善戒や三密など、医療と 並行して、そういった お釈迦さまが残した素晴らしい 教えをよく学べば、他人の考えに 寄り添った行動が、少しでも できるようになると思う」 「不悪口を心がけるだけでも、 ずいぶん良くなるんじゃない かな?」 「身口意の口と意は、リンク していると思う」 と言われました。 私は何年か前、猫カフェで 猫と遊ぶのに夢中になりすぎて 猫を呼ぶとき、猫に話しかける ときの声が大きくなりすぎ、 「苦情が来ています」 と店長さんから注意を受け、 出入り禁止の一歩手前まで 行ったことがあります。 いつまた、同じような事、 それより大きな事をして しまうかわかりません。 何か、仏様の教えの中で、 「周りの人に不快感を与えない ようにするにはこうする」 という教えはありませんでしょ うか? 同時に主治医は、 「非言語コミュニケーション と言っても、『仮説立て』の ようなもので、ヒトは『この人は こう思ってるかな』と考え ながらコミュニケーションを 取っている」 と言っていました。 「仮説立て」が上手くなる 方法も知りたいです。 このような話をすると 「その医者、薮じゃないの?」 言われることもありますが、 精神科の自立支援医療現場は、 存外にも皆さんがお考えになって いるより、厳しいです。 まともな病院や施設は、 アニーサリバンの意思を しっかり受け継ぎ、この ような事は、どこの病院や 施設でも指導されます。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 20
回答数回答 1
2024/07/15

考えない方が楽だけどこれで良いのか

いつもお世話になっております。 以前から死の恐怖について相談させていただいておりました。 最近は仕事もプライベートもそれなりに忙しく充実しております。体力的にも時間的にも死の恐怖に囚われている時間は少なくなり、心安らかに過ごしていました。 ですがふと、 やっぱりこの世は諸行無常で、今の幸せや充実もいつか無になり、私は私を自覚できなくなり、死んだあとは未知でしかなく、「死」という未来が待っている以上この先の人生のエンディングは絶対的な絶望なのだ、と 以前と同じ恐怖が強くよみがえりました。 日々の幸せに夢中で死を考えなくなり、「まあでも、これが今の私なりの死への向き合い方なのだろう」と甘く捉えていましたが、 結局、恐怖は忘れていただけで、死ぬ事実も絶望感も変わらずに私の中に存在します。 たくさんのお坊さんにご回答をいただき積極的に「心安らかに死んでいける心持ち」を探し求めても、知識だけが増え頭でっかちなまま、結局は恐怖も絶望感も拭えぬまま、不安な心のままです。 お坊さん方の視点から、私は今後、どのように死と向き合ってゆくのが良いと思われますか。 積極的に怖さに向き合い死を学ぶショック療法のような形か(ただ、もう死の恐怖に面と向かって辛い思いはしたくないという甘えも自分の中に今はあります)、 それとも自然の流れに身を任せて死を忘れたような日々を過ごすのか(そのうち死を自然と受け入れられると信じて)、 はたまた仏様に全てを任せ不安な心持ちのまま生きてゆくならば、まだ心の底から仏様を信じられない愚かな私の、実在する「不安な気持ち」をその都度「大丈夫」と躱していけばそのうち信心が得られるのか、など。 もちろん最終的に何を選択するのかは私が決めるべき問題と思っておりますが、 なんだかもう、自分でもどうしたら良いのか分からなくなってしまったため、アドバイスをいただけたらと思います。 お忙しいところ大変恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 9
回答数回答 2
2024/07/03

過去に戻りたいと思ってしまい辛い

20代社会人です。過去に戻りたいと思ってしまい辛いです。 学生時代、私は恵まれておりかなり楽しい思いをさせていただきました。アニメが好きで同じ趣味の友人ができ、学校ではアニメの話で盛り上がり休日に一緒にアニメのイベントに行ったりと充実していました。しかし社会人になり、学生時代の友人たちは趣味が変わったり、仕事の関係で引っ越したりと次第に疎遠になりました。 もちろん、今が辛いとかつまらないわけではありません。社会人になりお金が増え海外に行ったり、車を運転できるようになったり、新しいことを学んだり、学生の頃はできない体験もできるようになりました。 しかしながら、あの頃の楽しかった学生時代を懐かしく、戻りたいなあと辛くなることが時々あります。学生時代に好きだったアニメを見たり曲を聞いたりすると当時の思い出が蘇ってきて苦しくなります。もう戻れないんだ、と思うと本当に心臓がギューっと握り潰される感覚になります。 禅に関する本を読み、そこでは「何事も移り変わる」「この世は諸行無常である」と学びました。「そうだ、人間関係も、環境も変わるのが普通だ。過去に拘ってはダメだ」と考えるようにもなりました。しかし頭ではわかっていてもやはり過去が輝かしく苦しくなってしまいます。 このような時、過去をどのように捉えて前を向けばいいでしょうか。アドバイスをいただけると幸いです。

有り難し有り難し 20
回答数回答 1
2024/03/14

生家がなくなる

お忙しいところ恐れ入ります。 生家がなくなる寂しさについて、乗り越え方や考え方のヒントを頂戴したくご相談させてください。 この度両親が定年退職し、まったく縁のない地方に移住することになりました。 新居も購入済みで、本人たちは第二の人生ということでワクワクしているようです。 当然ながら実家はそのうち売りに出され、私には帰る実家や地元に帰る意味がなくなってしまいます。 地元が大好きで心の拠り所としていた私にとって、生家がなくなることは思っていた以上に辛く、なんだか宙ぶらりんになるような心地で辛いです。 (今は結婚して居場所もあり幸せではありますが、自分のルーツが無くなる感覚がとてつもなく寂しいです) 親本人たちが幸せなことが一番ではありますが、毒親で振り回されていたこともあり、「また振り回されるのか…」と思ってしまう面もあります。 いずれ年老いて親は先立ち、みんな遅かれ早かれ実家はなくなるものだと思いますが、まだアラサーです。 周りは慣れ親しんだ実家に帰って安心することができるのに、私はできない。 帰る場所が物理的に消える。 大事な柱を一本失ったようで、どうにも寂しく、内心受け入れられません。 実家や地元に対する執着だと思いますが、仏教ではどのように考えて気持ちを手放すのでしょうか。 ヒントをいただけますと幸いです。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1
2023/10/07

諸行無常、生きている人の心のあり方

亡き母は、ある事業を運営していましたが、まだこれからという時にがんがわかり、あっという間に亡くなりました。 子供の頃から情熱的に活動していた姿を見てきたので、どんなにか残念で、悔しかったことと思います。 私はすでに他の仕事をしていたこと、また、子供個人の幸せを願ってくれましたので、事業は継がず無くなりましたが、母の情熱、精神は忘れることはできません。 それから数年経ち、その経験は、自分の新しい仕事に活かしています。 いましんどく感じているのは、その業界でいわばライバル的存在だった事業が活動をしていることです。 その関係者とは、もと協力関係にありましたが、トラブルがあり、仲違いしました。気に入らない利用者は満足に面倒をみない等、自分勝手な事が多々ありました。 不誠実さを糾弾すれば、足並みを揃えないほうが悪いと。貸したものも返してもらえないままでした。母は不毛な争いを避け、思いやりを大切に、最後までこつこつ活動を続けました。 真面目に取り組んできたほうは追いやられ、力尽きてしまい、ずるいあちらはなぜいい思いをしているんだろう。そう感じてしまいます。 今でも時々夢に出てきて、むなしく思います。 利用している方々は悪意はないのでしょうが、付き合えるということは、自分勝手な人の集まりなのかも、と感じます。 事業に関わった多くの物品、思い出の品々も、捨てられず、そのままです。利用している方々のためにお譲りして、使っていただけたらとも思いましたが、あちらにお渡しするのも考えられません。 この気持ち、思い出、思い出の品々、 受け入れ方、消化の仕方、なにか手掛かりになるお言葉をいただけますと幸いです。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1
2023/09/23

無常というものにひどく虚しさを感じます

大学受験間近の受験生です。 文には至らない点があるかもしれませんが、ご了承ください。 私の受験が近づいていくにつれて、親も私も不機嫌になったり口論することが増えていきました。その度に毎度「昔(幼少期)に戻りたい。」「祖父母がまだ元気で、仲の良かった親戚たちと定期的に集まっていたあの頃に戻りたい。」など過ぎた温かい記憶に縋ってしまいます。悲しくなって、ふと目に入った私が幼少期の時に母がせっせと作っていたアルバムを見て、大好きな母からの愛を改めて実感しました。しかし、今目の前にいる母親は、私が絡めば絡むほどやっぱり不機嫌になって向こうを向いてしまいます。それがとても悲しいです。私に勉強してほしいのは十分わかっていますし、母も仕事で疲れているのもわかっています。自分の合格が一番の親孝行というのも分かっています。 だらだらと前置き失礼しました。私の最も不安なことは、上手く言えないのですが、時間が自分の周りの環境をゆっくり壊しているような気がする事です。 今までの家族の幸せだった思い出と全く同じ体験はできず、また、これからの人生体験する楽しいことが全て「楽しかった過去」に変わっていくことにひどく虚しさを感じます。 まだ子供のくせにと思われるかもしれませんが、無常というこの世であたりまえであるものが受け入れきれません。 私はやはり考えすぎなのでしょうか? 時間が経つということが怖くて虚しいものだとマイナスな考え方をしてしまいます。 無常観についてどう考えるべきなのでしょうか?

有り難し有り難し 11
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