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有り難し有り難し 8

性や食、満たせばどうでも良くなるのに
それまではどうしようもなく求め続ける物

これを続けてるうちはただ毎日が虚しいだけなのは実感してわかります。

楽しみを見つけ、満たそうとして、そうなっているふうには思いますが

この虚しさを捨てて楽しく生きる知恵を教えてください。

2024年8月1日 0:34

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

欲は悪いものではありませんよ!

食欲とか性欲とかは、確かに満たせばどうでも良くなるかも知れませんね。

いちろーさんは欲を悪のように考えているのかも知れませんが、この欲は必要不可欠なものだからこそ、心に湧いて出てくるものなのですよ。

しかも人が生きている上では、非常に重要な原動力になりますし、心の幸福感の源でもあるんです。

夢を抱くことも大きな夢になるでしょうし、健康で生きることも欲になります。
ワガママだって欲と言えば欲ですからね。

ですから、それを求めることは悪いことではないですし、あなたがいう虚しさを捨てて楽しく生きるのは誰にもできないのです。

ただ、食べるものを食べて満足しているのに、「もっとほしい。もっとほしい。」「人のものでもほしい」「誰にも分け与えたくない」「自分だけほしい」「自分の欲だけ満たしたい」という欲。

これを「我欲」と言いますが、我欲は虚しく迷惑で満足することはなく際限がありません。

例えていうならば、「塩水(海水)を飲むが如く」飲めば飲むほど、喉が渇くという状態になります。

この我欲は悪でしょうし、捨てるべきですし、捨てねばなりません。

それよりも正しい欲は人も周りの人も元気に快活に、健康的に活動させてくれます。自分も周りも幸せにしてくれます。

あなたが虚しいと感じる欲は、あなたや周りの人を幸せにしてくれるものでしょうか?。そのように自分の欲を制御することが、本当に大切なことですし生きる知恵です。

異性に好かれたいと思いでしょうし、食欲や性欲の制御もしずらいでしょう。

ですが投げ槍にならずに、自分や周りの人が幸せになるように感情を落ち着かせて考えてみてください。合掌

2024年8月1日 9:54
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有り難し
おきもち

護摩行1200回以上・滝行:1100回以上もすると、お話しできることもできてきた行者です。 元々は在家の出身ですが、17歳で出会った師匠の生き方に感銘を受けて、18歳から師匠のところで内弟子修行。 ただ、この時点で師匠が僧侶であることを知らなかったという間抜けな弟子入りでした。 一体何になるために弟子入りするのか、その時はわからないままだったんです。 多感な時期に、弟子にならずにはおられないほどの生き様を見せていただけたことは、私にとって生涯の幸せだと今は思えます。 その後、内弟子行12年の間に夜中行・護摩行・籠山行・滝行・お百度行などを経験させていただきました。 結婚と同時に小さなお堂を預かって師匠のもとから独立。年間数百回を超えるご相談を聞いております。 人々を幸せに導く行者として、60歳を超えた今も季節を問わず変わらず修行を続けております。 また、別に事業もしておりますため、マーケティングやセールスなどにも詳しくなって、娑婆の厳しさと理不尽さも舐めてきています。 本当に救われる信仰として、実践に則したお話をさせていただきます。

それが真理

欲望も苦しみの一種なので、その都度その都度の欲望が無くなることがゴールであり、ゴールに特別な宝物は用意されていません。
たとえば、背中が痒いという苦しみ(背中をかきたいという欲望)のゴールは、痒みが治まること。
痒みが治まることで宝物はゲットできません。
欲望とは、せいぜいマイナスからゼロに戻ることなので、ご褒美を期待すると虚しく感じます。
欲望とはそういうものだという真理を、あなたは悟ったのかもしれませんね。

2024年8月2日 12:59
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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

お礼を書くのが遅くなって申し訳ありません。
ご回答ありがとうございます
欲など結局夢物語なのかもしれません。
ただ周りのためになるのなら育て行く必要があると感じました。

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